自分の筆的転回

自分の筆が展開している。
それは自分が一番わかっている。
なぜ展開しているか。
僕にはそれがわからない。
だが、その展開がどのようにしてなされているかはわかる。
僕の筆はエッセイ的・偏在的なものから、どんどん全体的なものへと展開している。
僕の書いてきたさまざまなエッセイがどのような糸を引くかはわからないが、どのようにしてか、糸のような道筋のような合図を導き引けば、整っていくような予感がする。
それは、エッセイの蓄積ではなく、エッセイのエンクロペディー化でもない。
言うなれば、文が文章になるのと同じである。
僕の思想の片鱗たちが美しい翼となり大空を飛ぶ瞬間が予感される。その映像が何度も何度も脳裏に響き渡る。
空から注ぐあの太陽のように、自分という大地が豊かに実っていくのを感じているのだ。
僕は誰かの文体に乗ってしか表現できなかったが、これからはその翼を自分で伸び伸びと広げることができるような気がしている。
そして、誰かの文体となる瞬間が来るような予感がしている。

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