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「男系継承に固執すると日本が滅ぶ」という愚論について

【はじめに】

今回よりnoteを使用するにあたり、わが国の根幹を揺るがす由々しき事態を皆様に知っていただきたくきっかけとなればと思い、筆を取ることにした。
長い内容ではあるが、少しずつ読み進めていただきたい。



【①皇室終了のお知らせ】

皆さん、いきなりおどろおどろしいタイトルを目の当たりにして、驚き或いは「こいつ何を言ってんだよ?」と鼻で笑った方もいるだろう。

しかし、この表現は誇張しているわけではない。事実、わが国が直面している大きな問題のひとつである。

わが国は有史より、公称2681年(令和3年 3月 14日 現在)の長きに渡り天皇を中心に繁栄をしてきたことは、紛れもない事実である。

建国からどれだけ少なくみても、2000年は続いて来た事は考古学の視点からも明らかである。

現像する世界一長い歴史を持つわが国の核となるのは、皇室である。皇室の存在抜きにしては語ることは出来ぬ。
その皇室に、ある危機が起きていることは皆さんはご存知だろうか?

その危機とは、「皇位継承者」の不足に伴う皇統断絶である。

まずは、下の画像を見てもらいたい。

(「朝日新聞デジタル」がかつて掲載していた画像より引用)(御身分については前のままで勘弁願いたい)

現在の皇室の構成はこのようになっており、全員で18方いらっしゃる。(以下正式な尊称や御称号及び敬称を記載する)

① 天皇陛下(上皇 第1皇男子 第126代 天皇)

② 皇后陛下(旧姓 小和田雅子)

③ 秋篠宮文仁親王皇嗣殿下(上皇 第2皇男子)

④ 秋篠宮文仁親王皇嗣妃紀子殿下(旧姓 川嶋紀子)

⑤ 眞子内親王殿下(文仁親王 第1皇女子)

⑥ 佳子内親王殿下(文仁親王 第2皇女子)

⑦ 敬宮愛子内親王殿下(今上天皇 皇女)

⑧ 悠仁親王殿下(文仁親王 第1皇男子)

⑨ 上皇陛下(昭和天皇 第1皇男子 第125代 天皇)

⑩ 上皇后陛下(旧姓 正田美智子 第125代 皇后)

⑪ 常陸宮正仁親王殿下(昭和天皇 第2皇男子)

⑫ 常陸宮正仁親王妃華子殿下(旧姓 津軽華子)

⑬ 三笠宮崇仁親王妃百合子殿下(旧姓 高木百合子)

⑭ 寛仁親王妃信子殿下(旧姓 麻生信子)

⑮ 彬子女王殿下(寛仁親王 第1女子)

⑯ 瑶子女王殿下(寛仁親王 第2女子)

⑰ 高円宮憲仁親王妃久子殿下(旧姓 鳥取久子)

⑱ 承子女王殿下(憲仁親王 第1女子)となっている。

現在の皇位継承者は、「秋篠宮文仁親王殿下」「悠仁親王殿下」「常陸宮正仁親王殿下」の御三方のみである。

*崩御(ほうぎょ)及び薨去(こうきょ)している方々は除く。
(崩御・・・天皇が亡くなること)
(薨去・・・皇太子や親王や妃殿下及び内親王が亡くなること)

常陸宮殿下は、現在80歳を超える御高齢であるので、皇位を継承することは十中八九ない。
すると、自ずと御二方のみになる。

秋篠宮殿下は、現在皇位継承順位第1位であり「皇太子」に相当する「皇嗣」という御立場であるが、天皇陛下と同世代の55歳(令和3年 3月現在)である。
しかし、宮様も将来御即位あそばされる可能性は低いと思われる。

理由としては、陛下が先帝のように*① 御譲位なさる可能性は低い。
更に、誠に不敬ながらも陛下に余程の事が起きぬ限り、早期に御即位をなさることはないと考えてもよい。

