面白いエッセイとは

エッセイをたくさん読んでいると、面白いものと面白くないものがある。それは、個人的感想であるから、別にそれを丁寧に挙げたところであまり意味はないかもしれないけれど、僕というエッセイストの理想を語っていると思って是非聞いてほしい。

単刀直入に答えを言うと、面白いエッセイとは動きのあるエッセイだ。

それは、実際的な動きではなく、その文章の底を流れる、ただいま演じ始めたエッセイストがそこに見えることである。
それぞれのエッセイストが自分の理想のエッセイを確固として持っている。それを自分の持つ文筆力を生かして表現する。そう、本当の意味で自己表現の場であるのだ。だから、作者とて確固たる個人でないし、流動的に変化していく。変わらないものは、エッセイストの理想のエッセイだけだ。それだけが揺るがずに生き続けている。
簡単に言うと、面白いエッセイは作者は変わるが、作者の目指すものは変わらない。と言う一貫性の面白さなのである。
語彙が豊富だとか、文章構成が上手いだとか、もちろん技術は必要だ。
けれど、僕たちが面白いと思って読んでしまうエッセイは、その後ろに血液のように流れ出ているエッセイストの理想に対する尊敬と感謝に支えられているのだ。

だから、面白いエッセイを書こうと思うなら、まず自分の理想を突き詰めることから始めなければならないのだ。
僕のエッセイには理想がある。それは借り物の理想かもしれないけれど、僕の文章を動かす血液にはなっている。そう、血液型が遺伝するように。僕の理想はかつての誰かの理想から遺伝しているのだ。

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