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仕事は人生の暇つぶしに過ぎない

コロナ禍において、エッセンシャルワーカーという言葉が定着したようにおもう。

エッセンシャルワーカーとは一般的に医療や福祉、第一次産業や行政、物流や小売業など、いかなる状況下でも必要とされる社会生活を支える職種のことを指す。

それではラーメンが好きすぎて、毎日ラーメン屋に行かなくては精神が保てないような人にとって、ラーメン屋はエッセンシャルワーカーにあたるのではないだろうか。

タバコを製造するメーカーは、定義としては非エッセンシャルワーカーになるかもしれないが、タバコを吸わないと禁断症状がでるような人にとってみたらエッセンシャルワーカーであるともいえる。

エッセンシャルの定義が人によって違う以上、一概にこの職種はエッセンシャルワーカーですとはいえない。

一方で、ブルシットジョブという言葉もある。

ブルシット・ジョブ(BSJ)は、完璧に無意味・不必要・有害な仕事を意味し、それを行う人の精神を傷つける。

ブルシットジョブの定義もエッセンシャルワーカーの定義と同じくらい難しい。

完璧に無意味という言葉をどう捉えるかによるが、そもそも人間が生きていること自体が無意味であるというニヒリズム的解釈もできるわけで、そうなってしまえばあらゆる仕事に意味がないともいえる。

なにが言いたいかというと、あらゆる仕事は誰かにとっては無意味で、誰かにとっては意味があるということだ。

また、時代によって必要とされる仕事は変わってくる。ITやテクノロジーが進歩したことでなくなった仕事もある。切符切りの駅員さんはその最たる例だし、レジ打ちの職員の数も減りつつある。

あらゆるスキルは30年もしたら殆ど使い物にならなくなるのだから、仕事において成長を求めるというのも実に意味がないことだ。

しかし、この世界から会社がなくなったらどうだろう。殆どの人は明日からやることがなくなり、暇になるだろう。

私はあらゆる仕事は人生の暇つぶしだと思っている。だから、飽きたりつまらなかったりしたら仕事はやめるし、この仕事でなければならないというこだわりもない。

実際、私はいままで様々な業界で仕事をしてきたし、数えきれないくらい転職もした。

会社員でよかったことは、飽きたら辞めて全く違うことができることだ。

会社を経営してたらそうはいかない。どんなにいまの仕事に飽きたとしても、従業員の生活を守るために同じような仕事を続けなくてはならないからだ。

会社員は気楽で良い。よく、会社員でも経営者視点を持ちなさいというが、経営者視点で物事を考えたくないから会社員になったのであって、逆に経営者にも会社員視点を持ちなさいと私は言いたい。

ちなみに私も一瞬だけ会社経営に乗り出したことがあるが、合わなくてすぐやめた。経営者ができる人間は限られていると悟った。

会社員は経営者に搾取されるだけと思っている人は勘違いだ。いまや搾取するだけの企業は人が集まらず衰退していってる。コロナ禍で多くの企業が赤字に陥ったが、それでも続いている企業は会社員のために借金をしているからだ。

終身雇用の時代は終わりを告げ、あらゆる企業で活躍できるスキルを会社員は求められている。

会社員も楽ではないが、少なくとも何もしない苦痛に比べたら、私は遥かにマシである。

#会社員でよかったこと

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