おきな@場面緘黙症
私の物語(フィクション、ノンフィクション共に)を集めました。
小さな子供たちと優しいお兄さんの生活を描いた物語と、そんな場所を実現させるための計画についてです。
私の場面緘黙症者としての経験をまとめていきます。
通信制高校に転校してからの私の記録として使います。
好きな歌詞など。
昨日の、時計の心拍数を見たら、160分も運動したことになっている。そんなわけあるかい。 でも、自分の体全部が心臓になったんじゃないかってくらいどきどきしていた。そう、昨日は卒業式。 会場に着いて、代表で何かの動きをする子と一緒に中へ入った。席に座って、その練習が終わるのを待った。結構長いように感じた。 1回やってみて、返事はできなかった。でも、担任は全くそのことに触れないし、「返事できると思ってるだけでいい」って言ってくれていたのに、最後は私に意識させないように
今も画像のように腕でシュークリームと大福になっていて、片手で書いている。その2つの丸がゆっくり呼吸して揺れているのがとてもいい。お菓子を食べたいけど、今はがまんする。できるだけ動かず、音を立てないように努めながら、たいせつたちが寝るのを見ながら、いつも私もうとうとしてしまっている。 我が家は9人家族だ。いや、人、ではないのもいるので、正しくは9匹家族だ。他のニンゲンがどう思っているのかは分からないけど、私は鳥もうさぎも対等だと思っているから。支え合って生きている。
朝起きて、「なんか変な夢見たな」って思ったときは、だいたい自分だけがうずくまっていて喋れない夢を見ている。今は現実でほとんどそんなことは起こらないのに、夢ではよくある。 喋れないことがよくないことって思うからそういう夢を見る、らしい。倫理の先生はそう言っていた。でも、いつかちょっと倫理の先生に聞いてみたいことがある。ここでは何回か書いているけど、他の人が喋れないとしても、私は全然いいよ!筆談でもなんでも、自分が話せる方法で話そう!と思う。喋れない気持ちが分かるからかな。
いつ頃からだろうか。大人になっていく自分の体が変だなって思うようになったのは。 今もずっと、自分の体を好きになったことはない。物語みたいに誰かを好きになったこともない。好きな誰かと一緒に暮らしたいとか、自分の子供がほしいとか、思ったことがない。恋愛にも興味がない。好きな人といっても子供の「あの子が好き!」レベルの「好き」だと思う。 私は生まれたとき、「元気な女の子です」と言われたはずだ。同世代のみんなはメイクをしたり、かわいい服にお金をかけたりする人が多いと思うけど
薬を減らしていたんだけど、3月末にまた減って、水曜日からめまいがしていた。木曜日がいちばんひどくて、ずっと横になって休んでいたけど、夜になって視線を動かすのも苦痛になってきて、病院に行きたいと言いに立ったら苦しくなって泣いて過呼吸になってしまった。 調べたら、離脱症状だろうなと思った。薬が入ってくるのが普通になっていて、飲まないと体調が悪くなるらしい。 4月になってから不安がすごい。3月はずっと動いていたっていうのもあるけど、春だからかなあ。生きものなら、春にふわふ
私には弟が1人いる。3歳下だから、この4月から高校生になった。県内で5位ぐらいの、超絶賢い高校に、推薦で受かった。弟がそのコースに受かったと言ったら、知っている人は「異次元」と言う。続けて、「高専も異次元やけどな」と言う。いや、別に私のフォローはいりませんよ。 弟の方がなんでもできる。勉強もそうだし、音楽もゲームもルービックキューブも。友達付き合いも上手で、幅広い友達がいる。嫌いな人はいないらしいし、頼まれたらクラス代表になったり、文化祭の有志にもピアノで出る。英検は中
鬼ギャルでおなじみの平熱先生の奇祭↓ に行ってきた。そう。私も平熱先生の狂った愛人リストに仲間入りしたというわけ。 決めたのはこの情報が出された日、2月29日だった。即決。仕事始めたり、学校に行き出したりすると行きにくいやろうなって思ったのもあるし、なんとなく行くしかないと思った。(次の日から4日連続早起きで、早く寝る予定だったのにアガって寝られなかった。)迷う理由がなかった。 とにかく、それまで意図していなかった、初めてのひとり旅の予定ができたというわけ。新幹線
小学生のとき、この世でいちばん苦手な遊びはハンカチ落としだった。中学生になるとしなくなって、身近ではなくなったから、苦手意識がなくなった気がしているだけで、今誰かに誘われても絶対にしないだろうなと思うくらい、まだ苦手なままでいる。 ハンカチ落としって、みんな知っているものなんだろうか。一応、説明を挟んでおくと、鬼の1人以外が円になって、手を後ろにして座って、鬼がその周りを走りながら、誰か1人の手にハンカチを落とすと、落とされた人は鬼を追いかける。1周するまでに鬼をタッチ
