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元・緘黙として

 喋れなかったときのことを忘れたくないなあといつも思っている。

 もう、一生緘黙の人と関わらないならいい。でも、きっと(そういう仕事をしなくても)、一度は出会うと思う。そんなときに、昔の自分がどう思っていたのかとか、忘れてしまっていては意味がないと思う。その人に対しても、昔の自分に対しても。

 文章を書いたり、絵本を書いたり、形に残ることをしているのはそのためでもある。

 でも、残すにはまず自分の中に、残したいものがないといけない。今はありがたいことに話せない場面がほぼないから、記憶の中から引っ張り出してくるしかない。それは、たまに辛くて苦しいときがある。だけど、さっき書いたように、何もせず忘れていくのは私の信念に反することになると思う。

 私には文字があるから、書いていくしかない。

 ゆっくり考えたら、ちゃんと言葉になる。

 怪我をしても先生に言えなかったり、トイレに行きたくても行けなかったり、友達と遊びたくても遊べなかったり、一方的に何か言われて腹が立っても言い返せなかったり、とにかく全てが不安で怖くて、全てが自分に直結している気がする感じ。まだ、少しは覚えている。

 元・緘黙とは書いたけど、喋れるようになったからといってゴールなわけじゃない。人と話したあとに、「変な話し方だった…」と自分が嫌いになることはまだある。それは一生付き合っていく方の自分かもしれない。うまくなだめられるようになったらいいけど。

 昔、倫理の先生が言っていた、「完璧に言おうとしてるから話しづらいんちゃうん?思いついたことを、そのまま言ったらええねん。」ってことだけど、まだ言いやすい言葉に変えて言おうとするところがあるから、考えずに何もかも話せるようになりたいな〜と思っている。それはまたおいおいだな。

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