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03.スケジュール帳

久しぶりにスケジュール帳が埋まり出した。

バイトしか予定が無いと、スケジュール帳はただの私個人のシフト表と化す。
バイトしか無さすぎると、もはや"バイト"とさえ書かなくなり、"17-21"みたいな時間しか書かなくなる。これじゃスケジュール帳ではなくアナログシフト管理アプリ状態だ。

それがここ最近、時間以外の文字を書くことが増えた。
『顔合わせ』、『稽古』、『観劇』、そんな言葉たちで埋まっていくページを見ると、なんとなく緊張して、でもわくわくする。

こんなにデジタル化されている昨今でも私は断然スケジュールは手書き派だ。
携帯のカレンダーに予定を打ち込むこともあったけど結局長続きせず、毎年スケジュール帳を買いに雑貨屋へ出向く。
ちなみに今年は私が愛してやまない某カピバラのキャラクターのスケジュール帳。可愛い。

高校時代、私の通っていた高校では勉強時間や1日のタイムテーブルを細かく書けるような手帳が各々に配られ、定期的に集められてはチェックされる文化があった。もしかしたらこれもアナログ手帳派になるきっかけだったのかもしれない。

高校を卒業して一人暮らしを始めてからは、生活リズムががらりと変わる。
同じ時間に学校に行き、決まった時間に帰る高校生活にスケジュールは大して必要なかったが、日によって登校時間が違えば土日に学校に出向くこともあった専門時代、頭の中で整理するのが苦手で尚且つ遅刻やミスで怒られるのが大嫌いな私にとって、スケジュール帳は必須アイテムだった。
たぶんあの2年間は私の人生の中で断トツで忙しなくて、登校してるというより通勤している感覚で日々生きていた。
忙しい時期の手帳のページはほぼ毎日埋まっていたし、またそんな文字だらけのページを眺めるのも好きだった。
休みの日でも、予定が無いことに罪悪感を感じていた私は何かと理由をつけて無理やり毎日出掛けていた。今思えば相当アクティブだったなぁ。

それが社会人になり、上京し、早速のコロナ禍。
予定を埋めるとすれば、スーパーに行くとかそれくらいしかできなくて。
いつか話そうと思うけど、当時の私は予定を埋めることより毎日を生きることに精一杯だった。
少しずつ緩和されていく日常には戻りきっていない日常の中で、スケジュール帳を埋める言葉は
『バイト』、『面接』、『病院』、
時々友達と会う予定もあったけど、あとは
白紙。

ぱっと見真っ黒なくらい埋まっていたはずのページは、一瞬で全ての予定が把握できるほど真っ白になっていた。
休みの日は家に引きこもることが増えた。
だって予定がないから。
無理やり予定を作るのが好きなはずだったのに、それさえ無くなった。

上京してからもうすぐ、ちょうど3年が経つ。
雪が残る北海道を離れて、桜が満開の東京を見てびっくりした。
あの景色も、当時住んでた街並みも、不安とか期待とか、全部覚えている。頑張るぞ、頑張らなきゃ、って思ったことも。全部。

短いようで長かった3年を経て、本当に長かったけど、本当に少しずつだけど、忙しない日々が戻ろうとしている。
久しぶりのハードワークに、これを全てやり切れるんだろうかと不安に感じている自分もいる。
だけど、自分の好きなことでスケジュール帳が埋まるのは幸せなことだ。

今更だけど、決してバイトが悪いわけじゃない。
でも私もいつまでも毎日のように鰻を提供し続けるわけにはいかないのだ。

まだ始まったばかり。
ここからまたいつ白紙の日々が来るかはわからない。でももしそんな日が来ても、真っ黒に埋めてやるぞ!!という気持ちで前を向ける気がする。時々休日を挟みながら。
今年が終わるとき、スケジュール帳を見返して忙しかったな、幸せだなって思えたら、それでいいかな。

ちなみに今日は昼夜それぞれバイトの予定だったけど、昼のバイトで出勤早々指を切って貧血になり早退。夜もお休みいただいて、今寝っ転がりながらこれを書いてます。
予定が消える日も、あるよね!!!

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