十人十色と思うこと

連日某地域の戦闘状況がテレビで写しだされてウクライ○情報が薄くなっている。そんなことはないのだが。

高度成長期、バブル崩壊等の時代の最中の私達は当然、戦争というものを知らない。知識としては持っているだけで、大半の人は実体験はしていない。
連日のテレビ映像だけで琴線に触れて、映像見ていられないとテレビ消してしまう人も中にはいるだろうが、
建物や戦車などが狙われ、照準が合い、やがて吹きとばされる、という映像はほんとに不謹慎は重々承知で言うが、シューティングゲームのようだ。わたしにはそう感じてしまう。
が、最近の報道の「腕に自分の名前を書いておく」という行動には違うものを感じた。
テレビで報道していたから理由は知っていると思うけど「自分だ、とわかるように」ということだ。

自分が、あるいは子供がいつどこで爆弾を受けて身体がバラバラに吹き飛ばされても、それが「自分」と他人にわかるように、という意味だ。
自分が明日にでも爆弾で吹き飛ばされてもおかしくはない状況にもいるということ肌身で感じている、ということだ。

何?そのリアル。

遠い過去や遠く離れた場所での出来事を身近のリアル現実として感じとれる要因、ということも人によってそれぞれだろうと私は思うわけで。

近い話でこういうのも在る、という例を上げておく。

某氏のYoutubeで、その人が、ある外人さんから質問を受けたそうだ。
何故日本には核シェルターがない(普及していない)のかと。

海外では当然のように各家庭や施設に造っておくものらしい。

それに対して氏はこう答えていた。
海外ではたとえ核戦争が起きたとしても、備えさえしておけば助かる余地がある、そう思っている人が多いからシェルターを確保しておくと。
日本人はそう思っていない。核戦争が起きたら人類は滅びると思っている。生き延びることはできないと。だから核シェルターは無用の長物になるから造らないと。

これは、過去の経験していないものだとしても、未だ原爆を落とされ当時の事を知っている人がいて、それを元に教育がされた唯一の被爆国日本人だから持っている感覚だろうと。




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