その時の最善

 自分の育った家庭が「機能不全家庭」と知った時、ホッとした。それまで抱いていた生きにくさ(辛さ)の説明がついた気がしたからである。ほぼ同じ頃「その時はその時で(その行動を取ったのは)仕方がなかった。ヒトは無意識の中で『その時の最善』を選んでいる。後悔したり、あれで良かったのかと思ったりするのは、そこから成長した証。」この言葉に出逢った。ますますホッとした。以来、この言葉を胸に自分を励まし、鼓舞して生きて来た。
 
 別れたDV夫と暮らしている間、誰よりも先に起き、最後に寝るのは私だった。家事をこなし、仕事もし、理不尽極まりない相手の要求にこたえ、その欲求を満たす。当時はそれが当たり前と思い、何の疑問も抱かなかった。むしろ自分さえ我慢すれば全てうまく行くと、今から考えれば、ある意味傲慢、的外れな忍耐を自分に課し、その無理ゲーに必死に挑んでいた。
 以前も書いたが、自分らしさを実感していると必ず、それを叩きのめされた。最初は何がなんだか分からなかったが、何回もやられる内に、そのパターン、サイクルを理解した。素(す)の自分に戻り、自分の世界でリフレッシュする時間が全く無い状況に、知らず知らず疲弊して行った。それまで以上に体調を崩しやすくなった。が、メンタルはむしろ、アドレナリン出まくりの戦闘態勢。もっぱら防御、防衛のためだったが、そうでないとDV夫からの精神的DVに耐えられなかった。そのアンバランスから来るダメージは、私をますます不調に追い込んだ。
 そのタイミングで、本を通して、自分がDVの渦中に在るのが分かった。ショックであると同時に、納得した。どげんかせにゃあかん! とも思い、いろいろ考えた。DVに関する本もまた、手当たり次第読んだ。そうこうする内に浮かんだのは「こんな状況のままでは死にたくない」だった。現状からの脱出を強く意識し、方法を模索した。相手に気取られないよう、細心の注意を払いながら。
 チャンスは突然やって来た。まだ脱出を思っていただけで、具体的な備えなど皆無だったのに。が、チャンスの女神には前髪しかない=その前髪を掴まなければ、チャンスは失われてしまう。何よりも「もう無理!!」という、心の声の大音声に突き動かされた。

 脱出=それまでの生活の終わり=新たな生活の始まり。

 新しい生活を始めるのは、たやすいことではなかった。同じように、それまでの生活に終止符を打つのも。
 混乱と混迷、混沌の中で重要だったのは、自分一人で抱え込まない、これだった。それまで、DV夫との生活について、誰かに打ち明けたことは全く無かった。そんな私が医療機関、区役所、警察署、男女共働参画センター、弁護士事務所、自助グループetc.、さまざまな所を訪ね、支援を依頼し、相談した。どこにそんなエネルギーが残っていたのか(火事場の馬鹿力?)。訪ねた先で、セカンダリートラウマを受けたこともある。事情説明が、フラッシュバックのきっかけになったことさえ。
 それでも、何とか生き延びた。これも「その時の最善」を選び取って来た結果と、受け止めている。思い返せば、後悔はある。あれをしていたら、あれさえしなければ、これができていたらと、思わなくもないが、命を失わなかったのが「何よりの結果」なのだ。

 生と死の間(あわい)は、はかない。あの時逃げ出さなかったら、いよいよ精神的に追い詰められ、フッと「あちら側」に逝きたくなっていたかもしれない。それだけではない。「窮鼠猫を噛む」。自分が暴挙に走っていた可能性を、否定しようとは思わない。実際、料理をしていて、包丁をじーっとみつめ、ハッと我に返った瞬間があった。自分がひどく体調を崩した時、逆の立場だったら救急車などすぐには呼ばないゾと内心、固く誓ったのを覚えている。
 苦しくなればなるほど心の闇は深まり、暗さを増して行った。行動に移すか移さないかの境界線は曖昧、紙一重。そのエネルギーは、内側に向けば自らを、外側に向けば相手を傷付ける。

 疲弊し切った私に「こんな状況のまま死ぬのは嫌だ!」と、叫んでくれた生存本能。「もう無理!!」と、大音声で知らせてくれた心の声。「こんな奴のせいで犯罪者になるなんて、とんでもないこと、馬鹿らしい。」と、叱りつけ、引き止めてくれた理性。それらが働いたのは奇跡ではなかろうか。

 その後の、再婚相手との出逢いも然り。
 傷つき、疲れ切っていた私に、安心、安全、平安、温かさ&暖かさ、その他諸々を与えてくれた彼は、この世を去ってしまった。その闘病生活に対しても、後悔の念が消えることはない。その度に「その時の最善」、これを思う。

 その時はその時で(その行動を取ったのは)仕方がなかった。ヒトは無意識の中で「その時の最善」を選んでいる。後悔したり、あれで良かったのかと思ったりするのは、そこから成長した証……。


 

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