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隠し子(一部分)

長船契が不登校になっていた義也と再開したのは、冬休みが明けて数日経った頃。放課後にふらっと立ち寄ったイトーヨーカドーのゲームセンターの中だった。
「あれ?ひょっとしてチギちゃん?」
長いこと聞いていなかったよく通る声。
170センチはあるスラッとした背丈を茶色のロングコートで包み、白いTシャツ、紺色のジーパン、履き古したサンダル。もさもさと生え茂った茶髪。
最後に見た時と姿が一変しているが、契は「間違いない」とすぐに思えた。
「江本くん?江本くんなの!?」
「苗字で呼ぶなって。ヨシって呼べよな。チギちゃん」
「あっ、ごめん。ヨシくん」
あだ名である「チギちゃん」と呼ばれる度に、久しい顔と再会したことへの驚きと喜びが確かなものになる。
「んなことより、チギちゃんがここにいるなんて珍しいね」
契がゲームセンターにいるイメージのない義也が、似合わないなとケラケラ笑う。変わらない笑い方に、契は安心して頬が緩む。
「珍しい?私だってゲームセンターくらい行くよ?一人では来ないけど」
契は機械に百円玉をひとつ入れる。機械がポップな音楽を奏でながら作動する。
契が神経を集中させてクレーンを動かす様子を、義也は静かに見守っている。
契が狙っているのは、濃い緑色をしたチェキカメラ。撮影に必要なフィルムもセットになっている。普通に買うと一万円は超える代物の為、契はこのチャンスを逃すまいと全財産を賭ける気でいた。
レバーを握る手に、じんわりと汗が滲む。残りの残高が少ないこともあり、この一戦で確実に手に入れるつもりだった。
クレーンの狙いを定めて下矢印の降下ボタンを押した。
契は静かに胸元で手を合わせて祈った。クレーンのアームは三本の爪を広げて景品に向かって下がる。そして爪は、バランスよく景品を掴んだ。
「よし!キた!」
ようやく見えてきた奇跡に、契の声は思わずボリュームを上げる。
しかし、その希望は無慈悲に絶たれた。
景品は重さによりアームの爪からするりと落ち、正方形の穴の縁に寄りかかった。
「嘘…こんなことあり…?」
「あーれま」
元の位置に戻っていくクレーンに、契は力なく肩を落とした。
その契の様子を、義也は見ていた。そして契に近寄って声をかけた。
「俺やってみたい。いいかな?」
それは、自信に満ちた一言だった。
「え?ヨシくんが?」
落胆している最中のため、契はすぐにその言葉を飲み込めない。
「昔からこういうの得意でさ。なんか、イける気がする!」
「大丈夫…?あと五百円しかないし…」
財布の中身を見て契は溜め息をついた。
「なら百円、一回分でいいから」
義也は手を差し出して、契に頼んだ。
契は財布の中身と義也の手を交互に見ながら、うーんと迷っていた。
貯金が惜しい。しかしここで諦めたら、二度と手に入らないものかもしれない。プラスとマイナスの葛藤が、契の頭を回った。
「まぁ、いいよ」
迷った末に、契は百円を義也の手に置いた。
「ありがと!取ってやるからみてな!」
「取れなかったら、何か奢ってね?」
「まぁ…百円分ならね」
義也は自信満々な様子で百円を入れ、機械を作動させる。先程の契のように、細かい微調整や奥行の確認などは全くしていない。
契は少し不安になってきた。この様子を見て、取れる気配など少しも感じなかった。
クレーンを操作する義也。景品の所にまでアームを移動させるところまでは上手くいっていた。ここからが勝負となる。
「えい」
義也は狙いを定めると、パチ、と軽くボタンを押した。
降下していくクレーンは、なんと景品の端の方に降り、景品の箱の縁に爪を引っ掛けていた。
「え?これ大丈夫なの!?」
「まぁ見てなって」
そう言った直後、なんとクレーンは、景品を引っ掛けたまま、ゆっくりと上昇していき、そのまま景品を傾けるような形で正方形の穴へと落とした。
「やったぁ!ゲットだぜ!」
ガッツポーズをして喜ぶ義也の姿を見て、契はぽかんとして唖然としていた。驚きよあまり、どういうリアクションを取ればいいのかが分からなかった。
「な?取れるって言ったろ?」
「そうだね!ありがとう」
見事に手にした景品を義也から受け取る。ずっしりとした重みが両手に伝わる。結局貯金の半分以上を使ってしまっていたが、欲しかったものを手にした事実が契の頬を緩ませていた。
「どのくらい使ったの?」
「お小遣い貰っては二三回試してて、それを三ヶ月くらいやってたから…」
「おいおい、千円は使ってないか?そんなに欲しかったのか?これ」
「溜まりに溜まった物欲センサーにやられちゃった。物欲センサー恐るべし」
契は通学カバンを開け、手にした景品を奥深くまで詰め込んだ。他に入っているポーチや体操着などで埋めるように、カモフラージュさせるように。
「めっちゃ奥まで詰めるじゃん。後から取り出しにくくない?」
「いいの。それが狙いだから」
契のセリフに、義也の顔は少し曇る。
「家族とはどう?」
荷物を背負う契に、義也は問いかけた。
〝家族〟の二文字を聞いた契は、明るい顔から静かに微笑みを薄めた。そして暗い表情で、そっと零した。
「変わらないよ。良くも悪くも」
「そっか」
途切れた会話に、他のゲーム機の音が大きく聞こえる。
「さてと。私はもう帰るけど、ヨシくんはどうする?」
しんみりとした空気感をかき消すように、契が話題を変えた。
「俺はいいや。見に来ただけだから」
「そっか。じゃあ行こ」
忘れ物がないかを確認して、二人はゲームセンターを後にした。
帰りのエスカレーターで、契はひとつ気になった。義也が今日まで、何をしていたのか。なぜしばらく来なかったのか。
義也は冬休みが開けてから、突然パッタリと来なくなってしまった。最初は誰もが風邪や用事であると思っていた。しかし、一週間経っても、義也は教室の扉を開けなかった。そしてその理由は、これまで誰からも明かされることはなかった。
だからこそ、契は知りたかった。契は女子の中で、一番義也と親交が深いからだ。
「ねぇ、ヨシくん」
「ん?どした?」
「そういえばなんだけど、なんで学校、来なかったの?みんな心配してたよ?」
義也はしばらく上を見上げて、うーんと間を開けていた。契は少しドキドキしながら、義也の表情を見ている。
「逃げてた」
「え?誰から?」
「家族から。まぁ家出よ。家出」
変わらない表情で告げられたこの一言を、契は理解できなかった。
「危ねぇよ。足元」
義也に言われて足元を見ると、エスカレーターは下に近づいていた。
「家出って…どういうこと?」
「ちょっと色々あってさ。まぁ、外で話すよ」
自動ドアが開かれる。足元をくすぐる冷えきった夜風を感じながら、契と義也は並んで日が沈んだ暗い街に潜っていった。

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