仮に御即位を果たされても、殿下の御年齢が80歳を越えることが予想されている為、御務めを果たすのは非常に困難と思われる。

すると、順当にいけば確実に御即位があるのは悠仁親王おひとりとなってしまう。(若宮にも何が起こるかわからないが)


さらに、女性皇族は結婚後に皇籍離脱をせねばならない規定がある。

皇室典範によると、「女性皇族は天皇及び皇族以外の者と婚姻した場合は皇籍を離れる」と記載されている。(皇室典範 第12条より引用)

つまり、御相手が素晴らしい家柄だろうと人格的にも優れていようが、民間人と婚姻したならば皇籍を離脱せねばならない。

この制度は、何も女性差別を目的とするのではなく、皇位の正統性を担保する目的で用いられてきた制度である。

故に、巷で言われている「男女平等だから」と論ずる者は愚の骨頂である。

だが、敢えて「男女平等」を持ち込むとするならば「男性差別」となるのだ。

現に女性天皇は、過去に*② 8方10代御即位あそばされたことは事実である。

また、民間から皇室へ嫁いだ先例は数多ある。

今から、約1700前の仁徳天皇2年(西暦314年)
に第15代 仁徳天皇へ嫁いだ石之日売(いわのひめ)が初例とされる。石之日売は、葛城氏の御出身であり武内宿禰の孫とされている。

それから、時代が流れること数百年後の天平元年(729年)に、藤原不比等の娘である藤原光明子(こうみょうし) *③諱 (いみな)「安宿媛(あすかべひめ)」が第45代 聖武天皇へ嫁いで以降、藤原氏及びその血筋を受け継ぐ一族(*旧五摂家等)から嫁ぐ先例になった。


一方男性は、逆立ちしても大金を積んでも絶対に皇室には入れない。

過去には、*④ 弓削道鏡や足利義満のように企む者はいたと言われているが、未遂に終わり義満に至っては非業の死を遂げている。

以上のことから、「女性差別」という言葉は所詮まやかしにすぎない。

余談であるが、皇室の世界で言う「民間」とは皇族以外を指す。

さて、話が逸れたので本題に戻る。

【② 「男系」とは】

この危機を乗り越えるには、「先例」に基づいた方法でやるしか道はない。
その先例とは「男系」による継承である。

では、この「男系」とはどんなものなのかを
説明する。

<定義について>

「男系」とは、父方の血筋が*⑤ 皇統に連なっていることである。
さらに噛み砕くと、父方が天皇又は皇族でなければ成立しえない。
最初に出した写真に基づいて説明すると、以下のようになる。

現在の天皇陛下は、お父様が上皇陛下である。上皇陛下のお父様が昭和天皇であり、そのまたお父様は、大正天皇になる。
この継承が、初代天皇であらせられる神武天皇より脈々と受け継がれてきた。

以上が「男系」の仕組みである。


【③ 「女性天皇」「女系天皇」の違い】

ここからは、「女性天皇」と「女系天皇」について説明していく。

まず、「女性天皇」についてはどんな仕組みになっているかを説明する。

<定義について>

「女性天皇」とは、文字通り女性が天皇に御即位なさること。(古くは「女帝」とも呼ばれていた)

では、女性天皇は過去どのように誕生し、皇位継承を行ったのかを振り返ってみる。

下に掲載した画像に基づいて説明する。
(Wikipediaの「天武天皇」にある画像より引用)

例えば、皇極・斉明天皇(第35代及び37代 重祚により同一人物である)には第34代 舒明天皇との間に第38代 天智天皇や第40代 天武天皇がいる。

その天智天皇の皇女・第41代 持統天皇には天武天皇との間に草壁皇子が、同じく天智天皇の皇女・第43代 元明天皇には草壁皇子との間に第44代 元正天皇・第45代 文武天皇・吉備内親王がいる。

