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50歳になってからの大腿四頭筋拘縮(硬直)症手術


生い立ち

拘縮症について知ったとき


幼稚園の年長のときのことです。4月から小学生ということで就学前検診を受けました。
最後に医者の診察があるのですが、「背中おかしいぞ!」と医者に言われて母親が不安そうな顔をしたのを覚えています。その後の詳しいことは記憶にありませんが、風邪の治療のため乳児期に打った注射の薬害で右腿の筋肉が成長しなくなったと親から説明を受けました。

症例について詳しいことは こちらをご覧ください。私の場合「猫背」「正座ができない(膝を揃えて座れない)」「足を振り回してあるく」「下り坂がつらい」「尻上がり症状」 が主な症状でした。

手術しない選択をするまで

経緯は私には分かりませんが、仙台の整形外科を紹介され、そこに通うようになりました。通うと言っても半年に一回、夏休みと冬休みに経過観察するだけです。
うつ伏せの状態で横になり膝を支点にしてつま先を持ち上げたときに、尻上がりしないで何度まで曲がるかを巨大な分度器のようなもので計測します。
正常な人ならばかかとがお尻につくまで曲がりますが、拘縮症の場合は自分の意志とは関係なく勝手にお尻が浮いてしまうのです。
小学6年まで検診に行ってましたが、曲がる角度は30~45度くらいだったと記憶しています。
この症状のため、周りの人たちからからかわれたりするのは嫌でしたが、慣れというのは怖いもので気にならなくなっていきました。もともと外で遊ぶタイプではなかったということもあり、身体的苦痛も日常生活ではほとんど感じることはありませんでしたが、一番嫌だったのは持久走大会で、足を振り回して走るためか足首が痛くなってきて毎回ほぼ最下位でした。
6年生の冬休みの検診の前だったか後だったか忘れましたが、親から「手術どうする?」と聞かれました。今思えば自分の体のこととはいえ、その選択を子供に委ねるのは如何なものかと思いますが、私の出した答えは「手術しない」でした。足の可動範囲が制限されること以外、特に苦痛を感じることがなかったということもありますが、手術に対する不安が一番大きい理由でした。
というのも、近所に住む同級生が同じ拘縮症の手術を地元のそこそこ大きい病院で行った際、どういうわけか無理なリハビリで骨折してしまった話を聞いてたもので・・・

そうして、50歳になる現在まで放置することになったのです。


手術を決意するまで

30代に入り、肩こりと腰痛が気になるようになりました。自分でもわかっていたのです。これは拘縮症からくるものが大きいと・・・
仕事はPCに向かう時間がほとんどを占めるため、仕事に集中していくと画面に頭が吸い寄せられ拘縮症からくる猫背がさらに猫背になってしまいます。整体などでマッサージしてもらったり、骨盤矯正してもらいますが翌日にはもとに戻ってしまう感じです。
そういう状況でも手術をすることなど考えもしませんでした。当時は子供も小さく、勤めていた会社も小さく仕事を休むなんてとんでもないことだと思い込んでいました(自分がいなくても世の中回っていくのに。会社は一生面倒見てくれないのに)。

40代になって、数時間車の運転をしていると右臀部側面が痛むようになりました。アクセルに足を置いて同じ姿勢を保つことが大変になりました。それまではSAやPAで休憩すれば気にならないレベルでしたが、休憩しても走り出すとすぐに痛くなります。それでも長距離ドライブなんて年に数える程しかしないので、足が悪いからだなとは思っても手術について考えることはありませんでした。

ところが、50歳を目前に健康診断の血液検査の数値があちこち異常値になり、抜け毛は増え髪の毛は細くなり、聴覚検査も引っかかりと老化現象が気のせいとか運悪くと言い訳できるレベルを超えてきて、思うところがありました。自分の親をはじめ年寄りの話といえば、「腰が痛い」「膝が痛い」などなど身体のどこかしらが痛い話ばかりで、自分の足の状態が年々悪くなっているところにさらに痛い要素が加わるということが、怖くなってきたのです。寿命があと10年だとしても、手術を受けたほうが良いのではないか?
そもそも遅すぎたんですけどね。

