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セピア色の桜 青ブラ文学部

セピア色の桜を見たことがあるかと問われれば、Yesです。
ただし、それは写真の桜。

1950年代。
私がまだ幼い頃、父の職場の仲間の間で写真を撮る事が流行った事があり、こぞってカメラを購入したとか。
カメラといっても、現在の一眼レフでは無い。二眼レフだ。ミノルタ製だったと思う。私が二十歳ごろまでは確かに家にあったはず。

私は長子だったので、妹達より多くの写真を撮ってもらった。
父の会社の施設の隅に暗室があり、現像も焼き増しも父達が自分でやっていたそうだ。

色付けも自分たちで考えてやっていたそうで、私が大きくなって見た写真は木の葉に薄い緑色、私の洋服に淡いピンク、顔の淡い肌色がかろうじてわかる程度だった。どの写真もこんな感じで、カラー写真とは言い難かった。いろいろと試行錯誤していたのだろう。まだまだモノクロ写真全盛の頃。

桜の写真もあった。一本だけの桜の大木。
空の色は何とか薄い水色。肝心の桜はセピア色で、なぜだかわからないけれど、その桜が今にも泣き出しそうだと思ったのは覚えている。

それから後、本格的なカラー写真の時代となった。カメラも一眼レフが主流となった。
会社の暗室も無くなってしまって、父の写真への気持ちも色褪せたようだ。
その後、写真の桜は切り倒されてしまった。害虫が原因だったのか、病気のためだったのか。


父の若い頃の顔とセピア色の桜が一枚の写真となって、私の心の中のアルバムの一番最初のページに今でも貼ってあります。
少しでも可愛いく、綺麗な写真を私に残したかった親心だったと思いが至ったのは、私が大きくなってからでした。

あのセピア色の桜は色を取り戻し、仲間の桜達と競い合いながら花を咲かせているような気がするのです。今もどこかで。
きっと父もあの桜の木の側で、満開の花を仰ぎ見ていると思うのです。




山根さんの企画 『セピア色の桜』です。
参加させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

古い古い思い出です。めい


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