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NFTで思い出を売買できるか

現在のNFT(non fungible token)

NFT(non fungible token)が話題だ。
ここ数週間で目にする記事が一気に増えたが、個人的には下記3つの記事がわかりやすかった。

デジタルデータの所有と管理
・メタバースに繋がるコレクタブル市場の成長と進化
https://offtopicjp.substack.com/p/collectibles-nft-metaverse

アート市場とNFT
・NFT Art Boom Is the Same Concept as the Photography Market - Bloomberg
https://www.bloomberg.com/news/articles/2021-03-02/nft-art-boom-is-the-same-concept-as-the-photography-market

ブロックチェーンの環境コスト
・The Unreasonable Ecological Cost of #CryptoArt . Part 1 | Medium
https://memoakten.medium.com/the-unreasonable-ecological-cost-of-cryptoart-2221d3eb2053

特に1つ目のOff Topicさんの記事はデジタルアートバブル的な側面に限らず、どのような業界のどのような影響が出るかの分析が非常によくまとまっている。特に二次流通市場での作者への還元モデルについては個人的にはかなり期待が持てると感じた。

TweetをNFTで買う

上記のような話はいろいろな動きが今後も出てくるし、様々なところで言及されているので置いておいて、ここでは世界で一番最初のTweetが高値で売れたという話から思ったことを少し書いていきたい。

・Jack Dorsey is offering to sell the first tweet as an NFT
https://www.cnbc.com/2021/03/06/jack-dorsey-is-offering-to-sell-the-first-tweet-as-an-nft.html

デジタルデータの所有権を証明できるかつ容易にそれを売買できるプラットフォームがあるのがNFTなので、Tweetの所有権を購入するという話自体は理解できる。理解はできるけど、よくよく考えるとTweetを所有するというのはどういうこと?という疑問が湧いてくる。

実際、上記のように購入していない私でも引用として上記のようにTweetを貼り付けることはできてしまう。

少し調べてみると同じようなことを考えている人はやっぱりいて、下記のように書いていた。

What does “buying” this tweet actually mean? “What you are purchasing is a digital certificate of the tweet, unique because it has been signed and verified by the creator,” according to Valuables’ FAQ.
In other words, an autograph. You’re buying an autograph.
The tweet will continue to live on the internet for as long as Dorsey, and Twitter the company, choose to keep it up.

・Jack Dorsey is trying to sell his first tweet as an NFT - The Verge
https://www.theverge.com/2021/3/5/22316320/jack-dorsey-original-tweet-nft-cent-valuables

文中からリンクされている Valuables FAQ を見ると、Tweetの売買プラットフォームValuablesが、Tweetの売買をどのように定義づけているかがわかる。

個人的に気になったのがWhat can I do with tweets that I own?の項で、転売する権利とオンラインギャラリーでの展示の権利を所有しているということが書かれていた。

What can I do with tweets that I own?
You are able to resell them on Valuables or display them in your online gallery. As with any collectible, you can choose to just keep it in a private collection.

この「実際、商品にひもづく何の権利を所有できるの?」という定義については、プラットフォームごとに違うはずである。Valuablesは現在のNFTデジタルアートの流れで生まれたプラットフォームなので、オンラインギャラリーでの展示を前提としていた投資対象のアート作品ということなのだろう。
が私がNFTにおかしみを感じて、このテキストを書こうと思った理由がここにある。

特にアートの売買の場合、その作品にひもづく様々な権利は契約の中で明確に区別されている。NFT化されたデジタルアートの所有権とオンラインギャラリーでの展示権を売ったとしても、その作品の著作権と著作者人格権は譲渡されるわけではない。
NFTを通じた売買において、何の権利が紐づいているのかのデザインがとても重要だということである。

アナログにおけるモノの所有とコトの消費

経済活動において、物理的なモノを買うというのが最もシンプルな形である。モノを手に入れる代わりに対価を支払う。他には、物質的なものでないものにお金を払うということがある。これは、家賃だったり、携帯料金だったり、レストランのサービス料だったり、モノに付随したサービスの利用権に対して対価を支払ったと考えることができるだろう。
物質的なものでないものにお金を払うということもある。これは、家賃だったり、携帯料金だったり、レストランのサービス料だったり、モノに付随したサービスの利用権に対して対価を支払ったと考えることができるだろう。

