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テレビスター「ドルムリンのブナの木」を追いかけて

 人間界にスターがいるように、植物界にだってもちろんスターがいる。美しさや大きさや希少性といった人間の価値観で選ばれたものが、カレンダーのモチーフとなったり、SNSで話題になったりしてスターダムをのし上がっていく。植物の側にしてみればなんと勝手なことを、と思っているに違いない。


 「ドルムリンのブナの木」もそんなキラ星のひとつ。ミュンヘンからそう遠くないところにいると知ってしまったからには一目見てみたい、と思うのは植物好きの性というもの。アイドルへの思いを募らせる女子高生のごとく、ドイツ植物界のスターを追いかけてみた。

ブナの木は正真正銘のテレビスター


 「ドルムリンのブナの木」はその名は知らずとも、姿を見たことがあるという人はかなり多い。それもそのはず、長らくバイエルン放送局の放送休止時間中の静止画像として使われ、今も土曜17時から45分間流れるドキュメンタリー番組「シュペスアルトとカーヴェンデルの間で」(“Zwischen Spessart und Karwendel")のタイトル画像に使われているのだ。

 露出の多さでは群を抜く、つまり正真正銘のテレビスター。お茶の間への浸透度という点では「気になる木」として知られる日立の樹にちょっと似ているかもしれない。

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 バイエルン各地の歴史や風俗習慣、文化とそれにまつわる人々にスポットライトをあてて紹介する人気長寿番組のオープニングに流れるのはのんびりとした民族楽器の調べと丘の上に立つ一本のブナの木の画像。番組が流れる季節に合わせて木の装いも変わる。冬は枝に雪をまとい、春は新緑の芽吹き、夏は濃い緑の葉を広げ、秋は夕暮れをバックに葉を落とした姿へといった具合に変化していく。


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我が道を行く、バイエルン気質をブナに重ねる

 番組のホームページには、この木をタイトル画像に選んだ理由として「バイエルンの変わらぬ特性を体現しているから」とだけある。四季折々に変わっていくブナの姿はバイエルン人が故郷を思い描く時、頭に浮かぶ一般的な風景と言いたいのかもしれない。


 その一方でバイエルンという言葉をバイエルン人という言葉にも置き換えてみることができるのではないだろうか。

 バイエルン人のモットーとして「ミア ザン ミア(Mia san mia)」という言葉(サッカークラブ、バイエルン・ミュンヘンのスローガンでもある)。直訳すると「我々は我々」。少し禅問答のよう響くが、我が道を行くという意味が込められている。

 バイエルン人の方言や民族衣装、伝統文化へのこだわりを見ればそれはとても納得できる。強い郷土愛はドイツの他の地域の人たちから、時に嘲笑の的にされるほどだが当の本人たちは意に介すことは全くない。まさに我が道を行く、なのだ。


 そしてもう一つ、バイエルンでの生き方の流儀とされるのが「レーベン ウント レーベンラッセン(Leben und leben lassen)」。レーベンとは生きるという意味で、自分の好きなように生きると同時に他の人の異なる生き方も認めようという寛容の精神として受けとめられている。


 そのような二つの言葉をドルムリンのブナの木の姿にあてはめてみることができないだろうか。姿、形だけなら他にいくらでも美しい木はあったろう。でもこの木があえて選ばれたのは、我が道を行く一匹狼のような圧倒的な存在感を持ちながら、はるか後方に時折のぞくアルプスの山々や周りの自然とも溶け合っているようにみえるのが魅力なのだと思う。

 タイトル画像にはバイエルン人の考える理想的な生き方を木に込めたのかもしれない、と思えてくるのだ。

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アンデックス修道院への巡礼道の途上に


 さて追っかけの報告に移ろう。会いに出かけたのは8月24日。薄曇りのまあまあの天気だ。ドラムリンのブナの木はラントシュテッテンというミュンヘンから西に約12Kmの場所に位置する。シュタルンベルク北駅から乗り込んだバスは、古い家が立ち並ぶ街を通り過ぎて小さな集落を回っていく。ミュンヘンという都市の近くにも関わらず遠くの田舎に旅行に来たような気がしてくる風景だ。


 さらにトウモロコシ畑と牧草地が両脇に広がる道をぐいぐい勢いよくバスは走る。この道は近くにあるベネディクト派のアンデックス修道院に続く巡礼の道で、修道院のロゴを付けたビール醸造所や牛乳工場のトラックも頻繁に通り過ぎていく。


