A氏

ピアス&タトゥーに優しいチェコ共和国にて人生の夏休み満喫中。13個目をどこに開けるか悩…

A氏

ピアス&タトゥーに優しいチェコ共和国にて人生の夏休み満喫中。13個目をどこに開けるか悩み中。何度やってもENTP-Aです。元新聞社勤務。 2021年→日本語教育能力検定試験パス 2023年→チェコでの就活開始→語学学校で日本語教師および習字の先生として働き始めました(今ここ)

最近の記事

私を作った先生たちー女王の教室編③

あともう2つ、U先生についての忘れられない話がある。 そのうちの1つ、 U先生の素敵な授業と独特な評価基準の話をする。 まず、U先生は美術が好きだ。 最初の授業の日に先生が生徒に問いかけた。 「誰か、黒板に人参を描いてみて。」 この、正解が無さそうな問いに 「え・・・人参ってあの人参だよね・・・?  や、野菜の・・・?」と 戦々恐々としながら数名が黒板に描いた。 皆こんな感じで描いていたと思う。 そして先生が言った。 「うん。そうね。確かにこれは全て人参。  じゃあ

    • 帰国。そして久々の就活。

      諸事情により、日本に本帰国した。 今はアルバイトを掛け持ちするフリーターをやっている。 大学時代、いろいろあって 実は人生初アルバイト探しだったのだが、 いまだに悶々としていることがあるため ここに記す。 現在、私は金髪であるため、 一応気を遣ってバックヤード系の仕事を選んで 応募していたのだが、 まあ金髪ということで一発アウトを食らう食らう。 見た目に関して特に記載がないところに応募すると 大体落とされた。 中でも驚愕だったのはユニクロ。 海外進出を進める世界第3

      • 私を作った先生たちー女王の教室編②

        U先生についてのエピソードはまだまだある。 その年の夏休み明けに、私たちのクラスに外国人がやってきた。 韓国人のキム君だ。 キム君はお父さんもお母さんも韓国人で、誰も日本語を話せなかった。なぜこんな九州の田舎に韓国人家族が引っ越してきたのかは不明だったが、このような状況にも関わらず、私たちのクラスに日本語をサポートする大人は来なかった。そのため、U先生のクラス運営はかなり大変だったと思う。 キム君は、別にアニメに興味があるなどでもなく、本当に親の都合で日本に来させられた

        • 私を作った先生たちー女王の教室編①

          新聞社には、自紙の過去記事データベースがある。検索したいワードを打てば、そのワードが入った記事が瞬時に出てくる。退職する前に、ふとある先生の名前が頭に浮かんで、検索してみた。するとその先生は2020年春に定年退職をされていたことが分かった。もう教鞭を執っていらっしゃらないのだと思うと、とても残念で心の奥の方が少しギュッとなった。 私は子どもの頃から担任の先生には恵まれてきた方だと思う(勿論酷い奴もいたが)。基本的に「学校の先生」という存在が嫌いな私だ。それでも、私が私になる

        私を作った先生たちー女王の教室編③

          九州の田舎に生まれた女が考える「チェコの住みやすさ」

          「A氏さん、性別の欄が抜けていますよ。ちゃんと丸をつけてください」 小学生の時に、学校の先生にそう言われた。女でいることが嫌だったわけではなく、男になりたかったわけでもない。自分を「男」または「女」というカテゴリーに収めることが嫌だったのである。いつもなら何も考えず「女」に丸をしていたが、その時の私は魔でも差したのか、一瞬手を止めて、「男・女」と書いてある欄の「・」に丸をつけて提出していた。 九州の田舎に生まれた次女の”定め”私は双子だ。相方は男、家では長男にあたる。彼は

          九州の田舎に生まれた女が考える「チェコの住みやすさ」

          「なんて楽しくて愉快で自由なんだろう」とうらやましく思いました。

          2018年4月のある朝、私は会社のトイレの個室でうずくまっていた。二十数年の人生において経験したことのない、信じられないほどの激痛が下腹部に走ったのだ。やっとの思いで立ち上がり、オフィスに戻って会議資料を作り終えたところで、私の痛みは限界に達し、 「すみません・・・。腹痛が酷いため早退します。部会に出席できずすみません・・・」 と部長に言い残し、手すりをつたいながらなんとか歩いて、近くの内科に向かった。 その病院には日頃から世話になっていた。その頃の私は、仕事のために酒

          「なんて楽しくて愉快で自由なんだろう」とうらやましく思いました。

          【番外編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          母と癌と韓流ドラマ 少し話は変わりますが、コロナ禍に私の母が癌になり、実家に戻ってリモートワークをしていた時期があります。(そんな制度ないのに許可してくれた会社に感謝) 気丈に振る舞っていた母もやはり抗がん剤の治療中はかなり辛そうでした。退院後、安静にしていてほしいのに家にいるとつい「何かしなくては!」と思ってしまうようで掃除や買い物をしようとするので 「あのさ、全然無理しなくていいんだけど、私が仕事してる間にこれ見といてよ。めっちゃ面白かったからさ。んで夜ご飯の時に感

          【番外編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          【後編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          そんなこんなで時は過ぎ、私は東京で働いておりました。 ある年の夏、毎年恒例の数社での懇親ランチ会で私が勤めていた会社が幹事だった時がありました。毎年部長クラスを入れた30名程の飲み会を 銀座某所で開催するのですが、当時社内で年次が一番下の私(=雑用係)がこの会を取り仕切らねばなりませんでした。 オフィシャルの飲み会の幹事って、本当にストレスフルですよね。 はじめの挨拶を誰にするか、1つとっても事前の根回しとして 「あの、今度の歓迎会でぜひご挨拶を・・・ダメですか?  

          【後編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          【中編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          どこまでも韓国を避けてきた私にとって 最も驚きだったのは 在日韓国人が日本名と韓国名を持っていることでした。 「そんなことってある?!」 というのが私の正直な感想で、 私はどこまでも無知であることを突きつけられた気がしました。 そして、気付いたのは 実際に目の前にした在日韓国人の彼らを 「韓国系だから」というだけで嫌う理由が 私にはないということでした。 その後、大学のプログラムで 10日間の韓国文化交流研修(応募制)の告知を校内で発見し 即申し込みました。 かなりの応

          【中編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          【前編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          チェコでテスト期間真っ最中の私ですが、 最近のYGのニュースをチラチラと読んでいます。(勉強せろ) そんな中で思うことがあり、記事にしてみました。 タイトルにもある通り、 私は元々韓国が嫌いな人間でした。 今からおよそ20年前、 当時小学生だった私が初めて韓国という国を認識したのは 2002年に開催された「日韓ワールドカップ」の時です。 その時にテレビで見た 日本の国旗を踏みつけて燃やす大人たちの姿に 恐怖を覚えました。 「なんて野蛮な国なんだろう」 それが韓国に対

          【前編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

          こんにちは。A氏です。

          4万円の靴を買ってしまった。さきほど ヴァーツラフ広場近くの靴屋さんで だいぶよか靴とケアセットを 買ってしまったんですね。 その値段、4万円ちょっと。 日本で社会人をやっていた時でも 買わないような値段の靴を チェコでほぼ無収入のニートが 買ってしまった訳です。 ということで、正直に申し上げると チェコにいる期間でこの靴代分を なんとか稼ぎたいと思って 約2年前に会員登録して放置していたnoteの パスワードを再発行して 今、やっとログインしました。 何卒、何卒よろし

          こんにちは。A氏です。