しかし持統・元明の男系子孫は孝謙天皇(重祚 第46代及び48代称徳天皇)らを最後に途絶えてしまっている。

このように、「女性天皇」も父や夫が天皇又は皇族であることは明白である。(男系女子という)

では、いわゆる「女系天皇」とは何かを説明する。

いわゆる「女系天皇」とは、母方のみ天皇の血筋を引く概念とされている。

下に掲載した画像に基づいて説明する。

(歴史ライター「拓麻呂」氏が掲載するブログ「日本の白歴史」から引用)

秋篠宮殿下のお子様のおひとりである「佳子内親王殿下」を例とする。

明くる日、佳子内親王が素敵な男性(佐藤さんとする)とめぐり逢い御結婚をする。
やがて、御二方の間に可愛い男子が誕生したが、彼は女系である為に皇位継承ができない。(画像の「B」) これが、女子でも同じである。

仮に、即位をしても皇統は断絶し新たな王朝の誕生となる。

先程から、私は「いわゆる」と付けている理由がある。
それは、「女系天皇」の定義に当てはめると
母方のみ(母の母のという意味)に天皇の血筋とがあるとされているが、実際には存在しない。
あるのは、母親や祖母が皇族又は天皇という事例だけである。(調べた限り存在しないが、祖母より上があればご指摘願いたい)

近代以降で例にあげると下の画像になる。

(所功「皇室典範と女性宮家」に記載された画像より引用)

明治天皇の皇女(第6皇女~第9皇女)は、それぞれ「竹田宮」「北白川宮」「朝香宮」「東久邇宮」にそれぞれ嫁いでいる。

例えば、東久邇信彦様のお母様は昭和天皇の皇女「照宮成子(てるのみや しげこ)内親王」であり、お婆様は「香淳皇后」」となる。

もし、昭和天皇に皇子が生まれず弟宮も存在してない等条件が揃えば、信彦様が将来御即位あそばされたら一般的に言われている女系天皇の誕生となる。



しかし、歴史上の女系は男系を補填する役割にすぎない。男系及び女系の両方の血筋を引く皇族を「双系」という。

世間一般に言われている「女系」は女系とは言えず、最早別物である。
この系統を「雑系」と呼ぶのが相応しい。

「女系」は、皇統断絶を目論む人々の作り出した造語である。

【④ 旧宮家と現皇室の繋がりについて】

先程、少しだけ述べた「旧宮家」の概要や歴史について説明する。

《概要》

旧宮家とは、昭和22年(1947年)に*皇籍離脱した「伏見宮家」を源流とした11宮家の総称である。
(皇籍離脱した背景は後述)

構成は「伏見宮」「東伏見宮」「梨本宮」
「閑院(かんいん)宮」「久邇(くに)宮」「東久邇宮」「北白川宮」「朝香(あさか)宮」「賀陽(かや)宮」「竹田宮家」「山階(やましな)宮」となっている。

《歴史》

最も歴史が旧い伏見宮は、応永4年(1397年)に北朝 第3代 崇光(すこう)天皇の第1皇子である栄仁(よしひと)親王が、創設した宮家である。

以降、「有栖川(ありすがわ)宮」*⑥「桂宮」とともに*⑦「世襲親王家」と呼ばれ、時の天皇にお仕えしてきた。

また、栄仁親王の第1皇子である彦仁親王は、後に第102代 後花園天皇として*⑧践祚・即位した。

幕末期に当主(第20・23代)となった邦家親王は、述べ32方(王子17 王女15)という子沢山に恵まれたが、そのうち11方は生後間もなく若しくは、夭折している。

そして生き残った王子達が、後に11宮家の初代当主となっていくことになる。
(なお、宮家全部については説明すると長くなりすぎる為一部割愛する)

また、現皇室もこの血筋を間違いなく受けている。(内容については、後述)

