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きっと、わたし達は約束してココに来たはず。〜こどもの保育園問題で受け取ったメッセージ〜

この夏に本格的に歩き始め、今では一丁前に自分で靴を履いたり、「自分でやる!」と意欲だけは旺盛なおてんばガールに育っているわが家の愛おしいひと。
生まれた時からこのひとは意思がものすごくハッキリしていると思っていたけれど、お友達との交流や親以外のおとなに対しての接し方を見て、もう親の範疇を超えた環境で過ごした方が彼女に合っているのでは、と思い始めている。

そんな娘の成長と共に、わたし自身の歌い手としての活動復帰も具体的なイベント企画を立ち上げる決心がつき、一歳児にして「保育園入園」「入園手続き」と言う初めてのイベントを迎えているのだ。

わたしが住んでいる市でもやはり人気の保育園と言うものはあり、定員の枠を越えた応募があった場合は、提出した書類内容(要は親の就労状況)で入園の可否が決まるのだ。

そんな情報すら、つい最近知ったわたしなのだが、知れば知るほどに娘にわたしが希望する園に入ってもらいたいと言う気持ちが強くなり、いつの間にか「この園に入れなかったらどうしよう」という必要のない感情に捉われてしまっていた。

当然それは不要なストレスである。

日に日に気持ちが重くなっている自分に気付いて、愕然とした。

わたしのこれまでの41年間の人生で言うと、幼稚園・保育園・小学校と親の仕事の都合で転園したり、当時は環境に馴染めず大変な思いをした幼少期ではあったものの、振り返ればそこで出逢った友人は今でも連絡を取り合いたい大切な友人たちがたくさん居る。

自分で志望校を決めた受験だって、大学は第一志望には入れなかったけれど、自分が出た大学でしか出逢えなかった親友たちの事を思えば、この学校に入れてよかった「自分には最善だった」と心からそう思えている。

とても小さな視点で見れば、幼少期の頃は親が決めて流れ着いた環境だったかも知れないけれど、視点を高く持って視れば、全てが大きな大きな計らいであり、ある意味「じぶん自身の縁」によって手繰り寄せられたものなのではないか・・・今はそんな風に思っているのだ。

それは、当然じぶんだけが特別なわけではなく、みんな同じなはず。

そう、娘にも同じことが言えるのだ。

物理的な手続きまでは親の仕事だけれど、あとは彼女の人生であり、運命。

もちろんある程度のナビゲートは必要だけれど、直接どうにも出来ない事は、もはやこの子が手繰り寄せている縁や環境を全力で応援してあげるだけなのでは。。と、思うようになった。

今から気を揉んでも結果は来年の一月下旬にしか出ないでの、後は天にお任せ、娘の運命にお任せするだけ。


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