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英語はなぜ難しいか?     (「できない」から始める    「まだまだ」だから続ける)

 多くのオジサン世代日本人が一度は憧れた・憧れるであろう、「英語ペラペラ」(私自身がまだ「ペラペ」だが😅)。English speakerを目指して音声練習を続けるための、「英語はなぜ難しいか? 音声実践編」。

 矢継ぎ早に投稿しているのは、それだけ私の中で書きたいことが溜まった、つまり、私自身が深く考えさせられる体験をした、ということだ。

 なお、本記事は私の主観世界を記述したもの(いつも?😅)だが、先輩方の記事・動画を参考にしていることは強調しておく。

 ある分野を深く学ぼうとするとき、いわゆる専門家の知見を借りようとするのは当然のことだ。ところが、学問の世界では(日本だけ? 私にはよく分からない😅)、一般人に伝えようとするよりも専門家同士のマウントの取り合いになることが多く、結果として外から見ていると「⁇⁇」となる。この辺りの事情は、大学教授かつ塾講師という2つの世界を体験している知り合いから聞くことができた。
 
 さらに悪いことには、「語学」の世界では「評論家」であることが当たり前という風潮があり、言語として使えていない人間(English speakerになれば、音声や発言内容から見抜けるようになる😝)の意見が幅をきかせてしまう😱😱😱。
 
 さらにさらに恐ろしいことには、日本人の「英語コンプレックス」は「英語産業」の恰好のマトであり、「◯ヵ月で英語ペラペラ」などという謳い文句が巷に氾濫することになる。英語産業に関わる人間の大半は、生徒の英語力向上に真摯に向き合っており(これについては断言できる)、当事者が善意であることが問題をより複雑にする
 自身が「英語ができない」ままに、あるいは自身の「英語力が低い」ことに無自覚なまま(後者は、まさにこの1年間の私ですな😱😱)に、生徒に英語について伝えようとしてしまう。だからこそ、教える側が自身の英語力と向き合うことが必要であるというのが、現在の私の意見である。

 話が逸れた、申し訳ない🙇‍♂️🙇‍♂️。要するに、実際にEnglish speakerになった先輩達の体験談を、膨大なネットの世界から探し出すのは大変だ😰、ということだ。私の記事は、私だけの主観に基づくのではない、ということが言いたいのだ。

 なお、「お前の記事もマウントを取りにきてるだろ‼️」というツッコミに対しては、「そう捉えられてもイイから、音声練習を始めてくれ。そうしないとEnglish speakerの仲間が増えないんですもの😭」と答えておこう。自分が手に入れたオモチャで一緒に遊ぼうとして拒絶された、お子ちゃまの心理(笑)だ。

 読者の皆さんにおかれては、長らく日本の英語教育が迷走してきた背景にある、このような事情を何となく知った上で、本記事を読んで頂きたい。

 本記事の要点をかいつまんで記しておくと、

「英語ができる(≒日本語と同じ基準で自身の英語を判断する)」状態になると、次は「自分の英語力の低さ」と向き合えるようになる。かつて「英語ができなかった」要因の大半は、「英語ができるつもりでいた」時代に蓄積されているのであって、改めて向き合うしかない。「できるようになる」とは「できない自分と向き合う」ことであり、変わるべきは相手ではなく自分である。

 本記事は私の主観丸出し(いつも?😅)である。読者の皆さんは、そのつもりでお読みください。 


①English speakerの段階

 English speakerとして覚醒してから1年1ヵ月が経過(私の中では50年以上にも感じられたが😅)し、私は次の段階に移行した。前回記事(後で登場します)でも少し紹介したのだが、せっかくなので(面白い、分かりやすい😝😝)「English speaker version2」と名付けた。
 心理的負担の大きい言語習得(言語にシンクロし、学習の段階に入ると、一気に負担が軽減される)においては、これくらいの厨二病感覚必要なのだ(笑)。