《明治天皇と旧宮家》

明治時代に入ると、明治天皇にも沢山の皇子達(皇子5 皇女10)に恵まれたと思われたが、皇女は4方 皇子に至っては嘉仁親王(後の大正天皇)のみとなってしまった。

更には、嘉仁親王は生来病弱であり成人出来るかはこの時点だとわからなかった。


あまつさえ、幕末期から大正にかけて
桂 有栖川 閑院の3宮家が相次いで断絶したことにより、皇統断絶の危機がすぐそこに迫っている状態となってしまった。

そこで当時(明治初期)の宮中では、(世襲親王家以外は)*⑨ 一代限りの宮家創設と決まっていたが、既に述べた危機が訪れ明治天皇の特旨(御意向)により、明治9年(1876年)5月に行われた「華頂(かちょう)宮家」の創設を皮切りに、山階 梨本 久邇が次々と宮家の継承を始めた。

明治21年(1888年)*⑩旧皇室典範にも記載されていた*⑪「永世皇族」制度が制定された。

そして、明治33年(1900年)に賀陽 36年(1903年)に東伏見
39年(1906年)に竹田 朝香 東久邇がそれぞれ創設された。

最後に創設された3宮家と北白川宮家は、やがて明治天皇の皇女と御結婚あそばされた。
この4宮家は、現皇室との血縁は非常に近くなっている。

例えば、明治天皇の第9皇女 泰宮聡子(やすのみやとしこ)内親王は、東久邇宮稔彦(なるひこ)王と御結婚あそばされ男子である東久邇宮盛厚(もりひろ)王を設けた。(首相官邸から引用したHPを参照)

その盛厚王は、昭和天皇の第1皇女 照宮成子(てるのみや しげこ)内親王と御結婚あそばされ、昭和天皇と香淳皇后にとっての初孫にあたる東久邇信彦様がお生まれになった。

ちなみに、信彦様からみて昭和天皇は「母方の祖父」明治天皇は「母方の高祖父」にあたる。
またお父様の盛厚王と昭和天皇は「父方の従兄弟同士」にあたる。

以上の事から、現皇室と旧宮家は血縁関係が近いことがわかる。

【⑤ 敗戦と旧宮家の行く末】

昭和20年(1945年) 8月15日 我が国は、有史以来初となる対外戦争の敗戦を受け入れ、外国の軍隊(正確には連合軍)が占領するという未曾有の時期に突入する事となった。

以来、約7年に渡りGHQは徹底的に我が国の誇りや自尊心を踏み潰していった。

・教育改革 ・農地改革 ・財閥解体 ・「東京裁判」の開廷等枚挙に遑がない。
そして、その改革は皇室の中にまで及んだ。

内容については、皇室財産が国庫に入ったこと。更に、宮家それぞれの財産約9割を召し上げられたことにより、財政が圧迫され従来の宮家としての維持が困難に陥ったからである。

また、終戦直後より東久邇宮稔彦王をはじめとする複数の宮様が昭和天皇に皇籍離脱を申し上げた。

しかし、昭和天皇や一部の宮様はそれに反対をしたと言われている。

その後、14ある宮家の中でどれを残そうかという会議が、宮内大臣 故加藤進氏を筆頭に綿密に話し合われた結果、昭和天皇の弟宮であらせられる「秩父宮」「高松宮」「三笠宮」の3宮家を残し、他は全て皇籍離脱となった。