入院するまで

病院探し

手術してもらうとして、どこの病院が良いのか?
そもそも現役の医者でも、とうの昔に忘れられた症例の手術などしてくれるのだろうか・・・
ネットで検索してみると四国や滋賀などで数年前に実績はあるらしいがそんなに遠くまで行けません。宮城県で難病奇病といえば東北大学病院だが、とりあえず小学生のときに診察を受けていた病院に電話してみることにしました。
病名や当時の先生の名前など話したら
「生年月日教えてください」「あー、記録ありますよ」
「ちなみにその先生今でも現役でいらっしゃいます」
はぁー?? なんだか拍子抜けしました。
診察日が7月1日に決まり、一歩前進した感に気持ちが上向きました。

38年ぶりの診察

診察を受けるのは県内でも中核病院と言われる規模なので、「どこの病院でも良いので紹介状を書いてもらってください」と言われ、ちょうど高脂血症の治療でお世話になり始めた近所の内科の先生に紹介状を書いてもらいました。受付で紹介状を提出し、問診票など記入して整形外科の診察室前で待ちました。
「たまねこさーん、お入りください」
ついに38年ぶりの・・・
まぁ、お互いに覚えてませんでした。なんの記憶も蘇りません。先生も何千人何万人と相手してるでしょうし・・・
現在はアルバイト的に勤めているようでした。当然手術など担当しているでもなく(こちらもこの先生に手術をしてほしいとは思っていません)、しまいには昔話しや武勇伝など2時間弱付き合うことに・・・
ほかの患者さんに申し訳ない気持ちで、何度か手術したい旨を伝えるも、いつの間にか別の話になって先に進みません。最後には
「家族や職場の人とじっくり話してみては?」
と言われ、診察室から退散しました。ほかの患者さんを待たせてしまったと思ったら、この日のこの先生の患者は私が最後だったようです。

二度目の挑戦

家族と話しても症状が良くなるわけもなく、別の病院を探したほうが良いのかとも思いましたが、手術の経験豊富な先生がいる病院というのは私にとっては大きいことです。どこの筋肉のどの部分がどれくらい機能不全なのかによって手術内容が変わると聞いていたので、オブザーバの立場で他の先生に院内で紹介してくれればそれで良いというのが身勝手な本心です。そういう方向に話を持っていくにはどうしたものかと想定外の面倒と直面することになりました。
3週間ほど経った頃、再度予約を入れました。次の診察日は8月8日に決まりました。電話口で整形外科の看護師さんに手術の意志が固いことを念押ししました。最初はお盆休み前に手術してもらい、9月に職場復帰しようとか甘く考えていましたが、そんなうまい話は無いようです。
二回目の診察日、こちらは戦闘態勢で臨みます。また昔話しと武勇伝が始まりそうになりましたが、
「他の先生と相談してみる」
との回答をもらいました。手術も
「入院当日手術で3日で退院できるんじゃないかなぁ」
と言われ、(そんなバカな。小学生の時はリハビリに1ヶ月入院って聞いてたのに! まてよ、40年の間に医学が進歩したならあり得るかも・・・)などと思いながら、待合スペースで待っていると看護師さんが走って来て
「さきほど先生が言ってたスケジュールは忘れてください。ありえません!」
とのこと。
「あ、大丈夫です。真に受けてませんから・・・」
その看護師さんと今後のスケジュールの打ち合わせをして帰途につきました。他の先生との調整ができ次第、手術に向け再度診察になるそうで病院から連絡をもらうことになりました。

診察三回目

後日電話があり、次回は8月23日と決まりました。
診察室に案内され、トントン拍子に入院の日取りが決まりました。11月11日入院の14日手術です。そんなに待つのか・・・ まぁ、仕方ない。
「もう、何度も来るの面倒でしょうから手術前の検査全部やっていきましょう!」
ということで、試験管?に結構な本数の採血と検尿、心電図、レントゲン、肺活量測定をして会計後は事務のかたと入院時に提出する書類の説明や用意する衣類などなど説明を受け、
「検査結果がよほどでない限り入院日まで特に連絡はありません」
と言われ入院日を待つばかりとなりました。