 English speakerとして覚醒した直後の2週間程(当然個人差はある。先輩方の体験談を是非教えてほしい🙏)は、自分の中に溜まりに溜まった「言いたかったこと」が、全て英語として口から出せるため、無敵の全能感🤣に包まれる。とにかく英語で話したくてたまらない。日本語を話せるようになった幼児が、やたらと話を聞いてもらいたがるのと同じことだ。相手にはドン引きされているのだが、コッチはそれどころではない😱。
 子育て中(私は経験したことがないが)の方や教員・講師の方は、是非とも、「子ども・生徒の話を聞く」という意識をもってほしい。私は個別指導がメインだが、授業時間の半分は生徒が話している(世間話をしていることもあれば、質問していることもある。最高だと思うのは、生徒自身の思考・意見を語っている場合)。私は彼らの成長を手助けしているに過ぎない。どちらかというと、自身の成長の方に興味があるが😝。この二つは共存できることだと考える。
〈追記〉先日、授業とは別に、子どもの相手をする機会に恵まれた。マジで疲れた😰😰。世の親御さん達の苦労の一端(本当にごく一部)を体験できた。これを毎日している人達には、ただただ頭が下がる思いだ。

 もちろん、集団授業では様々な制約がついて回る。最大の困難は「生徒間の成長段階の差」「生徒ごとに抱えている課題の違い」である。まあ、経験者ならば誰もが悩んだことがあるだろう。
 それは仕方ないことなのだが、全員に一律指導する時代は終わったと考える。日本の教育は新しい段階に入っている(だとイイなぁ😝)。

 また話が逸れた、申し訳ない🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️。要するにEnglish speakerになった後にも複数段階があるという、日本語話者にあてはめて考えてみれば極めて当然のことに、1年余りの葛藤の末に気付いたのだ。ハッキリ言えば、「俺の英語力って、全然まだまだだなぁ」と思うようになったし、思えるようになったということだ。「科目・勉強」としての英語ではなく、「自分の言語」としての英語を磨きたいと思うようになった、ということだ。



②初習者からEnglish speakerまで

 ここまで本「英語はなぜ難しいか?」シリーズを読み続けてくれている愛読者😻のために、日本語話者がEnglish speaker version2になる過程を、実際に私が辿った道のりを基に(もちろん、人によって異なる)、ロードマップにしてみた。時系列を分かりやすくするために年齢を書いておくか🤣🤣。


10歳 英語のカセットテープで、英語の音に触れる。ほとんど聞き取れず、フレーズが覚えられず、カタカナでテキストに書き込んでいた

11歳 中学校で英語「勉強」スタート。キリスト教系の進学校に通っていたため、「native speakerによる授業(和文英訳)」「筆記体の指導」があった。日本人講師による授業は、ひたすら和訳

15歳 いわゆる高校英語についていけなくなる。正解の導き方が分からず、英語が嫌いになる

16歳 塾で英文法の授業を受け始める。「文型」「解釈」に感動し、練習の結果、英文を読めるようになる。和訳しながら読む習慣をやめる

17歳 英訳・和訳・英作文の添削を受けるためだけに、もう一つの塾で英語を受講し始める。学校の授業は論外(教師の英語力が、当時の私と比べても低い)だったため、無視して過去問演習や添削課題をやっていた。大学の2次試験対策に、リスニング練習も少々

18歳 第一志望の国立大学に合格するも、1ヶ月で通わなくなる。いわゆる勉強は全くしなくなり、およそ5年間、ゲーム・テレビ・読書・麻雀づけの日々を送る

22歳 さすがにマズいと思い、塾講師に応募。いくつか不合格のあと、現在も勤務している個別指導塾で採用される。英文法の授業は生徒から好評

24歳 友人と新しく塾を始めようとするも失敗。勧められてTOEICを受検。聞き取れなさに愕然とする

25歳? 英検準1級受検。2次面接試験に2回不合格になるも、3回目で合格。あまりに英語が口から出ないことが悔しくて、家の中を英語づけにする生活開始。英語日記を始める

