yuka tokuyama

アートキュレーター、研究者、主婦。北ドイツ在住。 子育てや引っ越しで、約10年間アート…

yuka tokuyama

アートキュレーター、研究者、主婦。北ドイツ在住。 子育てや引っ越しで、約10年間アートの仕事から遠ざかっていましたが、近年活動を再開しました。 日々の雑感とともに、アート〜自身の活動、見たもの、感じたこと〜を書いています。 国際美術評論家連盟 AICA Japan 会員

最近の記事

ゲームの美学:シリアスゲームと非現実界 [ Worldbuilding 展より #1 ]

ユリア・ストシェック財団は、日本ではまだそれほど知られていないかもしれないが、ベルリンとデュッセルドルフ、2箇所でコレクションを展示する、ドイツでは屈指の映像やメディアアートを専門とする個人コレクションの財団だ。世界中を飛び回り数多くの展覧会を手がけるハンス・ウルリッヒ・オブリストとコレクターのユリア・ストシェックは友人同士。二人の間でいつか彼女の15年間にわたるコレクションからゲームとアートの展覧会を開きたいと長年温めてきた企画らしい。 ステートメントでオブリストは、以下

    • ルール炭田の日本人:過去にシンクロする

      はじまり:個人資産としての労働、重い道具 「”労働とは、譲渡不可能で関税もかけられず国境を越え、誰の土地へでも持ち込める個人資産である” ージュリア・クリステヴァのこの一節を、この人たちは体現しているように思うんです。」 川辺さんは、ドイツのルール地方にいた日本人炭鉱労働者の存在について語り始めた。9月にしては肌寒い、2冬前の秋のことだ。 コロナ禍以前から”移民”というテーマに関心を持ち、作品を発表していた彼女だが(その作品についてのテキストはこちら)、国境線がみるみる

      • ゲームの美学 アートにおける理論と実践

        企画のいきさつ:スクリーンの向こう側で何が起こっているのか? このトークを企画しようと思ったきっかけは、学生時代の友人である美学者の吉田寛さんが、私の住むドイツにあるライプツィヒ大学で客員教授として1年間過ごすことになったという知らせを受けたことに始まる。 吉田さんは、美学者でありながら「ゲーム研究」をしているという。 カント、ヘーゲルに連なる西洋美学の本場、ドイツの大学に来てビデオゲームを研究するなんて吉田君らしいな、と感心しつつ、ゲーム研究で、一体どんなことが分か

        • たまさか家族/私 (その4 デラシネ家族)

          2020年3月からの数ヶ月は、誰しも家族の形を見つめ直す機会があったのではないだろうか。コロナ危機の下でのステイホーム/自宅蟄居は、私にとって自分という個人の存在と家族について思いを巡らす期間であった。 再び2020年の暮れ、私の暮らすドイツでは、ロックダウン下のクリスマスを過ごしている。 コロナ禍に明け暮れた今年に見た3人の美術作家の作品から汲まれたものが、日頃から自身と家族について思うところと重なったので、言葉にしてみた。その1、2に続き、その3とその4は田中功起さんの作

        ゲームの美学:シリアスゲームと非現実界 [ Worldbuilding 展より #1 ]

          たまさか家族/私 (その3 新しい舌の根)

          2020年3月からの数ヶ月は、誰しも家族の形を見つめ直す機会があったのではないだろうか。コロナ危機の下でのステイホーム/自宅蟄居は、私にとって自分という個人の存在と家族について思いを巡らす期間であった。 折しも2020年の暮れ、私の暮らすドイツでは、ロックダウン下のクリスマスを過ごしている。 コロナに明け暮れた今年に見た3人の美術作家の作品から汲まれたものが、日頃から自身と家族について思うところと重なったので、言葉にしてみた。その1、2に続き、その3は田中功起さんの《可傷的な

          たまさか家族/私 (その3 新しい舌の根)

          たまさか家族/私 (その2 ここにいることの確かさと不確かさと)

          2020年3月からの数ヶ月は、誰しも家族の形を見つめ直す機会があったのではないだろうか。コロナ危機の下でのステイホーム/自宅蟄居は、私にとって自分という個人の存在と家族について思いを巡らす期間であった。 今年の1月から2月にかけて見た3人の美術作家の作品から汲まれたものが、日頃から自身と家族について思うところと重なったので、言葉にしてみようと思う。その1に続き、その2は、川辺ナホさんの作品《 確率的滞在 / Aufenthaltswahrscheinlichkeiten 》。

          たまさか家族/私 (その2 ここにいることの確かさと不確かさと)

          たまさか家族/私 (その1 パッチワークな私たち)

          2020年3月からの数ヶ月は、誰しも家族の形を見つめ直す機会があったのではないだろうか。コロナ危機の下でのステイホーム/自宅蟄居は、私にとって自分という個人の存在と家族について思いをめぐらす期間であった。 今年の1月から2月にかけて見た3人の美術作家の作品から汲まれたものが、日頃から自身と家族について思うところと重なったので、言葉にしてみようと思う。 その1は、綿引展子さんの《 家族の肖像 / Familenportrait 》。 ドイツ在住12年の綿引さんは、ヨーロッパに

          たまさか家族/私 (その1 パッチワークな私たち)

          彼の地に暮らす

          新年をフランスとスペインを跨ぐピレネー山脈に抱かれたフランスの小さな山村にて迎えた。パリ近郊から南下すること約900km、東京からなら島根の浜田辺りだろうか。彼の地に2年前に越した友人を訪ねて、山へ向かった。 アーティストである友人と出会ったのは、20年前。大阪の美術館で仕事をしていた時。20代の終り、お互い若く、まだまだこれから何でもできると思っていた。 「それが、20年後、こんなところにいるとはね〜」 彼女は細い山道の運転と薪のくべ方、北ドイツに移った私はドイツ語の習得

          彼の地に暮らす

          北の空と恵み

          イギリス南部の牧草地に囲まれた町から、北ドイツの都市の街中へ移って来たのは、去年のこと。その前には、フランスのパリと南部の中規模都市で暮らしていた。フランスもドイツも、大陸ヨーロッパの街の空は狭い。イギリスに越した時、煉瓦造りの小振りの家の延々連なる屋根と繋がるような空に、感心したものだ。そしていま、また街中へ戻った。空と引き換えに、街中の活気を、集合住宅に肩を寄せ合う数々の世帯とともに、シェアしている。 北ドイツ独特の比較的広い道路と、そこかしこに植えられた街路樹。その脇

          北の空と恵み

          栗を焼く

          今日も一日、一寸の陽射しもなかった。ここにいると、太陽をお天道さまと呼び、お日さまを拝むという、まさに天の恵みへの感謝の気持ちに心から頷く。いま、私は北ドイツの街に住んでいます。 晩秋の午後、おやつどき。薄暗く淀んだ空気に呑まれて何もすることがないとぐずる気持ちを追いやるように、栗を焼いた。子供達と一緒に無心になって皮を剥きながら、温かい栗の実を頬張ると、なんとも言えず幸せな気持ちになった。綺麗に剥けると、ことのほか満足だ。焼け具合によって異なる色が微笑ましい。ほのかに甘く