【⑥ 皇位継承問題の解決案】

それでは長々となったが、ここからは皇位継承問題の解決方法について説明する。

その解決方法は、旧宮家の御子孫が養子入りを果たすことである。
その養子入りの方法は、いくつかのパターンがあるので説明する。

⑴,通常の養子入り

我々国民の中で経験をしている方々もいらっしゃる様に、旧宮家の御子孫としてお生まれになった方を現存する男子がいない宮家へ養子入りを果たす。

例えば、三笠宮家には男子がいない為養子入りを果たし、彬子 瑶子両女王殿下の弟宮として三笠宮家の祭祀を継承することになる。

⑵,夫婦養子

夫婦養子はあまり聞き馴染みのない方法ではあるが、メリットと合わせて説明する。

例えば、常陸宮家にはお子様がいらしておらず
そう遠くない将来に断絶が確定している。

その宮家に若い夫婦で養子入りを果たし祭祀を継承する。
このメリットとしては、「結婚の手間が省ける」ということ。

ただでさえ、宮様の御結婚には大変な時間と労力がかかり一筋縄では済まない。


あらかじめ、結婚した若い夫婦が養子入りを果たせば以上のことが起きる。
また、養子入りではないが既に断絶した「秩父宮」をはじめとする宮家の祭祀を継承することになれば、祭祀継承問題と御結婚問題が一挙に解決する。


⑶,家族として養子入り

断絶することが確定している宮家に養子入りを果たせば、祭祀継承問題 御結婚問題に加えてお世継ぎ問題も一挙に解決する。

以上が養子入りの内容である。


【⑦ 皇位継承の三拍子】

ここまで皇位継承の現状や歴史等を説明してきたが、皇位継承にあたっての大事な三拍子がある。

それは、『先例』『男系』『直系』である。

先例とは、皇室の長い歴史の中で紡がれてきたものを未来へと継承すること。皇室は先例の世界が大原則。

男系の説明については既に述べた通り。

直系とは、父から子 子から孫へと継承すること。

三拍子と言ったが、男系は先例と=である。
しかしながら、大事なことであるのであえて切り離した。

実は、直系はそこまで重要ではないが、なるべくは直系が望ましい。
(現状、皇位継承は傍系がほとんどである)

(この三拍子は、歴史の事実であるがメディア等で発信をした方は、「皇室史学者」である倉山満さんから引用)

【⑧ 鉄の掟】

ここまで、男系の重要性を述べては来たが
天皇の男系の血筋を引くからとはいえ、誰でも良いわけではない。

これには、「鉄の掟」が存在する。

それは、「君臣の別」「5世の孫(そん)」である。

まず、「君臣の別」について説明をする。

「君臣の別」とは、君主(天皇)と臣下(皇族以外の方)には超えてはいけないものがある。
それは、皇族として生まれた者以外の男性が皇室に入り皇族や天皇になろうと企み、実行へ移すこと。
先にも述べたが、足利義満は自身の子どもを天皇にしようとしたり自身が上皇になろうと画策したが、彼は上皇へ正式になる直前に死んだ。
義満の死は、病か暗殺か定かではないが
何れにせよ前代未聞の事案が起きる前でよかった。

歴史の教科書に出てくる人物の大半は、彼らは皆天皇の子孫であるが、彼らは皇統に属してない為天皇はおろか皇族にさえなれない。
(ただし、先程述べた旧宮家の御子孫は例外)

次に、「5世の孫」について説明する。
「5世の孫」とは、天皇の皇子(息子)から数えて5世代後に生まれた皇族は「臣籍降下(民間人になる)をしなさい」という原則である。

理由としては、様々あるが皇族の人数をある程度制限したりする為である。

中には、3世(曾孫)の代で降下した者もいるので一概には言えない(例 平将門(桓武天皇の玄孫(4世の孫)がいる)

では、何故5世か?というと先例は、第25代武烈天皇から第26代 継体天皇の継承した時代まで遡る。
以下の画像に基づいて説明する。

第25代 武烈天皇は、突如若くして崩御あそばされた。しかも、お気の毒なことに子どももいない状態での崩御であったため、至急皇位継承者を確保せねばならない当時の宮中の苦労はいかばかりであったかと拝察する。

そこで白羽の矢が立ったのは、越野三国(こしのみくに)(現 福井県 坂井市)にいた男大迹王(おおどのおおきみ)が次期天皇として皇位を継ぐように話が進んだ。

男大迹王は、第15代 応神天皇の5世孫である。

しかし、すぐには実現せず都入りには何と19年もかかったと言われている。

理由としては、畿外出身者が大和入りするにあたり抵抗勢力がいた。または、新しい政治を執る為に一定期間を有した。と言われています。

また、継体天皇王朝交代説が戦後暫く盛んだったが、現在は下火になっている。

何故ならば、仮に王朝交代があったとしても大規模な戦争の跡が地質などから見つかっても不思議じゃないにも関わらず全く持って見つかっていない。

故に、王朝交代説は否定されている。
(竹田恒泰氏著「天皇の国史」を一部引用し、私なりの解釈でまとめた)

