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自分を認める

 朝起きて、「なんか変な夢見たな」って思ったときは、だいたい自分だけがうずくまっていて喋れない夢を見ている。今は現実でほとんどそんなことは起こらないのに、夢ではよくある。

 喋れないことがよくないことって思うからそういう夢を見る、らしい。倫理の先生はそう言っていた。でも、いつかちょっと倫理の先生に聞いてみたいことがある。ここでは何回か書いているけど、他の人が喋れないとしても、私は全然いいよ!筆談でもなんでも、自分が話せる方法で話そう!と思う。喋れない気持ちが分かるからかな。でも、私が喋れないときは、自分になんで??意味分からん、喋れよ、黙ってても伝わらんで?と思ってしまう。自分の何がそんなに嫌なんだろう。でも、許せない。

 「喋れなくてもいいよ、他の方法で話そう」とたくさん言われて育ったはずだ。どんな私でもそのままを受け入れられて育ったはずだ。なのに。

 「喋れなくてもいいよ」と言ってくれる人は、自分が喋れなくなるとして、自分にも同じように思えるのかな。人類のほとんどがそう思えるならすごいとしか言えない。実際どうなのかは分からないけど、聞ける人には聞いてみたい。

 まあだから、自分では認められそうにないこともあるけど、それを他の人に認めてもらうことで均衡を保っているのかもしれない。私には自分を全部認めることなんかできない。だけど、お世話になっている人たちから認めてもらうことで、どうにか生活を続けているのかもしれない。

 心の中では叫んでいるのに実際は声すら出ていなかったり、心の中では地団駄を踏んでいるのに実際は動いてすらいなかったり、心の中ではうずくまっているのに実際は下を向いているだけだったり、心の中では周りのものをなぎ倒しているのに実際は机をにらんでいるだけだったり、気持ちが行動にならないから夢に出てくるのかな。辛いね。

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