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【大学】単位をとるための文章、上手い文章。

 大学生というもの、課題の一つとしてレポートが課される。しかし、私はレポート課題の存在意義について疑問を感じる。というのも、レポート課題というのは、たいてい最低字数が指定されているからだ。

 最低字数が存在していることの何がいけないのか。それによってひどい文章が生み出されるからだ。なぜ、ひどい文章となるのか。これは上手い文章がどんなものであるか考えると理解できる。

 そもそも、私が思う上手い文章とは、文章の内容が濃いものを指す。これを言い換えると、一文一文に存在意義があり、冗長ではなく、その上で他にはない視点から考察されている文章となる。

 では、レポートはどうだろうか。レポートの字数指定は具体的には、3000字や4000字といった数千文字程度であることが多い。ここで、最低数では書き足りなくなるほど講義への興味が学生に沸くことはあろうか。正直そんなことはない。

 もちろん自分で学部を選んで入学している以上、いくつかの分野については興味を持つことだろう(そう期待したい)。しかしながら、大学では自分の好きなことばかり勉強していても卒業することはできない。一般教養を筆頭に、必然的に興味関心がない事柄についても学習することを迫られるのである。

 そうなるとどうか。学期末でレポートを書く際にロクな内容なんて思いつくはずがない。そんなの贅沢だぞ、と思われそうなので具体的に説明しよう。

A先生「世界の環境破壊について3000字以上であなたの意見を書きなさい」
B先生「清代の女性社会について4000字であなたの意見をまとめなさい」
C先生「第5回から第8回までの講義に来られた法律家の講演について感じたことを3500字程度で記しなさい」

 このような状況だ。一般教養の授業を履修するとこのような状態になるわけだ。ここで、A~C先生のレポートの内容について全て興味を持てた方はいらっしゃるだろうか。おそらくゼロだろう。

 しかし、興味がないからといってレポートを出さなければ単位はこない。かといって特にそこまで興味を持てた内容はない。そうすると、何が起きるか。無理やり生成された意味なき文章が登場するのである。

 深く興味を持てたわけでもない内容でいかにしてレポートを作成するのか。悪知恵だけは豊富に有している大学生はあの手この手で字数を埋めようとする。

 例えば、先生の授業内容の要約。全15回の講義の要約を書けばそれだけでかなりの字数となり、最後に雀の涙ばかりのそれに対する感想を書く。他には、大量引用。必要以上に文章を引用し、字数を稼ぐ。

 他にあるのは、一般論を永遠と展開すること。環境破壊は良くないとか、男女不平等には反対だとか、誰々さんの話は素晴らしかった、この機会を生かしたい云々とか。ただ、こんな「常識」ばかり並べてみても何にも面白くないだろう。

 このような文章は先述した上手い文章とは正反対だろう。各文がたいして意味を持たず、だらだらとひたすら同じ話が展開され、最後に単なる社会常識があたかも独自の意見かのように語られている。

 こんな文章に読む価値があるだろうか。どう考えてもない。そして、そんな価値なき文章を日々忙しい先生方もしっかりと読んでいるのだろうか。正直疑問だし、仮にそうしていただいていたとしても単なる時間の無駄にしかならないだろう。

 もちろん、先生がこれだけの字数にしている理由も推察できる。他人と違う意見を主張しようとすれば、常識から外れにいくわけだから、かなりの量の説明が必要となる。具体的にはその根拠、常識的意見ではダメな理由、さらに、その持論による帰結等々。これだけ書いていればあっという間に数千字なんて埋まってしまうという算段だろう。しかし、そんなすごい意見を内容が千差万別の全ての授業で持つことは難しい。

 また、学生がかかる「テク」を使ってくるから、先生もそれだけでは対処しきれないぐらいの字数にしようと字数を増やしているのかもしれない。これが的を得ているかは分からないが、仮にそうだとしたら、単なるいたちごっこだ。

 いずれにしろ、字数先行で決められているレポートにおいて駄作が生成されるのは目に見えている。もちろん、中には、素晴らしいものを提出する学生がいることも事実である。しかしながら、字数でがんじがらめにされている大学生のレポートというのは、基本的に、ダメな文章の典型例である気がする。


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