環境がやっぱりとても大事なんだな、と改めて実感した話。 私だけ、心配だったから卒業式の練習をさせてもらった。先生たちの、前日リハーサルのリハーサルに付き合ったり、証書を受け取る動きを確認したり、返事の練習をしたり。いちばんは、返事が本命なんだけど。 どうしても最初は喉が詰まって声が出なかった。返事ができないと、いつ動き出していいのか、タイミングがつかめない。それを考慮して、担任が「5秒数え切ったら、動き出してみて。そこからまた5秒経ったら、誰かに助けてもらうようにす
とても幸せなことが進んできている。 毎日の幸せは、大きくなくていいんだ。 小中からの親友と一緒に、小5、小6の担任の先生とか中学3年間の学年主任の先生とかに会いに行く連絡をしているところで、楽しみだなあと思っている。特に小学生時代の担任の先生は、小学校の卒業式以来ほとんど話していないから、もちろん私の声も聞いたことがない。どんな反応をするかが密かに楽しみだったりする。昔は怖かったことが、楽しめるようになってきていて、成長を感じる。何も怖がることなんかないんだよ、きっ
今週で終わってしまうものが多い。 その証拠に、渡す手紙が5組もあった。先週たくさん書いた分。 今年はしんどかったし、いろんなことがあって考えて、前に進んだり後ろに進んだりした。自分を見失って、また見つけて。 成虫の前にサナギになる完全変態の虫は、サナギの中で一度どろどろになっているらしい。中では、どこがどんな形だったかなんて、区別がつかなくなる。だけど、サナギから出てくるときには、きれいな羽や、かっこいい角ができている。 私はサナギになっていたんだな、と思う
昨日までの4日間で、私を取り巻く環境はとても変わったし、私自身も変化した。個人的すぎて、全くと言っていいほど詳しく書けないんだけど、一応書くだけ書いてみる。 文化祭の準備で指示を出したり走り回ったり、当日は音響をして最後まで調整したり、もうすぐ卒業することを高専の先生に報告しに行ったりもした。ずっと、私の存在が必要な4日間だった。とても幸せなことである。 文化祭のことから書くことにする。11月からほぼ毎週話し合いがあって、委員長を手伝ったり、企画担当のリーダーとして
最後まで深夜テンションでお送りします。 まず、何がどうなってこんなにねぼすけな私が4日も連続で7時半に起きるのかというと、文化祭の準備とか、文化祭とか、たまたま最終日は高専に行く予定ができたからである。 しかし今日(昨日?)、不覚にも長時間昼寝してしまった。22時に全て終わって、寝よう!となったけど24時まで寝られなかった。そこから翌3時に目が覚めたので、3時間も寝ていない。関係ないけど、昨日飲んだココアが予想以上に熱くて火傷した舌が痛い。猫舌です。 前置きが長
喋れなかったときのことを忘れたくないなあといつも思っている。 もう、一生緘黙の人と関わらないならいい。でも、きっと(そういう仕事をしなくても)、一度は出会うと思う。そんなときに、昔の自分がどう思っていたのかとか、忘れてしまっていては意味がないと思う。その人に対しても、昔の自分に対しても。 文章を書いたり、絵本を書いたり、形に残ることをしているのはそのためでもある。 でも、残すにはまず自分の中に、残したいものがないといけない。今はありがたいことに話せない場面がほぼ
私の場面緘黙症についての絵本ができました。 拙い絵ですが、今の私にできることをたくさん詰めたので、最後までご覧ください。 「ぼくとフーセン」作、絵 おきな 伝えたいことは全て、絵本の中に入っているので、私がここに書けることはありません。 いいねやコメントを、次回作を作るときのやる気にさせていただきます。よければ私の次回作もご期待ください。
大人になるまでにいなくなる、と書いたあの日。 「無駄にする」と決めたあの日。 やっぱり無理だ、と思ったあの日。 たくさんのことがあったけど、今日、私は18歳になりました。おめでとう。 厳密に言うと夜の7時ぐらいに生まれたから、まだ17歳か。 いやでも、誕生日なんだから、もう大人ですよ。大人なんだから、少しずつ、自分を赦していけるといいな。気楽にいきたい。 いろんな人に、13日が誕生日なんです!!と言ったから、いろんなお祝いをもらえて嬉しい。来週ぐらい