アニキ、逝く
12月6日、アニメソング界の帝王・アニキこと
水木一郎氏が亡くなったとのこと。76歳。
こうして次々と、わたしの人生に彩りを添えてくれた人たちが鬼籍に入っていく。
それは
仕方ないことだけれども。
20代、30代ではよくわからなかった感情がこうして増えていくのだなと思う。
今、20代や30代の人達が「この人、何言ってるのかな?」と感じていると思う。
それは私がかつて親世代に親世代のヒーローやヒロイン達が亡くなった時に思っていた感情と同じだ。
きっとこの感情もわかる時がくるから。
いつものように各局で水木氏の訃報の知らせとその功績を流していた時に、意外に海外で歌っていた事実に驚いた。
最近は日本のアニメが世界中に知れ渡っていることは日本では周知の事実だが、失礼ながらアニキの活躍のアニメはちょっと世代が古い。だから最近のアニメは世界に知れ渡っているとしても、昔のアニメはそうでもないだろうと思っていたのだ。
それがどうだろう、アニキが活躍していた古のロボットアニメを始めとした数々のアニキの歌が世界に知れ渡っていて、実際にアニキが海外でライブをしていたなんて全然知らなかった。
とあるテレビ番組で、何故アニキを知っているのか、と、海外でライブに来ていた外国人にインタビューを試みていた映像が流された。
今の言葉で言うところの海外の日本アニメファンガチ勢で、日本のアニメ(ソング)をもっと知りたいと深く追求していったら、アニキにたどりついた、という。
そこで、日本のアニソンという世界をその頃のアニメソングにアニキが歌っていることが多いこと、又日本のアニメソングという世界を切り開いた帝王という異名を持つ男として認識したと語っていた。
昔、もう20年以上前、某番組企画で、アニキの持ち歌は1000曲以上あるという話から、24時間1000曲ライブという企画が持ち上がり、敢行した。
場所は富士山麓近くの野外劇場だったが、実は私これに行った。
確かに1000曲歌った。色々都合で被り曲だとか、体力の問題で触りだけ歌った曲というのも数多く存在したが、兄や姉がいた私はもの心ついた時からアニキの歌う曲を聞いていた。
みんなの歌というN○Kの歌番組のレコードが家にあって、もちろんこれは兄姉向けの私からすればリアルではない曲だったのだが。
あ、この曲家にあったみんなの歌のレコードにあった曲、これ歌っていたのアニキだったんだ!
という発見があった。
ちなみにこのライブ、企画したテレビ番組で後に放送され、はからずもテレビで放送するという番組の裏事情(進行だとか)を私が垣間見た初めてのものだった。
あの頃はまだまだオタクは日陰ものだったのだが、人は相応にいたし、今に負けじ劣らじ熱かった。
私がアニキと呼ぶのはちょっと違うような気がするのだが、敢えて追悼と敬意を込めて
「アニキ、ありがとう。」
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