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台湾へ、自殺寸前だった女の一人旅①序章


毎日快晴台湾

こんばんは。日本は寒いです。台南の地方では39度を記録したらしいですね。温度差の幅が激しい

2024年2月に台湾一周の旅に出ました。台湾が、旅行が私に与えてくれたもの、私が得た感覚について書きます。
その前に、私のプロフと経歴、現状について。

私のプロフ:台湾旅行・語学留学での滞在経験有、英語中国語レベル子供以下だけど頑張って話す。
私の現状:離婚問題抱え、DV被害でメンタル壊滅、仕事休職、自信も何もなし
注意:美談にするつもりも、可笑しく揶揄する気持ちもありません。

少し前の、半年前の話:DV夫から逃げ混乱し自殺未遂や自傷を繰り返し、死ぬなら沖縄の久高島か台湾だと思い、リュックを背負って羽田空港に行ったがあいにく連休の最終日で、ものすごい陽の雰囲気の空港に呑まれ、友人に拾ってもらって泣きながら鎌田のビジネスホテルに泊まって実家に帰る。
そのあとも死ぬ前に台湾と願ってきたが、そもそも飛行機嫌いでその上電車に乗れなくなり、半年ひきこもる。
間、なんとか久高島には行ったものの、行きの船から大荒れ、なんとか島に着いたが宿の自転車は全て貸出済。重たい足を引きずって先端のフーボー岬にたどり着きやっと死のうと思った、が、曇り空の島は大変気味が悪く、岬にはスピ系の団体さんが長く祈りを捧げており、待っても待っても去る気配なし。しまには、横笛や踊りを捧げている模様。岬から飛び降りる気持ちは折られ宿に引き返す。一日中、天気は大荒れで、夜は真っ暗。木々が、脅しのように雨風に揺れていた。次の日、やっと借りれた自転車で島を廻るも、昨日のスピ団体の方々は、今度は散り散りになってあちこちで祈りを捧げておられて、道を曲がるとでくわし、引き返して進もうとするとまた出くわす。昔のゲームみたいに、完全に行き場をなくし、早い船便で沖縄に帰る。神様がはよ帰れとおっしゃっていたのかしら。過去何回も訪れた時は、チョウチョがひらひらと舞って、太陽もさんさんと降り注いでくれたのに。大好きだった久高島が気味悪いと思ったことはなかったです。
沖縄で死に損ない、関東の家に帰り、冬がやってくる。
2024年1月、大雪の日、ひきこもりなりに社会の役に立とうと思い立ち、明朝の通勤通学の皆さまのために、深夜雪かきをすることで小さな自信がつく(徳をつむとはこのことか)。雪の夜って、音が吸い込まれていくんですね。静かで、でも空気がとてもきれい。そんな中、体をつかって、手先足先がかじかむもの生きている感覚がした。
雪の夜が、少しだけ私の後押しとなり、また、台湾の友人が誘ってくれたこともありやっと台湾へ

もっと早く台湾へ旅行に行っていればよかったとも思います。
それほど、半年に失ったものは多く、悔いも多い。
ただ、この半年、私は立てなかったし声も出なかったのは事実です。電車にも乗れなかったし、飛行場という異空間に一人で行けなかった。
人には必要な時間がそれぞれ違い、それを無理に縮めようとするのはその人を縮めることです。もし、、もし、他の向上心の強い記事を読んでなにかアクションしようとする方がいて、でもすぐ出来なくても自分を責めないでください。いつやるの、今でしょ、ということ格言がありますが、それは土台が整った上でのスタート合図です。私は一度飛行場に行って引き返したこともあるし、なんなら、数年前もチェックインしたものの、飛行機怖くて出国は出来なかったこともあります。おかね~。空港探検して帰りました。

ここで唐突に、台湾の友人が良く使う日本語を紹介します。
「しょうがない」
あまり好きな言葉ではないですが、うん、この時ばかりはしょうがないです。でも、いつか、しょうがなくない、になるといいです。
この記事は、私の旅の記録とともに、同じような境遇・悩み・自分が嫌いな人・行き詰まりを感じている人・心が重い・鬱状態の方に
こんな気づきもあるよと面白く読んでいただければ嬉しいです。


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