26歳 再び英語から離れる。授業、過去問以外で英語に触れなくなり、麻雀づけの暮らしに

31歳 文部科学省の方針転換を意識し始める。「英語を話せない人間が、英語を教えていいのか?」という上司の言葉にカチンときて、英語の音声練習、英語日記を再開

33歳? 帰国子女の後輩講師に英文法マウントをとりにいき、「英語ができない」と言われる。再びカチンとくる

35歳頃 脳内で英語が響くようになるも、口からは出せない。ギャップに苦しむ

38歳 相変わらず、聞き取れない英語があることにイラつく。話せないのも相変わらず

39歳 練習しても練習しても英語ができないことに怒りが頂点に達する。「語学はどーせセンス」を言い訳に、アラビア語に逃げる。文字を覚えるだけで1年を費やす

40歳 アラビア語ラジオ講座を聴き始める。会話を夢みて、舌の形をテキストの指示通りに真似するスタイルで、アラビア語の発音に取り組む

41歳 English speakerとして覚醒。続けた自分、支えてくれた人々に深く感謝する。2週間無敵の時間を過ごす。日本語の練習を始める。多言語音声練習を始める。生徒に発音指導しようとして、想像以上に発音が良いことに驚く
     ↓
ドン引きされている自分に気付き始める。周りからもストップの声がかかる
     ↓
自分の現状を必死で説明しようとするも、上手く説明できない。相手も途中から聞いてくれなくなる
     ↓
English speakerとして講師仲間から孤立している自分を感じるようになる。講師以外からも、様々な「英語ができない」ことについての言い訳を聞かされる。音声から始める言語学習の体系に取り組み始める
     
42歳 音声と文字の関係を理解しようと、スペイン語文法・読解に挑戦。文字を読むことの心理的負担に気付き始める
     ↓
文字から離れていたことで、自分の英語力が下がっていることに気付く。English speakerに対する大きな誤解や疎外に対して、深く考えるようになる
     ↓
日本社会ではEnglish speakerが疎外されていることを伝えようとするも、話さえ聞いてもらえない。激しい怒りとともに、English speaker version2に

注意! 私の場合は、覚醒後に「認知できていなかった音が聞こえるようになる」ことによって、「脳内年齢が幼児に戻る」という要素が加わり、さらに問題が複雑になる😅。
 さすがにレアケース(同様の事例が見つからなかった)だと判断したため、時系列からは外している。興味がある😍😍方は、コチラ ↓ を参考にして頂きたい。



③各段階の注意点

 本項では、私自身の英語習得過程を振り返り、改めて気になった点、English speakerを目指す上では「後輩」の皆さん(偉そーでスミマセン🙇‍♂️🙇‍♂️)に注意してほしい点を述べる。


・カタカナで英語を書こうとする
 
 日本語の「音」に慣れ、「文字」を使いこなすようになったあとに英語の音に触れると、起こりやすい現象。多くの日本人が経験したことがあるハズ。
 これがどれだけ良くないことなのかは、今更言うまでもない。実際の音とズレている音が身体に染みついてしまうと、地獄の苦しみとともに修正することになる。経験者は語る😭😭😭。

 とは言え、「何とかその場を凌ぎたい」「何とか英語を覚えたい」というのも自然な心理であり、「カタカナで書くな」と単純には言えない難しさがある😅。例によって、今後の研究課題だ。


・筆記体の練習

 私は大学入試の答案も筆記体で書いた。
 
 ・・・😅。何だったんだろう?
 
 いつか役に立つ日がくるのだろうか?


・和訳しない

 いわゆる英文解釈とは、英語の構造を理解することによって、英語の語順のまま英語を捉えることである。ところが、日本社会では「英文解釈」=「英文を解釈してから和訳」と長らく誤解されてきた。この点、私が塾で習ったのは、「英文を解釈したら、英文は読める」であった。高校生の私にとって斬新な考え方であり、すぐに実行にうつそうと思えた。
 言語を学ぶとは、その言語にシンクロすることであり、決して母国語に直すことではない。

 もっと言うと、2つの言語を橋渡しするには両言語に対する深い理解が必要である。とてもではないが、学習の途中段階で挑戦させるようなことではない。和訳はテキストや参考書に「helper」として書いてあれば良いのであって、学習者自身にさせることではない。
 もちろん、「和訳してやろう!」というチャレンジ精神は素晴らしい。したい人はすれば良い。ただ、それは日本語力を鍛えることにはつながるが、英語力を鍛えることとはほとんど無関係であることを、自覚しておくべきである。

 ならば和文英訳は英語力向上につながるか、と言えばコチラも微妙で、結局はEnglish to Englishが最も手っ取り早いのである。
 将棋が強くなりたいのならば、将棋を指すしかない。定跡や座学はそのための重要なhelperだ。
 同じように、Englishで上達したいのならば、Englishに触れるしかないのである。文法や理論はそのための重要な「helper」であって、それが中心になるとおかしなことになる。



・英語を感覚で捉える
 
 私は読書が大好きで、小学校に入ってからは毎日図書室で本を借りていた。日本語はもちろん「音声」から習得した私だが、どっぷり「文字」の世界に浸っていた。
 悪いことに英語を「文字から」学ぶというのは、当時の日本の英語教育では常識であり、そこに自分の「文字の感覚」がfitしてしまった。
 中学校三年間、自分の英語の「勉強」法を疑わなかった(疑えなかった)こと、listeningや音楽のテスト、友人とのカラオケを通じて、「自分の耳・音感が悪い」ことに薄々気付いていたのにゴマカシ(そんなのは勉強じゃない!😝😝)ていたこと、音読の習慣がなかったことなど、私が「英語ができなかった」理由の大半は中学校時代に原因がある。
 このように、何かができない理由は、できていると勘違いしている時期に蓄積されているものなのである。マジで反省😅😅。



