Sugeno Mizuho

意志あるところに道はひらける。自由を愛するアクティビスト Fukushima/有機農業…

Sugeno Mizuho

意志あるところに道はひらける。自由を愛するアクティビスト Fukushima/有機農業/アグロエコロジー/農と食の共育/平和/つながりを取り戻すワークショップ/Activehope/原発/核なき世界/気候変動/Climatarian

最近の記事

福島から愛と祈りを ~3月11日開催~

はじめて「つながりを取り戻すワークショップ」をファシリテートした2022年3月11日。友人限定で開催させていただきました。記録用で残します。 あの日からの出来事を語ること、言葉にすることの苦しみを抱えた10年から今年で11年目を迎えます。 魂が望む方へとワクワクを表現する世界へと一歩ずつ踏み出しています。 それは、この文章を読んでくださる方と生み出される「協奏」と「創造」の時間をより楽しむためです。 私が今学んでいる「つながりを取り戻すワーク」を通して、世界の癒しと生

    • 福島から地球を癒す~いのちのつながりを取り戻す2日間in浪江~

      わたしの痛みはどこからくる? 痛みを通して語られるものはなんだろう? 生きとし生けるすべての命のつながりを感じることでわたしを癒し、この地球が癒されていくことでしょう。 福島の地で、地球の声を聴き、浪江の大地の声とつながり、わたしたちの限りない可能性、愛と勇気を取り戻していく時間を過ごします。 それは、社会のうねりの中で、ふさぎ込んでいた声なき声を届けることかもしれません。ともに集い、ともに踊り、ともに問いあうこそ、わたしたちの力となると信じて歩みを続けていきます。

      • ともに集い、ともにいる未来へ ~福島とシアトルのつながりを感じて~inSeattle 

        7月1日(金)「シアトルからこそ」の皆様とのつながりで生まれた場を開催したことをレポートします。 ▶イベント詳細 Songs of Hope 主催 『ともに集い、ともにいる未来へ ~福島とシアトルのつながりを感じて~』 | junglecity.com *シアトルからこそは、震災後、音楽を通して復興支援活動を始めたSongs of Hope(SOH)が母体です。 演奏から幕を開け、美しい歌声が会場に響き渡りました。 「浜辺の歌 」「群青」 歌:Fumiさん&絵梨子さん  ピ

        • わたしが渡米した理由

          今年の春、わたしは2年間の浪江町での生活を終えました。原発から約10キロ地点、比較的放射線量が低い土地を選び、荒れた大地を耕し、作物をつくり、この地域で暮らす人々が食や農を通して笑顔になることを望んでいました。そのための復興拠点として道の駅なみえの立ち上げから運営に参画し、何のための場所なのかを日々考え奔走しました。 わたしは原発事故の教訓から何を学び、どんな未来を描くのかを日々問いながら自分にできることをひとつひとつ実現していく時間でした。しかし、生命持続可能な未来とは逆

        福島から愛と祈りを ~3月11日開催~

          記憶を辿り、言葉を紡ぐ

          ■10年目の手記 という本が今年3月に出版された。 とある本屋さんが開いたトークイベントの告知をみて、申し込みをした。 4月のこと。 瀬尾夏美さん、くどうれいんさんのトークイベントに行ってきた。 ふたりの女性、同世代ということもあり、なにかのヒントを得るために。 その時綴った自分用のメモ 当事者として、被災者として求められる姿を演じて語ることに、時間をとられすぎた。 自身の最も大切な体験について十分語られていないのではないか。 忘れたくない 忘れてほしくない

          記憶を辿り、言葉を紡ぐ

          あさこはうすを訪ねて

          「日本の高レベル放射能のゆくえ」 をテーマの映画制作のため青森県六ヶ所村~むつ~大間町を訪ねて。 大間原子力発電所の敷地内に住む女性に会ってきました。 その場所は『あさこはうす』 裏には原子炉建屋がみえる。 入口には警備員がいて、道沿いは両側フェンスの壁。 奥に進むと看板と小さなログハウス。 わたしたちに駆け寄ってくる二匹の犬。 過疎地域故、地域振興のための原発誘致  1976年(昭和51年)から商工会が「原発設置を求める環境調査」請願からはじまる歴史。 漁

          あさこはうすを訪ねて

          日本の高レベル放射性廃棄物のゆくえ

          昨日から青森県六ケ所村にきています。 私は感心はあったものの訪れるのははじめてです。 フリージャーナリスト稲垣さんと一緒にここで起きている核燃ゴミサイクルの「今」を見て、感じて、ここで暮らす人々の声を聴きます。 彼女は映画制作をするために来ていて私は今回アシスタント役を急遽頼まれました。 ふと、このようなお役目がわたしの前に来た時に現実から目をそむけたくないという衝動でしょうか。 この世界で起きていることに目を見開いて!という内なる声でしょうか。 福島の原発事故以前よ

          日本の高レベル放射性廃棄物のゆくえ

          【オンライン】ウクライナ交流イベントに参加しました。

          【オンライン】ウクライナ交流イベント:わたしたちが大切にしたい "人権が守られている「日常」" について考える 私の友人が主催したこのオンライン企画に参加しました。 ゲストのナタリアさんとも知り合いで、昔かかわっていた全国農民連青年部の活動でお会いしたことがあります。 ゲストプロフィール:ナタリヤ・マリコバさん ウクライナ人の母とロシア人の父の間にウクライナで生まれ、育つ。86年チョルノービリ原発事故と91年ソビエト連邦崩壊をウクライナで経験。2009年に千葉大学院留学

          【オンライン】ウクライナ交流イベントに参加しました。

          ウクライナ料理

          時々一緒に料理をしています。 東京の友人から送ってもらったビーツときゅうりのピクルスの材料がそろったので、ウクライナ料理を作ってくれました。 ●ボルシチ 日本では、ビーツ料理はあまり馴染みがないけれど、ボイルしてサラダにしたりよく食べるそうです。 ●そばの実 カーシャとウクライナ風ハンバーグ ハンバーグの中にはバターが入り、ジューシーさがありました。 とても美味しいウクライナ料理🥰 ごちそうさまでした。

          ウクライナ料理

          じゃがいも植え!

          4月13日 今日はウクライナから二本松への避難民 Olga さんとじゃがいも植えをしました。 彼女との記録を書くために綴ります。 わたしの実家の畑で1日農作業☀ わたしの友人たちにも声かけて、広い畑でじゃがいもを植えました。同世代の仲間たちが集まってとても賑やかに過ごしました。 ウクライナでは主食がじゃがいもということで、毎年彼女も母国ウクライナで作っていました。 だから、作業も手慣れたもので! じゃがいもを植えて、肥料をまいて、土をかぶせる作業をみんなでやりました。

          じゃがいも植え!

          ウクライナの女性との出会い

          2022年4月7日。 それは彼女と出会い、わたしの新たなはじまりだった。 戦禍を逃れウクライナから単身で二本松市に避難してきた。 ウクライナ人 二本松に避難 わたしは、見ず知らずの場所に来て言葉も通じない環境にきている彼女のことが気になり、心細いだろうなと想い会いに行こうと決めた。 彼女は私を向かい入れてくれて、数少ない英語の単語を並べつつ1時間ほど会話をした。とても話しやすくすぐに打ち解けた。 そして翌日には、一緒にご飯をつくり、いろんなお話をしながら過ごしていた。

          ウクライナの女性との出会い