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「星を編む」

「星を編む」凪良ゆう

花火のように煌めいて、
届かぬ星を見上げて、
海のように見守って、
いつでもそこには愛があった。

ああ、そうか。
わたしたちは幸せだった
のかもしれないね。

『汝、星のごとく』で語りきれなかった愛の物語

「春に翔ぶ」--瀬戸内の島で出会った櫂と暁海。二人を支える教師・北原が秘めた過去。彼が病院で話しかけられた教え子の菜々が抱えていた問題とは?
「星を編む」--才能という名の星を輝かせるために、魂を燃やす編集者たちの物語。漫画原作者・作家となった櫂を担当した編集者二人が繋いだもの。
「波を渡る」--花火のように煌めく時間を経て、愛の果てにも暁海の人生は続いていく。『汝、星のごとく』の先に描かれる、繋がる未来と新たな愛の形。

「汝、星のごとく」の続編となる短編集。
最高によかった…!
やっぱり凪良さんの小説を読むと、人間って奥深いなと思うし、人の想いって複雑だなと感じる。
どの話もよかったけれど、最初の「春に翔ぶ」が一番好きだったな。


「与えられる『恵み』が、きみの望む『恵み』だとはかぎりません」
同じ人間がひとりとしていないように、彼女の苦しさや喜びは彼女だけのものだ。誰かと比較して上下を決められるものではなく、それぞれが、それぞれに『わたしは苦しい』『わたしは嬉しい』と感じる権利がある。一般的に『喜び』や『苦しみ』とされているものは大雑把な目安というもので、無理になぞらえる必要はない。

p26

「汝、星のごとく」を読んでも思ったけど正しさって人によって全然違う。
自分にとっては正しくても相手にとってはそうでなかったり。
言葉にすると同じでも、意味や重みが違うことだってある。

その違いをどこまで受容できるか。

それが人間関係において大切なことの一つだと思う。

でもそれって難しい。その人の正しさや感じていることは簡単にわかるわけではないから。
何も知らないで、自分の言葉で相手を傷つけてしまうことだってある。

どうしたらいいのかな、そういう意識を持ち続けて人と関わるといいのかな。難しい…


「大事に育ててもらったのに、親の期待になにひとつ応えることもできなくて、それどころかわたしはふたりをがっかりさせようとしている。わたしとう人間は__」
萎れた花のように彼女はどんどんうつむいていき、置かれた場所で咲くことを美徳とするこの国の文化について考えた。身の程をわきまえ、謙虚で辛抱強くあれ。それが真の美しさというものであるという無形の圧。けれど置かれた場所で咲ききれない花もこの世にはある。

p47

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はよく聞く。環境を言い訳にしないで、その場所で頑張りなさい。「郷に入れば郷に従え」も似たような意味だ。
きっとそれらの言葉は正しいんだろう。でも私はあまり好きではなかった。

私は「咲ける場所に移動しろ」のほうがしっくりくる。

まだ19年しか生きてないけど、自分が思ってるよりも世界は広い。
絶対に自分が咲ける場所、輝ける場所、受け入れてもらえる場所はある。
だからもし、伸び悩んでいる人がいたら、自分のことを責めないでほしいと思う。

もちろんそんな簡単に環境を変えられるわけでもないことはわかっている。菜々や北原先生のように、親とうまくいってない場合など家族関係は簡単には縁を切れないだろう。

それでも、ひとりだけで頑張る必要なんて、これっぽっちもないから。


「けど極論になるのが当たり前なんだよ。男と女は対極にあるのが自然だからだ。おんなじもん同士で子供は作れない。種の保存っていう自然に基づいた対立構造なわけ。相手の立場を尊重して認め合うことはできても、同化することは本能としてできない」(略)
「『美しく理想通りに整った愛などない。歪こそが愛の本質なのである。』」

p152〜153

私はまだ誰ともお付き合いしたことがなくて、でも周りの友達とか恋愛小説を読んで、やっぱり男女のすれ違いはどうしても起こってしまうのかなと思う。
似ているほうがいいとか、違っているほうがいいとかもわからないけど、この部分を読んで、違うことは当たり前なんだなと感じた。

よく理想の恋人と素敵な恋愛がしたいなんてお花畑なことを考えてしまうけど笑、きっと、そんなにうまくはいかないだろう。

男女のすれ違いは必然だ、と考えておくのがいいのかも。

うーん、こればかりは経験しないとわからない。
いつかその時がくるまで楽しみにしておこう…

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