以後これが先例となり、皇族の人数比のバランスを考える際にひとつの指標となった。

これが、5世の孫の故になった理由である。


【⑨「男系継承に固執すると日本が滅ぶ」という愚論を吐き捨てる者達へ】

あるメディアで実施されたアンケートでは、

『Q,女性天皇や女系天皇に賛成しますか? 』という問いに対して、女系天皇に賛成が「64.2%」女性天皇に「78.3%」と発表された。

一見これでは、過半数以上の賛成と思えるが実は質問には続きがある。

『Q,女性と女系の違いについて理解していますか?』の問について。
よく理解している 10.6%」「ある程度理解している 33.4%」
「あまり理解していない 31.6%」「まったく理解していない 20.3%」となった。(産経新聞やFNNの世論調査より引用)

実は、過半数以上は理解していないことになる。

ところが、女性・女系天皇を推進する一部の与党議員やほとんどの野党議員そしてほとんどのメディア又は有識者は、最初の質問しかしてないかわからないが「これが国民の意見だ」としているのは笑止千万である。

【⑨ 暴言を吐く輩へ】

口が悪くなってしまうが、国家の根幹たる危機であるので

ネット界隈でも同様の意見がまかり通り「Yahooのコメント欄」「YouTubeのコメント欄」等で騒いでいる。

私は、実際にこの論文もどきまではいかないが懇切丁寧に男系の重要性を解いたが、ほとんどが理解していない。

あまつさえ、書き込みには「男系継承に固執すると日本が滅ぶ」という愚論を吐き捨てる輩まで存在する。

さらには、何処まで事実かわからないのに「皇太后陛下(美智子さま)」や「秋篠宮御一家」に対する言われなき誹謗中傷まで存在している。

私は、これらについて怒りがふつふつと湧いてきた。

何を持ってしてその暴言が書き込まれているのか?その神経が理解できない。

「てめえらが何知ってんだ?」と説教したいくらい。

これは、天皇皇后両陛下が皇太子同妃時代にも同じバッシングがあったが、今では下火に。

しかし、Twitterでは「新天皇は(皇后と)別居し、皇后は廃后に」などほざく輩も。

本当に許し難いことであり、日本人として恥ずべきことである!

そんな輩は、腹を切って死んでもらいたい。

「てめぇらが皇室を語るな」と言いたくなる。


【結びに】

長々と綴ってきたが、本当にわが国の根幹を揺るがす由々しき事態がすぐそこまで迫っている。

これを読み終えた皆様は賛否両論でしょうが、国民の中でも議論をして皇室の弥栄を願うことが、わが国が末永く続くことでもある。

これを念頭におき、盛んに行われることをひとえに念じ筆を置く。


令和3年 3月11日 智渕剛


【用語集】

*① 御譲位・・・天皇が皇位を退き、皇嗣(次期皇位継承者)に譲ること。しばしば「退位」と混同されるが、わが国の歴史的背景等を鑑みてここでは「御譲位」と表記する。

*② 8方10代・・・歴代天皇の中で即位した女性の天皇を指す。女帝とも言われている。

33代 推古(すいこ)天皇 35代 皇極(こうぎょく)天皇
37代 斉明(さいめい)天皇(35代と同じ)
41代 持統(じとう)天皇 43代 元明(げんめい)天皇
44代 元正(げんしょう)天皇 46代 孝謙(こうけん)天皇
48代 称徳(しょうとく)天皇(46代と同じ)
109代 明正(めいしょう)天皇 117代 後桜町(ごさくらまち)天皇を指す。

