見出し画像

珈琲屋と、喫茶店と、カフェと。


喫茶店、カフェ、珈琲屋。

他にも色々あると思う。似ているようで似ていない空間に、独断と偏見に満ちた区分があって何気ない会話にも違和感をもって生きている。

はじめて、喫茶店或いはカフェに訪れたのはいつだったか。一番新しい記憶にあるのは、小学生の頃。三者面談を一番最初に終えた後、向かうのは母が選んだお店たち。異空間が広がる純喫茶だとか、非日常的な飲み物が出てくるカフェだとか、珈琲を抽出する景色が美しいカウンターがある珈琲屋だとか。
最初は特別な一軒だけだったはずが、ハシゴを覚えて店の選択肢まで覚えてしまった。
同級生全員が嫌がる三者面談の日が待ち遠しい学期末。そんな記憶から始まる茶店でのお話。

最初は母同伴だった喫茶巡りも気付けばひとりで向かっている自分がいた。土曜日の補講が面倒な時、なんとなく習い事に遅れて行きたい時、予定がない日の夕暮れ時。
お気に入りのお店の、お気に入りの席で、ひとりの時間を過ごしたあの瞬間は今となってはいい思い出。

聞くところによると、母も学校帰りひとりで茶店に行くようなマセた女の子だったらしい。これに関しては遺伝かもしれない。

自分の住んでいた町には、なぜかは分からないが結構な数の喫茶店があった。もちろん珈琲屋も。お洒落でイマドキとは異なった、趣しかない純喫茶たちが。平成も令和も似合わない昭和感満載の。
令和に近づくにつれて、お洒落なカフェといったものも増えてはきたがカフェと喫茶はけして同一視できるものではない。
「今日は喫茶店の気分」と「今日はカフェの気分」が全く異なるものであるように。

では、珈琲屋はどうだろう。
独断と偏見に満ちた個人的な意見としては自家焙煎であり、ブレンドだけでなくストレートの銘柄があり、1杯ずつ丁寧に抽出してくれるのが珈琲屋だ。
今では「本当に美味しい」ブレンドというものに敬意を抱いてはいるが、根っからのストレート派の自分にとってブレンド以外の銘柄が置いている店は珈琲屋に来たと思わせる要因になる。
サイフォンは趣があり、ネルドリップだとなおよし。最近はペーパードリップにも許容を持つようになった。
たっぷりマグカップいっぱい、なんて量はいらない。味がしっかり伝わるような濃い味がお好み。食器が美しければ大層満足。

ひとりで制服を着たまま小説を片手にシャンソンを聴き入り浸ったお店、無音すらも愛おしく動作音が心地よいお店、食べるもの全てがはじめましての驚きに満ちたお店、目の前で起こる全ての動作がパフォーマンスのように感じるカウンターがあるお店。

空き時間があれば目指してしまうような、そんなお店の発掘に心を躍らせ本で探し、インスタリサーチというなんとも便利なもので回遊する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?