・文法は魔法の杖
 
 「感覚的に何となく捉えていた英語」がテストで通用しなくなると、さすがにマズいなぁ😱となる。
 そんな時に塾などで文法(特に文型)を習うと、「オオッ、なるほど😍😍」という反応になりやすい。「何で今まで教えてくれなかったんだ」などと思うものだ。
 
 文法の世界は、特に数学・パズルに強い人間にとっては楽しい。いわゆる「文法問題」は、明確な根拠に従えば必ず正解に辿り着けるように作られているため、一度「腹の底から」理解したパターンは二度と間違えなくなる。数学の典型問題と似たような感覚だ。

 また、文法は言語の運用のメカニズムを体系化したものであるため、自分の頭の中でその体系を再現できるようになると、無敵の全能感🤣(あれ、どっかで見たような😅)に包まれる。大学在学2年目で私が陥った罠である。
 大学の英語の授業についていけない自分をゴマかすために、私は英文法の体系化に勤しんでいた。

 マズいのは、そのまま塾講師として働き始めると、生徒からも高評価(笑)を得られるため、自分の指導方針を「疑えなくなる」ことだ。私の場合、この状態が10年間続いていた訳だが、それでもEnglish speakerになるための有利な条件(同僚にEnglish speakerが複数人いる、英検・TOEICを受検する、英語で読書する)が揃っていた。
 改めて認めよう。私は恵まれていた

 貴方が、本気でEnglish speakerを目指すとしよう。そんな貴方の状態は、私には「分からない」。直接の指導を求められるならば、私は金銭を要求せざるをえなくなる。それが私の記事の趣旨に反するのは、ここまで全記事を無料で公開していることからもお分かり頂けるだろう。
 貴方自身が自分と向き合うしかないのである。むろん、金銭を払ってプロと一緒に自分と向き合うのも、優れた方法論だ。
 



・リスニング練習

 同じ英文を3回読む(笑)という、甘々のリスニング試験に向けての対策だ。とてもではないが、listeningとは書けない。
 20代でTOEIC(2016年以降に難化。背景には、日本人全体の英語力向上がある)のリスニング対策をしていたときにも、設問の答えになる箇所だけ聞く、というテクニックに走っていた(今更ながら、大反省😱)。speakingとセットにしたlisteningを心掛ければ、このようなおかしなことにはならなくなるハズ。



・音声と向き合う

 とはいえ、各種試験を受けることは、嫌でも音声に向き合わざるをえないという状況を作り出す、強制力をもつ点では意味がある。

 日本語の音声に耳が慣れてしまった日本人男性(もちろん、一般論である)には、英語の音声は「奇声」、英語を話すときの顔は「ダラシない顔」と映ることが多い。
 その心理面に向き合う(愛読者の皆さん😻には耳タコだろう)ところから始める必要があるのだが、もちろんそんなことは最初から思えるハズがない。強烈なmotivationか、やるしかないという状況が必要になる。

 いわゆる「英語の聞き流し」は、英語の音声を不愉快だと感じなくする、英語の音声が聞こえていないことを認める、英語を聞こうと思えるようになる上では非常に有効だ。
 だが、次の「英語を聞き取る(リズム・スピードにのり、音声と意味をリンクさせて捉える)」段階では、英語の音声に関する様々な知識・技術が必要となる。この段階では、出せない音は聞こえない問題がついて回り、speaking練習が不可欠となる。この辺りの事情を超分かりやすく解説したのが、以前の記事でも紹介したコチラ ↓ の動画だ。



・口から出せるために

 音声練習を続けていると、自分の脳内で英語の音声が響くようになるのだが、どうしても「聞き取れない音」が存在する。上記のように、口から出せない音は聞き取れないため、speaking練習するしかないのだが、脳内の音声と自分の口から出る音が明らかにズレているのが(無意識も含めて)分かるため、口から出そうと思えない
 音痴な人(私のことだ😱)がカラオケに行きたがらないのと同じことだ。音痴を克服するためには、音声練習(英語の音声練習とリンクしている)をするしかないが、その練習がイヤなのだから「話が始まらない」「初手が封じられている」。
 「音痴 → カラオケが嫌い → カラオケに行かない → 音痴が直らない・・・以下、繰り返し」。毎度おなじみ 😭↓ ↓ ↓ 無限ループだ。