8方のうち、35代及び46代が重祚(2度即位する)しているから、代数は10代となる。

*③ 諱 (いみな)・・・天皇や将軍等高貴な地位にいる方々の所謂お名前を指しており、元来は直接お名前で呼ぶのが憚られてきた伝統により敬避(けいひ・・・敬って避ける)から来ていると言われている。

*④ 弓削道鏡・・・奈良時代の僧侶。48代 称徳天皇の寵愛を受けていたと言われており、称徳天皇と姦通(かんつう 社会的に許されない性行為を指す)した説。巨根説がある。
彼に、皇位簒奪意図があったかは定かではないが、日本三大悪人と言われている。

*⑤ 皇統(こうとう)・・・天皇の血筋を受け継ぐ者を指す。(臣籍降下した者やその子孫も指す場合もある)

*⑥ 桂宮・・・安土桃山時代に設立された誠仁(さねひと)親王(後に、*陽光(ようこう)院)が初代当主。
(*○○院とは、上皇の古い呼称であるが「天皇」としては即位してない)

四世襲親王家のひとつの宮家であり、八条宮 常磐(ときわい) 宮 京極(きょうごく)宮の流れを汲む。

昭和時代に設立された三笠宮崇仁親王の第2男子 宜仁(よしひと)親王とは関係ない。

* ⑦ 世襲親王家・・・南北朝時代から江戸時代にかけて存在し、今上天皇(その時代毎に在位している天皇のこと)からみて血筋の遠近に関わらず、代々*親王宣下(皇族に親王や内親王の*身位を与えること)を受けていた一族。
(*身位とは、身分のこと)

* ⑧ 践祚・即位・・・「践祚」皇位を受け継ぐこと。 「即位」・・・皇位を受け継いだ旨を内外に広く宣明(自身の立場を明らかにする)すること。
(かつては50代 桓武天皇以来分けていたが、現 皇室典範では記載されていないため、即位と一緒になっているが、「即位礼正殿の儀」において、元来の即位の意味として存在している)

*⑨ 一代限り・・・明治初期においては、宮家は一代限りとして存在し、二代目以降は華族として降下した。(理由としては、皇族の人数が多かった為)

*⑩ 旧皇室典範・・・明治22年から昭和22年まで存在していた天皇及び皇族の身分等を記載した家憲(家訓のようなもの)。

昭和22年から運用している皇室典範と区別する為「旧」と「現」で使い分けている。

* ⑪ 永世皇族・・・天皇の世数から関係なしに終生皇族として存在できる制度。


*⑫ 親王・・・天皇の嫡男系として生まれた男性皇族に与えられる身位。

*⑬ 内親王・・・天皇の嫡男系として生まれた女性皇族に与えられる身位。

*⑭ 王・・・親王として生まれた男性皇族以外に与えられる身位。

*⑮ 女王・・・内親王として生まれた女性皇族以外に与えられる身位。

(これらは時代によって定義が変わるが、「現 皇室典範」では、「2世までは親王 内親王」それ以外は、王 女王」となる)
(ちなみに、現代の皇族には「王」は存在していない)

【引用及び参考文献等】


皇室典範(首相官邸ホームページに掲載)

Wikipedia「天武天皇の家系図」

歴史ライター「拓麻呂」 ブログ「日本の白歴史」

首相官邸ホームページ「皇室制度に関する有識者ヒアリング」

竹田恒泰 著「語られなかった皇族たちの真実」「天皇の国史」(作家・ラーメン屋)

Wikipedia「継体天皇の家系図」

産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査 2019年 11月実施

倉山満 (皇室史学者) 月間 「正論 」8月号」(江崎道郎(ジャーナリスト) 榊原智(産経新聞 論説副委員長)との対談)
倉山満著「日本一優しい天皇の講座」

所功(歴史学者)「皇室典範と女性宮家」

「朝日新聞デジタル」(拾い画像の為、時期は不明)


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