入院記録

11月11日(1日目)

家内は近所や実家までなど特定の経路を日中にしか運転できない厄介なドライバーなので、旅行用のスーツケースに衣類やタオルケットなどの入院セットを詰め込み、病院まで高速バスと路線バスを乗り継ぎ9時30分に病院に到着しました。保証人や高額療養費の限度額適用認定証などの書類を提出し、まずはPCR検査を受けました。陽性の場合はどうなるか聞いてませんでしたが、きっと入院は中止でしょう。幸い陰性ということで病棟の看護師さんから注意事項を説明、麻酔科での問診と手術日の注意事項の説明のあと病棟内へようやく入場できました。しかしコロナ禍故、付き添い人は入れないので一人で荷ほどきをして、移動用キャスターがついたタンスや引き出しに収納してパジャマに着替え、病人?らしくなりました。15時過ぎに執刀する先生との面談と同意書へのサインを行い手術日を待つだけとなりました。

11月12日(2日目)

今どきの病院ってどこでもそうなのか、ここだけなのかはわかりませんがサービスが行き届いているなぁと、一泊してみて思います。昨夜夜勤担当の看護師さんも、今朝の日勤の看護師さんも挨拶に来て、わざわざ名札を見せて皆さん必ず
「心配事はありますか?」
「聞きたいことはありますか?」
など声をかけてくれます。検温や血圧測定のついでとはいえ、悪い印象はもちません。逆に、勘違いした人がモンスターペイシェントになりはしないかと想像してしまいます。
午後、シャワー室で体を洗いました。食事も3食完食でした。

11月13日(3日目)

手術日は明日だけれど特に制限などなく一日を過ごします。
何日も体が洗えなくなるので必ずシャワーに入るように言われそそくさと入りました。
22時以降は一切の食事は禁止。(飲料はOK)とはいえ、隠れて食べるようなものは持ち込んでいないので今までどおりの生活。23時頃就寝。

11月14日(4日目・手術日)

手術日当日。私の手術予定は12時30分手術室に入室、14時には終了予定です。
朝食代わりにアクアソリタという経口補水液が出ました。手術着に着替え10時半過ぎ、左手の甲の部分から点滴開始、以降絶飲食となります。このあたりの流れはきっと他の手術でも同じでしょう。
予定通り12時30分に徒歩にて手術室へ、別に足を取り替えるわけではないけれど(この足とはこれでお別れだな・・・)などと変な感傷に浸りました。氏名や生年月日、手術部位の確認のあと手術台に上がり、あっという間に麻酔が効いてその後の記憶はありません。
「たまねこさーん、わかりますかー?終わりましたよ」
で目覚めました。
病棟に戻り、ナースステーション直近の個室へ。麻酔が覚めて来るにつれ手術部位の痛みが増してきます。
「たまねこさん、今の痛さを1~10で表すといくつですか?」
そんなの知らん!10って気絶するくらいなのか?それとも拷問で秘密を吐いてしまうレベルが10なのか? よくわからないけど
「8!」
と言ったら、
「痛み止め点滴しますねー」
しばらくして全く痛みが無くなりました。その日はベッドサイドモニタの自分の心拍を聞きながら、うつらうつら寝てるのか起きてるのかよくわからない状態で過ごしました。時折、様子を見に看護師さんが出入りしている気配を感じました。ありがたいことです。
手術が終わった段階で、傷口のドレーンと排尿のためのカテーテルが差し込んでありました。

11月15日(5日目・術後2日目)

