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他人の背景

ちょっと前に母親が病院から退院し、リハビリ施設に移動したって話を書きました。

施設に移動するにあたりここはリハビリがメインなので、要約すると該当しなくなった場合は退去していただくみたいな説明されました。

例えば病気した、例えばリハビリ介助さんの手に負えないような行いをする(酷い暴言、暴力)、他の人に多大な迷惑を被るような行為などなどです。

聞いていて、もしかしたらあまり長く居ることはできないかもと内心思いました。

何故なら退院した母は無気力だったからです。自ら歩こうという意志も感じられなければ聞いたところによると病院から出された食事も拒否するようなこともあったとか。

施設の人の話を聞いて、私のみならず姉貴や弟も内心そう思っていたよう。

さてここで言っておきたいことがあります。
私の過去記事のその内容を読んだことがあるのであればおわかりかと思いますが、私の母親はいうなれば障害者です。
読み書き計算ができません。よって私は普通の家庭であれば教わるような一般家事からたしなみから、そういった事柄を一切母親から教わっていません。五体満足に産んでくれたことのみの感謝しか持ち合わせていません。

コミュニケーションをとることさえ難しい人ですから、普通なら得られるであろう数々のことを諦めざるを得ませんでした。
期待すらできなかったのです。
放任主義をせざるを得ない環境だったとでも申しましょうか。
ほぼ生まれつきのものですから言いようのない怒りの持って行き場がありませんでした。

何故父親があの人を伴侶に選んだのかさえわからなくて、ただこういうことだろうと考えるしか落とし所がないのです。


ちなみにもう痴呆も始まっていて私のこと覚えていないけれどそういう母親でしたのでショックは全くなくて、「酷くなったな」程度の認識でした。
ただ「普通の一般家庭が得られるであろうことを私は全く受け取っていない」という怒りはあって、だから母親の今までの、これからのナンヤカヤは全て姉弟に丸投げです。私が一番損している、受け取っていない、という思いがあるから。

リハビリ施設の人から母親の入院する前の生活状態を診たい、ということで都合上、私が実家を案内することになりました。

家の中の段差や手すりの高さ、お風呂はどうしていたのか(知らないけど)色々聞かれて、ではよろしくお願いしますとなった時、施設の人から意外なことを言われました。
母親が元気になった、というのです。食事も拒否していたと聞いていたけど食欲があって、こちらが用意した分量では足りないのではないかと懸念するほどだそうです。

病院の環境がストレスだったというのもあるのでしょうが、施設の人の対応の優しさを感じました。
コミュニケーションは取れないけれどよく喋る、というのです。きっと母親の話を熱心に聞いてくださっているのでしょう。

フリでもイイのです。
形だけでもイイのです。

その対応が母親のストレスをなくし、元気が出たのでしょう。

私や姉弟ではこうはいきません。
今までの蓄積というものがあって、割り切れない感情がどうしてもあります。

実は障害者の母親で、それに伴う他人にはわからない苦労をしてきた私達では穏やかに接するなどできません。

その背景を知らない施設の人だから、そして仕事で対価も発生しているから胸の内ではともかく、表面でも親切にしてくれるでしょう。
有り難いことです。

他人の背景を知らないということは当たりが酷くなることもあるけれど逆に背景を知らないからこその親切も出来ると思ったのでした。



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