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それは昔むかしから

今日ね、また新しい感謝を覚えたよ。
いいことがあったよ!どんなことかというとね、昔むかしの私の絵を知る方にね、私の描く絵の線の細さとか、ブレた線の具合が変わったよね、と指摘されたのです。よく見てくださっているなあ、と感動した。「上手になったとも言えるけど、その線も味として残るといいよね」とありがたい言葉までいただいた。

それから別の話で、私はラフよりも前の段階で設計図みたいなものを描くのだけどその時に、まる、さんかく、しかくの記号のみを使用していて、それを見破る強者が現れたのだ!やはり、見る方によってはどんなことでも、見破られてしまう可能性を秘めているのだね。なんていうか、悪いことはできないなって謎の緊張も覚えた。

去年の中旬あたりから意識が変わって「もう逃げも隠れもしたくない」と強く思うようになったの。それは昔むかしから「誤魔化すこと」と「誤魔化されること」がこの世で一番嫌いだってことも関係してるのだけど、じゃあなんでそんなふうに意識が変わったかというと、大切にするべきもの、人間が明確になってきたからなんだよね。

基準はやっぱり感謝からくるのだけど、恩を感じるものとまともに向き合うためには、やっぱり誤魔化すことって一番不要なことなのだよ。嘘をつくのとは訳が違う。嘘をつくっていうのは、大概理由がある。だけど誤魔化しには理由がない、誰のためにも自分のためにもならない。何も生み出さないなって強く感じるよ。だけどそんな誤魔化し人たちに昔むかしから、どういうわけだか強く立ち向かうことができなくて、自分の大切な時間をそんなののために、何年も捧げてしまったのさ。

でもな、そんな誤魔化し人よりも、感謝や恩を与えてくださる方々が私の周りに多く存在するようになって、こんなのに向き合っている場合ではないな、と。
恩を与えてくださる方たちとしっかりと向き合いたいから、もう私は逃げも隠れもしている場合ではなくなったのだよ。

昔むかしの(これは10代の頃なので本当に昔話)思い出で、微妙に心を開いていた先生に「他者から愛される人間になるにはどうしたらいいですか?」とお手紙で質問したことがあって、その時のお返事に「まずは他者を愛しなさい。そうすれば大抵のことはかえってきます。」と教えてもらったのだけど、本当にその通りだね。どっちの愛が先かはわからないけれど、同時に愛が進行するような、そんな素敵な世界で、今後もぬくぬくさせてもらいたいね。

昔むかしのわたしは、知らないところで活動している自分の存在が憎たらしくって、恐怖でたまらなかった。だけど今は、わたしのことを知ったような口ぶりで語ってくださるのが本当に嬉しい。いつまでもみんなの中で、わたしが暴れてくれていればいいのになあ、って思っちゃうよ。

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