未明に看護師さんが床ずれ予防のために、身体を横にしてくれました。右足に力を入れようとすると痛みのため力が入りません。動かないでいれば全くと言っていいほど痛みはありませんでした。夜が明けて看護師さんに点滴に痛み止め入っているのか聞いたら入っていないとのことで、ちょっと驚きです。このとき一番痛かったのは手術の傷口ではなく、排尿用のカテーテルでした。
朝食は通常通り食べましたが、抗生剤の点滴が残っているため左手には針を残したままでした。午前はほとんど横になって過ごしましたが、執刀していただいた先生や麻酔科の先生の問診などありました。
おしっこに行けるならカテーテルを外せるということで、歩行器につかまって立てるかトライしてなんとか歩くことができ、カテーテルを抜いてもらいました。抜くときの痛みは経験がある方ならおわかりでしょう。
午後リハビリの先生がいらして軽く術後のチェックと明日からの流れなど説明を受け、病棟の看護師さんも立ち会って病棟内を歩行器で1周しました。午前に比べ、動かしても痛いは痛いけれど軽くなっていました。気が付きませんでしたが、傷口のドレーンから血やら体液やら結構出てきたみたいです。

11月16日(6日目・術後3日目)

朝食後若手の先生が来て、出血がほぼ無くなったとのこのでドレーン抜いてもらいました。特に痛みもなく、数分で終了しました。
ほどなく、看護師さんがやってきて
「シャワー浴したいならお手伝いしますけどどうします?」
と、通常シャワーは午後からなのですが介助の必要な患者は午前に入れます。
「お願いします!でも、一人で大丈夫そうですよ」
「なにかあると困るので、あと背中とか手が届かないところもあるし」
脱衣所で椅子に座ると看護師さんがパジャマを脱がせようと手伝ってっくれます。
「一人でできます。大丈夫です~」
「あー、そうか!足ですものね・・・」
この病院の整形外科は脊椎の疾患に特化していて、40年前にお世話になった先生も実は脊椎疾患の権威なのです。なので私以外の患者さんはみな、首や腰の病気ですから上半身が自由に動く患者は初めてだったそうです。看護師さんも
「終わったら包帯巻きますから、呼び出しボタン押してください」
と言ってナースステーションに戻って行きました。
シャワー浴後、リハビリの先生が迎えに来て、歩行器を使ってリハビリ棟まで行きました。痛みが出ない範囲で軽く膝を曲げる程度で終了。正味30分ちょっとでした。帰りは杖を渡され今後は杖での歩行練習をすることになりました。

11月17日(7日目・術後4日目)

午前、3回目のリハビリに行きました。ロープを足首と膝の部分に取り付け上からほんの少しだけ浮かせた状態で膝の曲げ伸ばしを行いました。手術前に比べ可動域が40度程度まで増えていますが、それ以上は曲げられそうだけれど痛みが増して無理そうです。切った筋肉も痛いですが、そもそも50年間そこまで伸びてなかった他の筋肉や筋が悲鳴をあげます。筋トレの一環でスクワットも行いました。杖を使わないで鏡に向かって歩いてみると、50年間の身体の癖というか、左に比べ右足のガニ股が目立ちます。痛いからガニ股になっているわけではなく、これまでそういう格好で歩いてきたため意識しないと左右対称にはなりません。手術前に先生から何年間かかけて回復してくると言われた意味がわかります。
午後は売店まで歩いて行き8日ぶりにコーヒーを飲みました。往復で1000歩強、650mくらい歩きました。疲れは感じず、右足が腰より後ろに行くときに腿の前面上部が痛みます。いままでそっちの方向に足が行くことなかったから、新感覚です。
感覚といえば、切開した部位から膝にかけて右太腿側面の感覚が鈍いのに気づきました。皮膚表面に触っても、うっすら痺れたような感覚しかありません。先生曰く、
「気にしなくてもいいんじゃない?」
まぁ、言いたいことはありますが、何かと引き換えに何かを得たと思えば気にするまでもないのかも知れません。ネットで検索してみると、やはり私と同じように切開した部位の感覚が無くなったり痺れたりという事例は沢山あるようです。

11月18日(8日目・術後5日目)

リハビリも4日目です。が、最終日となりました。抜糸予定が21日で退院予定が翌日ということで、もう少しリハビリをしたほうが良いのでしょうけど一朝一夕で劇的に変わるものでもないのかなと・・・
最後なので、日常生活で一番不安な階段の昇降練習を行いました。右足で昇るのは余裕でできますが、左足から先に降ろして右膝を曲げる動作は切断した部分の傷が癒えていないため激痛が走りましたが出来なくはないといったところです。焦らずやっていくしかないのでしょう。

