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当たり前という錯覚


今、サッカーに打ち込めている環境……

「当たり前じゃねーからな!」


ある人が言っていました。


2011年に東日本大震災が発生し
それから9年が経つ2020年にオリンピックが
宮城でも開催されることになり
それほど復旧復興が進んでいるのか。
疑問を持ち、震災について少し調べてみました。


そして当時の被害がそのままになっている
「宮城県石巻市立大川小学校」の
存在を知ることができ現地へ行ってきました。



3/11…

地震発生後に津波警報が発令され
市の広報車から高台へ避難するよう指示が出て
教職員・児童たちは、校庭に避難しました。


学校のすぐ裏には課外授業などを行っていた裏山がありそっちに避難しよう。
という声もあったそうですが
校庭が安全だと判断し
裏山には避難しませんでした。

校庭に避難した子供たちは、
心細さ・不安・恐怖などでいっぱいだったはずです。


そして地震発生から約50分後。
避難場所にも指定されている安全な場所のはずだった小学校を一瞬にして津波が襲い
多くの人たちが犠牲となってしまいました。



裏山に避難をしていれば

たらればになってしまいますが
皆それぞれ思うところがあると感じました。

今まで、震災についての話は耳にしてきましたが「百閒は一見に如かず」という
言葉があるように改めて甚大な被害を受けたのだと痛感しました。



選手たちが働くソニー仙台TEC(会社)も
震災の被害を受けました。

チームは開幕戦を控えた練習中でした。

練習場から会社に戻ったある選手は
売店のお菓子を小分けにし各建屋に配布し
雪降る中ダンボール1枚で寝たそうです。


翌日の食料はポッキー3本。


震災の影響でチームは無期限の活動休止となり
選手たちは会社の泥かきなどを行い
まずは会社が復旧・復興しなければ
どうにもならないとチームとして
サッカーをすることはほぼ諦めに
近い心境だったそうです。


その後は避難所でサッカー教室を数多く開催し
「サッカーで宮城を元気に」を合言葉に
会社から[復興のシンボル]になろうと
後期からリーグ戦に復帰し、JFL残留することが
出来ました。


いま、ソニー仙台FCとしてサッカーが
できているのは震災でのチームの窮地を
救ってくれたOBの方々や会社の人たち、
ファン・サポーター、地域の方々など
色々な人たちのおかげで
チームが存続しているからです。


サッカーが出来ることは決して
当たり前ではないし
サッカーが出来る日常をありがたいと
感じなければならない。


常に応援してくれる職場・会社の方々
ホーム、アウェイ問わず
会場に足を運んでくれるサポーターや
画面越し応援してくれる人たちがいる。


ソニー仙台FCとしてサッカーをすることができ
さらにたくさんの方々に応援してもらえているこの状況...


「当たり前じゃねーからな!」


自分に言い聞かして頑張ります。

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