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2024年〜Perfect Daysをたのしむために

明けましておめでとうございます。

毎年、この言葉を口にすると、新しいことが始まるワクワク感で満たされる。
それは1年のスタートが嬉しいことでも、悲しくて辛い出来事であったとしても、これから365日の新しい区切りが始まるんだ、と言う気持ちは変わらない。
新年のご挨拶は大好きな日本語の一つだ。


新しい年にふさわしい映画を見る


お正月には映画館へ行く。
普段なかなか行けないから、と言うのもあるが、人でごった返す神社へは行く気になれず、とはいえなんとなく新年の気分も味わいたくて出かけることが多い。

今年最初に見る映画は昨年末から決めていた。
ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」。
主演の役所広司さんが2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の男優賞を受賞し、話題になった。

ヴィム・ヴェンダース監督の作品は、そんなによくは知らない。
高校生の頃「パリ・テキサス」を観て、ほとんど理解できなかったけれどなんだかとても感激した。砂漠と主人公の渇いた感じと、ナスターシャ・キンスキーの美しさが今でも心に残っている。

普段なら役所広司さんの主演作品は観ない。
彼が出ているというだけで、良い映画なんだろうなぁ、と思ってしまうから。
でも、お正月に観るにはいいんじゃないかと思った。ハズレないだろうな、と思ったのだ。

観終わって、とても清々しい気持ちと、思いもかけないお伽噺を見てしまったような不思議な気持ちになった。

パーフェクトな日々の素晴らしさ

物語は、公共トイレの清掃員である主人公の毎日が淡々と描かれる。
おそらく60代の男性。家族はいない。親しい友人もいない。仕事仲間ともほとんど言葉を交わさない。食事についても服装についても贅沢はしない。
毎日の娯楽は、植物を育てること・小説を読むこと・音楽を聴くこと。

繰り返すルーティーンはミニマルで美しく、完結している。
それでいて、いつもと変わらない日常がいつも通りではない。1日として同じ日なんてないんだ、ということを思い知らせてくれる。
世界には小さな喜びがたくさんあり、それに気づいて生活することの豊かさに心が震えた。退屈なルーティーンになるかどうかは、自分自身の心意気にかかっているのだ。

そしてもう一つ感じたのは、ひとに判断されないことの自由。
ボロ屋に住んでいても、尊敬される仕事をしているわけではなくても、自分が満足していればそれでいい。
自分が持っているものに満足し、時にはひとに分け与えることもできる。それが大袈裟なものである必要はなく、自分の世界を自分が肯定できることの自由を感じた。

我が身を振り返ってみると、わたしは人からの評価を求めすぎている。
贅沢はキリがない。満たされることがない。
もっともっとと人からの評価を欲しがり過ぎなくなったら人は幸せになれるのかしら?

パーフェクトな日々の胡散臭さ

一方で、誰とも深く関わろうとしない暮らし方には、モヤモヤが残る。

最低限のものと最低限の人との関わりで完結する生活は、ミニマルで清々しく映るけれど、現実感は薄い。
理想はどうであれ、人が歳をとっていく過程で周りにはいろんなしがらみがまとわりつくだろう。
それを煩わしいと全て切り捨てるのではなく、居心地悪く苦しみながらも自分の居場所を整えていくことが人を成熟させるのだ、とわたしは思う。
それが大人の責任なんじゃないかと思う。

繰り返される主人公のルーティーンには、何も怖いことが起こらない安心感がある。

正直、少しずるい、と思った。

いろんな人との関係性をうまくやりくりすることに多くの時間を使っているわたしの生活と比べて、主人公の生活はとても静かだ。
ひとと関わらない事はこんなにも静かなんだろうか。
もっと誰かと一緒に美味しいものを食べたり、素敵な音楽について語り合ったり、知らない美しい風景を見に行ったりしたいと思わないのだろうか?
それをしようとしないことが、パーフェクトな日々を送るために必要なことなんだろうか?

それでも、物語の後半で、主人公が思いがけず愛情を示されて涙ぐむシーンがある。今思い出しても、胸がいっぱいになる。
多くはなくても、自分が確かに誰かから愛されている、評価されていると自覚できる事は、幸せな生活の大切な要素だと思う。

自分自身のパーフェクトデイズのために

わたしの仕事はざっくり言うと、人が幸せに日々を過ごすために、柔軟に学び続けるお手伝いをすることだ。
時代の流れや自分の経験に合わせて、考え方やスキルをアップデートすることが必要だとずっと考えてきたし、今もその思いは変わらない。

そのために、自分自身も常に周りを観察し、新しいことに挑戦し続けることを怠らないよう努力してきたのだ。
しかし、昨年の終わり頃から、そんな生活が少しづつ辛くなってきた。
自分自身を更新するために変化し続けることに息切れを感じているのだ。

映画を観て、一息入れて考えてみる。

例えば、主人公が本を読んでいる姿は、側から見たら毎日変わらない。
「あの人、いつも本を読んでるよね。」というふうにしか見られない。
でも本人の中では、物語は進んでいき、それにつれて彼の心も変化していく。
昨日読んでいた時と今日読み終わった時では、何かが変化しているのだ。

そんな変化も、確かにアップデートだと感じる。
新しいことに挑戦することだけが、日々を新鮮に生きる方法じゃない。


新しい年は映画を真似て、朝起きて光が当たる幸せを、暖かさを味わえる喜びを噛み締めてみよう。
何が起こらなくとも同じ日など1日もない。そんなことを自覚しながら、自分の生活に注意を向けてみようと思う。
そして、人との関わりは「多過ぎず少な過ぎず」を心がけよう。
人からの評価を求め過ぎず、人を判断することは極力避けよう。

自分の周りにある有り難さと有り得なさをしっかりと味わおう。
毎日がパーフェクトな1日になるように。

映画館からの帰り道、
今日は、息子たちが帰ってくることを思い出す。
なぜか久しぶりにコロッケを作ろう、と思う。


HUC5周年祭に向けて

この文章は、2024年1月23日で5周年を迎える愛すべきコミュニティ「母親アップデートコミュニティ」の周年祭カウントダウン企画のために書きました。

実は2年前の周年祭では実行委員として関わらせていただき、たくさんの感激を味わいました。
その時に書いたnoteを読み返し、今感じていることを追記します。

文章の中で、リーダーとリーダーシップは違う、と書いている。

それと同じように、マザーとは別のマザーシップ(そんな言葉があるかどうかは知らないけれど)というような概念があるのだと思う。
リーダーシップと同じように、マザーシップは生まれつき身についているものではなく、家庭や社会の中で獲得し発揮していくスキルだと、母親として25年を過ごしてみて思う。

今、わたし自身のマザーとしての役割は終わりに近づいている。
これからは、自分の中に蓄えられた「マザーシップ」を発揮していこう。

子供の母親としてではなくても、その心の有り様やスキルを発揮するシーンは社会生活の中にいくらでもあると実感している。
子供と向き合い奮闘しているお母さんやお父さんたちに、仕事で奮闘している若い人たちに、マザーシップをもって問いかけ話を聞ける人になれたら最高だと思う。

2024年が幸せでかけがえのない365日になりますように


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