11月19日(9日目・術後6日目)

リハビリがないのでベッドでストレッチや筋トレなど。試しにうつ伏せで右膝を曲げてみると40度は余裕で曲がりますが、そこから少しずつ痛みも増してきます。手術前と明らかに違うのは以前は勝手に尻上がりしていましたが、今は尻上がりを堪らえようとすればそれができるということ。他の筋肉や筋の兼ね合いもあるのでそれも限界があり、何年かかるか分かりませんが今後の回復に期待したいところです。

11月20日(10日目・術後7日目)

手術してからちょうど一週間。手術翌日には歩けたもののどこまで回復できるのか不安でしたが、痛くない立ち方などコツを掴めばそこそこ歩けるようになりました。小学生の時分、同じような手術をした人の話から想像していた拷問のようなリハビリなど全くなく、手術法が確立したからなのか、症状が軽いだけなのか、良い痛み止め薬があるからなのか、よくわかりませんがとにかく思っていたより痛みや苦痛が少なく過ごしたように思います。
日曜なので外来患者もいないので、売店でコーヒを買い静かな待合いスペースで新聞を読むなど。売店は2階、待合いスペースは1階なので敢えて階段で移動してみましたが、調子に乗ってコケたりする心配はありますが、なんとかなりそうです。入院時は松葉杖で退院などと想像していたので上出来ですが、早々に職場復帰となりそうで、それはそれで複雑な気持ちになります。

11月21日(11日目・術後8日目)

起床直後、退院に向け療養中に感染症や薬の影響が内臓に及んでないか調べるとのことで採血しました。その後先生がやってきて抜糸をしていただきました。人生初抜糸でしたが、一瞬で終わりました。傷口も問題ないとのことでした。手持ち無沙汰で荷造りなどして過ごしました。
夕方近くになって先生との面談がありました。採血の結果は問題なく、積極的に関節を動かして切った筋肉の癒着など防止するようにと、足をグイグイ曲げられ拷問(指導)されました。なるほど、これが昔行われていた苦痛を伴うリハビリなのね。逆にこれくらい無理しないと再手術ということにもなりかねないということでしょう。

11月22日(12日目・退院日)

いつものように起床、朝食を摂りました。程なくして若手の先生がやってきて昨日の抜糸後の傷の具合をチェックしてもらい、あとは医事課からの請求書をひたすら待ちます。祝日前だからなのか退院患者が多いそうで時間がかかるとのことでしたが10時前に請求書が病室に届き、窓口で支払いを済ませました。参考までに私の場合、限度額適用認定証をあらかじめ用意していましたが16万くらいでした。迎えの人は病院内に入れないルールがあるので(実際入ってきてもわかりませんが)入り口からスーパーによくある大きめのカートを押して病棟に戻り、一人で荷物を積み込み看護師さんのチェックの後、挨拶もそこそこに帰途につきました。入院時と同様バスでの移動を覚悟していましたが、義母が車を出してくれたのでさほど歩かずに済みました。寝てるのが仕事みたいな病院と違って、自宅ではじっとしているわけにもいかず、もう少し入院していたかったなと思いました。

11月24日(14日目)

リハビリのため、犬の散歩や買い物に行きました。そのときは良かったのですが、夜になって腿が熱をもって来ました。病院から処方された鎮痛剤を服用して寝ました。


定期検診

翌2月22日(退院3ヶ月目)

退院時に予約された定期検診日でした。問診後、ベッドにうつ伏せになり、ひざの曲がり具合を測定するなど・・・
あとはストレッチあるのみとのこと。一年後とかまた診察かと思いきや、本日で終了と言われました。
毎日念入りにストレッチなどすればもっと可動域が広がっていくのでしょうが、これまでの不自由に比べれはずっとマシなので積極的なリハビリはしていませんでした。


終わりに

手術前は肩こりや頭痛に悩まされていましたが、それが改善されたのはかばう動作や姿勢がなくなったためだと言えると思います。マシになったとはいえ下り坂では腿の後ろ側への可動域が足りていないのを実感します。あとは数年単位で徐々に改善していけば御の字ではないでしょうか?

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