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令和源氏物語 宇治の恋華 第百五十一話

第百五十一話 浮舟(十五)
 
夜になると匂宮の乳兄弟・大夫の時方が京から戻って来ました。
やはり宮の行方知れずは騒動となっており、母君の明石の中宮も二条院へ何度も人を遣らせて気遣いなさったのだとか。
さすがに賢い母君なれば息子の素行に察しがつくらしく、ようよう御諫めするよう宮の側近達をお叱りになったようです。
時方は機転の利く若者ですので、中宮の御使者に宮は思い立って東山の尊い聖に会うために出掛けられました、と言いつくろいました。
これまで信心など見せたことのない宮とて、その返事をまさか真のことと思召す中宮ではありませんでしたが、お主上に問いただされた際にはそのように申し上げようと胸一つに留められていらっしゃいました。
時方はさすがに今宵こそは宮を京へお戻ししなければ大変なことになると心得て御前に伺候しました。
「宮さま、どうやら夕霧の左大臣あたりが騒いでおられるようです。お気持ちはわかりますが、もう京へ戻らねばなりませんでしょう」
「まだ舅というわけでもあるまいに。まったく思うようにならぬ身分というのも厄介なものだ」
「はい。私めがうまく言いつくろいましてももう限界でございます。宮さまが東山に高僧に教えを乞いに、とは申し上げておきましたが」
「ほんの束の間所在が知れぬだけでこの騒ぎとは」
宮が大仰に溜息を吐くのを浮舟は芽生え始めた恋心故にその尊き身分もまた立派に思われて、それほど世間に重んじられている御方に愛されたことが誇らしくも思われるのです。
「薫に知られるのもまずかろう。薫とは昔から仲睦まじくしてきたが、私があなたを奪ったことが知れたらどうなるであろう?いや、それよりもあの男は根に持つところがあるから、あなたを深く恨まれたら辛いことよ。互いに用心するに越したことはない。いずれはあなたをどこかへ連れ去ってしまおう」
宮はそう言っても浮舟を離すことが出来ないのです。
「宮さま、どうか夜の明けませんうちに発ちましょう」
供人達の切なる訴えに宮は涙を流しながら仕方なく詠みました。
 
 世に知らず惑ふべきかな先に立つ
                       涙も道をかきくらしつつ
(先だって溢れてくる涙に道が塞がれて、どうしてよいのかわかりませんよ)
 
また一人取り残されるのかと思うと急に寂しさが込み上げて、浮舟も惑うように返しました。
 
 涙をもほどなき袖に堰きかねて
    いかに別れをとどむべき身ぞ
(流れる涙も狭い袖に堰きかねておりますのに、どうしてお別れを留めることができましょうか)
 
浮舟を思い切れない匂宮は心を宇治へ残して家路を急ぐ。
風の音も荒々しく、霜深い明け方に涙に濡れた衣は冷えて別れの辛さは増すばかり。
宇治への道は恋路なれど帰る道はひとしおに心寂しく物悲しいものであるよ、と宮はまた浮舟を恋しく思うのでした。

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