わたしが渡米した理由
今年の春、わたしは2年間の浪江町での生活を終えました。原発から約10キロ地点、比較的放射線量が低い土地を選び、荒れた大地を耕し、作物をつくり、この地域で暮らす人々が食や農を通して笑顔になることを望んでいました。そのための復興拠点として道の駅なみえの立ち上げから運営に参画し、何のための場所なのかを日々考え奔走しました。
わたしは原発事故の教訓から何を学び、どんな未来を描くのかを日々問いながら自分にできることをひとつひとつ実現していく時間でした。しかし、生命持続可能な未来とは逆