 そして乗り込んでから約20分たち、さあ降りようかとリュックサックをつかんで窓の左側に顔を向けた時、小高い丘にテレビで見慣れたブナの木が現れた。ドルムリンのブナだ!心の中でガッツポーズ。

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ドラムリンは氷河期の名残の地形


 バスを降りて木の方に歩いていくと、辺り一帯がラクダのこぶのようにでこぼこしているのが見える。この地形こそが日本語で氷碓丘(ひょうたいきゅう)といわれるドラムリンなのだ。氷河によって削り出された砂礫が堆積して作られたスプーンを裏返したような楕円状の形の丘を指す。ここら一帯は約一万年前の最後の氷河期の末期に形成された地形だという。

 かくしてその上に立つ、ドラムリンのブナの木という名がつけられた。

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老いの影が忍び寄るブナの木


 歩道をはずれ、草むらをかき分けて丘にのぼった。遠目にも分かっていたのだが「ドラムリンのブナの木」には老いの影が濃く忍び寄っていた。ブナの樹皮に特徴的ななめらかな幹肌はゾウの皮膚のようにヒビ割れてゴワゴワしている。ゾウの足のようにも見える根もところどころがコケや地衣類に覆われていた。

 見上げた樹高は約15mほどだろうか。片側の大枝は無残に折れ、残った枝を支えるための鋼製ロープが何カ所も張られていて全体のバランスが大きく崩れている。幹の脇からはトネリコや野バラとおぼしき植物も生えだし、いかにも老いたブナを追いやろうとするようにも感じられる勢いだ。                   

 写真で見る、かつてまとっていた鋭いオーラも消え、テレビで見る活力あふれる木の姿は過ぎ去った若かりしころの雄姿だったのだと今さらながら思い知らされた。

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 番組のタイトル画像に採用されたのは1978年。それから40年以上の歳月が経っていると冷静に考えれば無理もない。専門家によると、ブナの樹齢は150年から180年。250年ほどの長寿も珍しくないが、ドラムリンのように何もさえぎられず、守られることなく風雪にさらされている場合は、その負担分だけ寿命も短くなるらしい。


 往事の美しい姿を拝むことができないことに落胆したのは否めない。でも人のことを、いや、木のことを言ってられない。自分だって、白髪が増え、しわやシミはもはや当たり前。少し無理をすれば翌日には体調にガタが来るという体たらくで、完全に盛りは過ぎている。言ってみれば「お互い様」というヤツだ。

 

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あるがままに、ありのままに生きる


 よく見るとドラムリンのブナの木は三本の木が寄り添うように立っており、それがあたかも一本の木のように見えていることが分かった。なんだ一人じゃないんだ。その姿はまるで家族や仲間とワイワイにぎやかにビヤガーデンで集うバイエルン人のようではないか。孤高の一匹狼じゃなくて、三匹狼ならば老いてもなお楽しくやっているのだろう。

 それに葉の茂る様子からはまだまだエネルギーがみなぎっているのが感じられる。次の世代を残すための実だってたくさんなっているし、根元には種から発芽したブナの幼木も生育っているのではないか。おじいさんたち(おばあさんたち)が孫を育てながらのんびり余生を過ごしているような印象さえしてくる。

 バイエルンを代表するテレビスターの矜持として、木といえど老いさらばえた姿は見せたくないのかもしれないかも、お邪魔しちゃって申し訳なかったかな、なんて思いが一瞬よぎったのはいらぬおせっかいだった。

 人間の思惑など少しも関係なく、あるがままに、ありのままに木は朽ち果てるまで生の営みを続けていくだけなのだ。そしてその姿は若いころと変わろうとも、また違ったいぶし銀の光を放っていた。


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見届けるのだ、木の生き様を


 木の横に立ち、頭の上を通り過ぎる雲と時間の流れを一緒に味わうかのようにひと時を過ごさせてもらった。横の牧草地を走る機械の音が規則的に続いてどんどん草が刈られていく。なんとも名残惜しいが、ずっとそこにいるわけにもいかない。
 

 「また来ますから」。声をかけても当然答えは返ってこない。でもまた押し掛けてやろう、一ファンとして老スターの生き様を見届けてやるのだ。

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