無限ループ①「音が聞こえない」

無限ループ②「リズム練習を始められない」

無限ループ③「そもそも音声練習を始められない」

 この状態から脱却するためには、冷静に判断していてはダメだ。前回記事「英語はなぜ難しいか? 「始める」ために」↑ でも述べたように、強烈な感情に身を委ねる必要がある
 ところが、そもそも日本社会では感情の発露自体が「悪」であり、オジサン世代は自分の感情にブレーキをかけるのが癖になっている。
 
 また、「和の国」日本では、全員の意思統一が重んじられるため、「冷静な議論(根回し?)」によって新しいことを始めようとする。
 もちろん、その場では「始める必要はない」という「始められない」の言い換えが多数派を占めることになるため、結局何も始まらない。

 「感情が悪 → 音声練習を始められない → 感情とリンクした英語の音声を捉えられない → 感情の重要性が分からない・・・以下、繰り返し」という無限ループに陥る。・・・、書いていて飽きてきました😰。

 私の記事の読者は、音声練習を始めている人か、English speakerだと思う。音声練習をしている or したことがある人でないと、読もうと思えないからだ(最近、ようやく気付きました🙇‍♂️🙇‍♂️)。
 音声練習をしていない人間は、音声練習に関する記事・動画を検索しようと思えない
 「音声練習の必要性を理解していない → 音声練習の記事を読まない → 音声練習を始められない → 音声練習の必要性を理解できない・・・以下、繰り返し」。無限ループだ。いや、もうイイって😡😡。



・アラビア語に逃げる

 私は世界史が大好きで、「指導科目」として最も自信があるのは世界史だ(需要が少ないのが悩みの種だけどな😭)。
 特にイスラーム史が好きで、それがアラビア語に「逃げる」選択につながった。
 アラビア文字は意味不明・似たような文字だらけで、文字習得に1年を費やした。

 アラビア語学習2年目は、「アラビア文字、マジで無理!」となり、ラジオ講座などで音声練習をしていた。
 アラビア語は「基本的に口を開けない」「舌の使い方(複数回口内に触れる)が独特」などの音声的特徴がある上に、日本語と共有している音も多い。

 「英語の音声練習」と言われると、「英語ができるつもりになっている」だけに、心理的負担が大きい。その点、「全く未知の言語の音声練習」と言われると、素直にやろうと思える
 「舌の形が〜」「舌の使い方が〜」「表情筋が〜」という理論は知識としては持っていたものの、その重要性を実感していない・実感できない。私は、英語の音声練習(特に発音練習)の重要性をアラビア語の音声練習を通じて実感したのである。

 このように、何かを直接理解できない(ある分野におけるセンスがない)場合には、補助ツールが有効になる。
 ヨーロッパ言語の音声に慣れていない、日本のオジサン世代にとって、有効な補助ツールとなるのはカラオケ ↓ 

とスペイン語 ↓ だと考える。



・音声と文字

 私は、English speakerとして覚醒したことで、英語の文字列に対する捉え方が大きく変化した。
 「音声 → 文字」の順番が言語習得の順序として自然なのは議論の余地がない。一方で、現在の10代は「音から入る」が当たり前になっており、相対的にreading・writingが苦手になっている(らしい)。英語4技能のどれが欠けてもEnglish speakerとは呼べない(ココ、超重要‼️)。私も、覚醒後に受検したTOEICで自身としては初めてreadingのスコアがlisteningのスコアを下回り、これはこれで問題だと感じている。
 今後の大きな課題だと捉えており、スペイン語読解に挑戦(英語は一度文字から入ってしまっているため、生徒の状況を理解するためには他言語で実験する方が良いと判断)してみて、その成果をお見せしよう(お見せできるとイイなぁ😝😝)。



・English speakerになる過程への誤解
 
 英語と真逆の言語である日本語が、骨の髄まで染み込んでいるオジサン世代が英語を話せるようになる過程とは、「英語の音声練習を始めました」「コツコツ続けました」「少しずつ上達しました」「最近、ようやく話せるようになりました」などという生温いものではない
 オジサン世代の貴方がそのようなイメージを少しでも持っているならば、今すぐ捨てること。