「モノからコトへ」という言葉を数年前から耳にするが、これは「コト」、機能ではなく体験や感情へ対価を支払うという流れに消費のありかたが広がってきたということを意味している。
モノは所有できるため資産に変換されるが、コトは所有ができないためその場で消費される。しかし、そこで生まれる体験や感情が経験として蓄積され価値になる。最近では、リアルタイム性に重きをおいたトキ消費なんていう考え方も出てきているようだ。

未来に生まれるモノ、コトについても、所有や体験の先行予約権などのかたちで対価を支払うことは一般的である。未来についてはさらにモノやコトへの貢献するという方法で未来につながる現在進行形のストーリー参加の側面が生まれている。これはクラウドファンディングやファンコミュニティといったものの価値となっている。

過去に生まれるモノやコトについてはどうだろう。過去に生まれたモノは大抵の場合は時間の経過につれ価値が下がっていくが、アンティークなど付加価値がつくことで価値が上がる場合もある。過去の出来事や文脈といったストーリを紐づけたをモノに紐づけることにより、過去のコトを価値化することに成功していると言えるだろう。しかし、過去のコトについてはそれ単体で価値にすることが難しい。

これらがアナログにおける消費行動についての現在だろう。

デジタルで実現されるコトの所有

NFTに話を戻すと、やはりデジタルだからこそ実現できる体験や概念というものを模索したくなる。

現在NFTで実現されているのはデジタルにおける所有権の流通である。モノの所有の証明を、物理的な所有からトークンでの所有に置き換え、流通をより容易にしたことにより現在の状況が生まれてきた。では、コトについてはどうだろうか。
NFTを用いた「所有」は実際に手元にあるわけではなく、契約とデジタルでの記録による概念的なものなので、無形のものにもその「所有」を当てはめることができるように思う。それはつまり、現実世界では難しい「コト」の所有が可能であるということだ。アナログと違って「コト」を「モノ」の付加価値に変換する必要がなく、「コト」そのもの単体での所有と売買が実現できるのではないだろうか。

前述のValuablesのTweetを所有するという概念は、一見すると他のプラットフォームと同様にデジタルデータを買っているようである。しかし実際はデジタルデータの購入は行っていない。ブロックチェーン上の記録に所有権の移動に関する記録が追加されるだけである。

特にこのことは、私のようなビジュアルをアウトプットとしていないインタラクションデザイン作家にとって大きな影響を及ぼす可能性がある。
体験型の作品は事前に入場料を支払う形が一般的である一方、作品を体験したあとでの作品への支払いは難しい。
しかし、過去の「コト」の購入が可能になれば、作品を体験したのちにその体験を所有してもらうといった方法もできるようになる。

思い出のNFT売買プラットフォーム

体験や経験といった過去の「コト」を売買する仕組みは、誰かの経験や体験を購入して所有権を自分に移すといったことを実現する可能性を秘めている。たとえばそれは、今までの努力や貢献といったものも含むことになるかもしれない。その場合、文化祭などの共同作業であなたが人一倍頑張った努力と貢献は、誰かが高い値をつけて買い取ってくれるといったことが起こる。

より価値が個人に紐づいている「コト」として思い出はどうだろうか。

私の小さい頃、近くの公園にはよじ登れるようなちょうどいい木がなく、高いところに登れそうな構造物といえば公衆トイレだった。公衆トイレの屋根に皆で登るわけだが、そこには高いところから地面を見下ろす高揚感とトイレから漂う不快な臭いとが共存していた。

この思い出は、誰かに所有権を譲渡することができるのだろうか。その場合、この思い出を私は語ることができないのだろうか。それとも、この思い出を自分のものとして語る権利を発行するだけになるのだろうか。ひとつの思考実験ではあるが、「コト」のNFT化において何を売買の対象とするかを厳密に定義していくのはとても面白いように思う。

というわけで、思い出のNFT売買プラットフォームを作ってみるといろいろと新しく見えてくるものがありそうなので、もし一緒にやってみたいと思うような方いたら是非お声掛けください。

最後に、イーロンマスクの下記の画像が面白かったので貼っておく。


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