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〈古い記憶〉こんな事ありました

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昭和時代(30年代以降)の記憶であり、私の記録です。
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ワシントン広場

<古い記憶より> こんな事ありました 本物のワシントン広場はニューヨークのマンハッタンにあります。私は行った事はありません。 私が知っているワシントン広場は、もうどこにもありません。 現在の北九州市の小さな田舎町にそれはありました。ありましたというのも、実は本当では無いのです。 近所の子ども達が、勝手に命名した小さな広場なのですから。 元々そこは田んぼで、ある時田んぼの一画が埋め立てられ、資材置き場になりました。有刺鉄線に囲われたその場所は、子ども達の関心を引く事はあ

ロバのパン屋さん

<古い記憶より> こんな事ありました ロバのパン屋さんを懐かしく思い出す方もあるかと思いますが、まあ、一定の年齢以上の方に限定されるでしょうか。 ロバのパン屋さんと言っても、ロバが馬車を引いているのは見た事はありません。 小さめの馬が、菓子パンや蒸しパンが入っているガラスケース(?)を乗せた馬車を引いて来ました。 ロバは馬と比べると、力も弱いしデリケートだったとかで、馬の登場となったようです。 『パン売りのロバさん』の軽快で親しみやすい曲が流れて来ると、いつもの小広場に

結婚式の今昔

<古い記憶より> こんな事ありました  まだ私がうら若き乙女の頃に流行った曲。駆け落ちであろうと思われる状況なのに悲壮感は全く無く、力強く前向きな曲です。 駆け落ちで、駆け落ち同然で、ご結婚された方もあろうかと思いますが、私の周りには、おられませんでした。私の知っている限りではです。 若い頃は、少し憧れていましたけれども、そうせざるを得ない状況には残念ながら(?)なりませんでした。 この曲を久しぶりに耳にして、今と昔の結婚式の違いを思い出すままに少し書いてみます。

戦争を知らない子供たち

<古い記憶より> こんな事ありました この曲は私達世代の、もう一つの校歌のようなもの、と言う位置づけではないかと思う。私達はクラスで集まると、必ずこの歌を合唱した。 批判の声もあった曲だけれど、私は私達世代の、少し緩めの反戦歌だったと思ってきた。  シラケ世代とか、三無主義などと言われた私達世代にはピッタリの反戦歌だった。 …………………………………………………………… 三無主義 【60年70年代の若者を指す世代の特徴として言われた。 無関心 無気力 無責任を言う。

幼い頃の手紙 

<古い記憶より> こんな事ありました 私は小学生の頃から、先生に作文や読書感想文を褒められた事がただの一度も無い。勉強の一環として書く事は好きでは無かった。 ただ、手紙を書く事は子供の頃から多かったと思う。 我が家では、両親が実家に手紙を送る際、子供達にも便箋を一枚づつ与え、絵でも文字でも良いから、お祖父さんお祖母さんに何か書くようにと言われてきた。私が幼稚園児の頃からと記憶している。 最初は丸三角四角が、かろうじてわかる程度のナグリガキだったと思われるが、自分宛に返

シャネル N°5

<古い記憶より> こんな事ありました 私が香水と出会ったのは中学生の頃。(1960年代) 夜のお仕事やお金持ちの女性が結構強い香りを振り撒きながら歩いているイメージしか無く、香水にそんなに興味は無かった。 マリリン•モンローとシャネル N°5 の話は私でさえ知っていたけれど、その香りがどんなものかを知る事は無かった。 ただ、きっと濃厚でキツイ匂いだろうと漠然と思っていたのだと思う。 ある日、家の近所に小さな小間物屋さんが出来た。(まだオープンと言う表現は一般的では

昭和の三種の神器(家電)

白黒テレビ 洗濯機 冷蔵庫 戦争も終わり少し落ち着いてきた頃、私は生まれました。皆んなが同じように貧しかったけれど、それはまた人間関係において独特な連帯感を生み出していた時代だったと記憶しています。 幼い頃、我が家にあった家電と言えるものは、白熱電球の照明、扇風機、アイロン、ラジオだけだった。 それが憧れの家電を揃えていくスタート地点。三種の神器といわれた電化製品を揃える事を目標に、頑張った大人達。白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機、一つ一つ揃えていったのだ。 庶民には高価であ

洋式トイレとの出会い

どうやって使うのか、それが問題だ それは私が小学生だった時の話。 六年生だった。(50年以上前だ、愕然) ある日教室で、グループは違うが仲良くしていた女の子(Mちゃん)が、私に頼みがあると言ってきた。彼女のグループのメンバーの1人に家に来るよう頼まれたが、行きたく無いと言う。 同じグループなんだし、行けば良いやん、と私は応じた。 小学生の頃の女の子のグループ作りと言うのは、仲良し同士というより、通学路が同じというのも大事な要素であったと思う。 「どうするん?」と、私

オシッコと青天井

遊布野ユーフさんのページで トイレができれば旅はできる! と言うエッセイを読ませて頂きました。 面白いお話で、トイレ話を堪能させて頂きました。ありがとうございます。 トイレの話で、私もスケールは小さいのですが、古い記憶の引き出しの中から浮かんでくるものがありました。思い出しながら書いてみたいと思います。 私がまだ小学生の頃の話です。(半世紀以上、、、前、、。) 夏休みに親元を離れ、一人でひと月ほど母の実家で過ごしました。そこは農家で、工場の建ち並ぶ地で育った私には別

会いたかった方

ずっとずっと昔の事です。奈良、京都のお寺巡りをしていた時、とても優しいお顔の仏像に巡り合いました。 また会いに来ますねとお別れしたのですが、長い年月の間にどこのどなたであったか思い出せなくなりました。 それが最近わかりました。コロナが終息したら会いに行きたいです。 その仏様の前に立った時、自然に涙がポロポロ、ポロポロ落ちて止まらなくなりました。こんな事は初めてで、かなり狼狽えました。  お堂の中には、数人の学生さんがおられました。私の様子に驚かれたのでしょう、さりげなく