 コレ ↓ が正しいイメージだ。

途中で止める人が多い訳だ😅😅

 なお、上記のイメージ図はコチラ ↓ の記事からお借りした。感謝申し上げます🙏🙏。


 
 「言語はコミニュケーションの手段」であることは多くの先輩方が述べるところであり、私も完全に同意する。
 だが、一方で言語はidendityと密接に関わっており、「日本人であるがゆえに英語ができない」という呪縛と向き合わなければならない。現在の小学生はこの呪縛とは無関係であり😍😍😍、高校生も少なくとも「音声から」というマインドはできている。
 我々日本のオジサン世代(30歳以上が目安か?)は、最後の「そもそも音声練習の必要性を認めるところから始める」人種であり、それが世界的に見ても貴重(皮肉ではなく、本当に珍しい存在)なのは何度か紹介した通りである。


 自慢ではないが、私の家は、曾祖父の代(その先は知りません😝)から日本を出たことがない家柄であり、私自身も海外経験はない(ホントに、何の自慢にもならない😅)。塾講師として最も教えることの多い科目は「国語」だ。つまり(?)、日本を愛し、日本語を愛することでは人後に落ちない(つもりだ)。
 英語の音声を受け入れるには、idendityとなっている日本語を一時的に捨てる(すぐに取り戻せるが🤗)くらいの覚悟が必要なのである。まあ、私の場合は完全に結果論(英語を話せるようになったら、日本語を話せなくなっていた)でしかないが😅。
 そういう意味では、前回記事で紹介した「日本語を守る!」という反応は、イイ線を言っている。



・English speakerへの誤解

 前回記事、本記事で何度も述べた。覚醒後も、いや覚醒後だからこそ英語と向き合っていくのであり、成長段階がある。私も以前から知識として何となく知ってはいたが、やはり自分で経験してみないと分からない

 日本語話者が、日本語を「言語として使いこなす」ようになるのはいつ頃か? 個人差はあれど、小学生(メチャクチャ広い表現だが😅)の間であることに異論はないだろう。
 そして、日本語を使い続けているうちに、日本語が徐々に「上達」していく。

 English speakerもそれと同じことなのに、謎に「英語ができる(≒日本語と同じ基準で英語を捉えられる)」と「英語に堪能である」が混同されている(私もつい最近、実感できた)。
 ここに「英語ができていない(4技能が揃っていない)のに、英語ができるつもりになっている」英語講師が、英語の成長過程に口を出す(それが悪いということではなく)という問題が絡み、事態は収拾不能になる。いや、マジでカオス😅。




・English speakerを排除する心理
 
 改めて自分の記事を読み返してみると、最近数記事で少しずつ紹介していた。
 簡単に言えば、オジサン世代日本人にとって、「英語の音声はウザい」「英語を話している外国人(好きになれない表現😰)は怖い」「英語を話している日本人はムカつく」ということだ。
 その背景にある心理は、私にはよく理解できる(自分も散々言ってたからな😝)。それだけに、文句を言う訳にもいかず、Englishを話せる相手(妻、英語ができる生徒)を大切にすることになる。

 English speakerに対する排除(必ずしも悪意に基づく訳ではない)の心理は、English speaker側にも伝わっており、「やっぱり、英語で話さないほうがイイよね」「相手が聞き取れない英語は控えておこう」と、自らの英語にブレーキをかけるようになる。

 同様の心理は、私よりも格上のEnglish speakerである一部の生徒も私に対して抱いており、彼女たちが私に話しかけてくれる英語レベルが、そのまま現在の私の英語レベルだと考えている。「くまりん19の英語力が上がってきたみたいだから、この音を聞かせても大丈夫」と相手が思えるレベル。それが私の英語レベルだ。
 変わるべきは相手ではない、自分だ。



④本記事の終わりに

 前回記事同様、今回も「無限ループ」の構造を紹介した。暗澹たる気持ちになった方には、改めてお詫びする🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️。

 そして、前回記事でも述べたように、この無限ループを打破するには、「理性」や「冷静な判断」は無力だ。感情に身を委ねる必要がある
 素晴らしい動画 ↓ を見つけたので、紹介する。英語のまま聞く方が望ましいが、無理な場合は日本語字幕を読んで「理解しよう」としてほしい。

 同感‼️😊

 私自身の「emotion」が動いたところで、このまま今回はお別れしよう。

Be emotional!
Start it right away!

「いつか」っていつだ?


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