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6/27のIKEAの聴き方

こんばんは。にちは。

いつからか忘れたけど私が大好きかつ私を苦しめてくる曲の、私なりの聴き方(解釈)を残しておこうと思います。


Helsinki Lambda ClubのIKEAという曲です。


この曲の歌詞そのものの読み解きというわけではなく、どうしてこうもグサグサ刺さっているのかを書き記します。
作詞した橋本薫さんの意図とはまったく違いますのでご注意ください。



極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言いたいね
極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言い合いたいね
極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言い合いたいね
極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言い合いたいね

極彩色の甘過ぎるケーキ
:画面の向こう、ステージの上でキラキラ輝く彼ら。いわゆる「推し」。


彼らをみんなで拝んで、かっこいいね、かわいいね、最高だね、と言い合いたい。
推しを拝むこと自体を楽しみ、さらにオタクたちで感想を言い合い騒ぎ合うことも楽しむ。
それはオンラインでも、オフラインでも。
いつしか後者があってこその前者のようにすらなってゆく。


つまり自分の見たものやその感想を共有し、それにいいねがつくことが楽しくなってくる。
それありきで推しを拝むようになりだす。



大量生産で丁寧なくらし
インスタにあげるためにFlash
望みとはかけ離れた
さながら It's like ニンフォマニアック
整合性 整合性 想像の限界
良くあろう 良くあろうと疲弊してabout time to get out of 我愛イ尓
現実孕む矛盾はちょっとスパイシー

自分で自分を認めるという自己満足ではなく、他人に認められることで自分を満足させるために、みんなが憧れることをする。

映える写真を撮る。
ただ見てほしいだけのファンアートを描く。
CDやグッズの大量購入をする。
多ステする。
(最後の2つに関しては推しの売上のためや自分がただ見たいからというのもあるけど、ここではマウントを取って他のオタクに負けないための行動を指す。)



一度やり始めると止まらない。
オタクからいいねをもらうのが気持ちいいから。
もらい続けたいから。
オタクにマウントを取れるのが気持ちいいから。
推しに認知されたいから。されるから。
一度やったらそれを下回ることができないから。
もはや中毒になってくる。

でもそんな承認欲求をあからさまに口に出すのはみっともないし恥ずかしいから絶対に口には出さない。
「これは推しくんのため」
「私がただやりたくてやってるだけ」
「別に認知されたいわけじゃなくて」
そうやって醜い内面との整合性をとって善いオタクですという顔をする。
みんなが認めるオタクであろうと取り繕う。



流れゆく会話 フラストレーション溜まる海馬
怠惰が招いた gross big monster
what's his name 彼はそうmoney eater
ハシから始まるリズムに合わせて

オタクが語り合うことなんて結局はかっこいい、かわいい、そんな夢の上澄みみたいな言葉が多い。

推しのこれからだったり今の売り方だったり、逆にこれまでの人生だったり、そんなことも話しはするが、帰結するのはいわゆる「推ししか勝たん」である。限りなく現実に近い夢の話。


自分はこうして夢みたいなものばかり見て生きてきて、その間に周りはいつの間にかどんどん人生を進めていて、一体同じ時間を生きてきているのに私は何をやっているんだろうか。

気付かぬ間に現実から目を背けて人生というものを怠けていたのではないだろうか。


オタクをやることで得るものや考えることもたくさんある。
人としてこうありたいとか、夢を見せてもらっている分頑張ろうとか。

でもそれで人生は何か進んでいるだろうか。
ただ歳を重ねているだけではないだろうか。
夢みたいな時間・人のために数え切れないほど現実の時間とお金を注ぎ込んで、一体何をしてきたんだろうか。


でも、じゃあどうしたらいいんだろう。
わからない。この夢みたいなところから抜け出せない。

夢を見ている時が一番いきいきしているから。
自分のために何かするって例えば勉強とか美容とかあるけど、オタクごとがそれに当たるからやめられない。



生きてるって思わんと死んじゃいそう
生きてるって思わんと死んじゃいそう
生きてるって思わんと死んじゃいそう
生きてるって思わんと死んじゃいそう

インスタントな感動の繰り返しでパイプカット
インスタントな感動の繰り返しでパイプカット

夢を見ている時が一番「生きててよかった!」って思うし、途切れたら何か自分に夢を見せなくちゃと焦る。

映像見なきゃ。歌聴かなきゃ。コンサート行かなきゃ。ファンサもらわなくちゃ。このこともレポ書いたり自慢したりしちゃおう。

ああかっこいい。なんて素敵な歌声。ありえないほどキラキラしたパフォーマンス。今たくさんいるファンの中の「私」に向かって手を振ってくれた。みんなが祝福してくれたり感謝してくれたり羨ましがったりしてくれている。


その瞬間はとても気持ちよくて生きててよかったと思うけど、それもだんだん持続時間が短くなってくる。
まるで依存症のように。


短くも今まで生きてきた中でもっと大きな感動を得たことはある。
まだ見ぬ、でも確実に大きな感動があることもなんとなくわかっている。
だけどこんな「インスタントな感動」をひたすらひたすら獲得しにいってやっと生きてるって思えてる。


本当はもっと穏やかに純粋な感動を得て生きていられたらなと心では思う。
もしかするとないものねだりなのかもしれないけど、知らぬ間に「人生」を進めている周りを見ていると彼らはそっち側なんだなと、少し寂しくそしてひどく情けなくなる。死んじゃいそうになる。

だから死んじゃわないためにインスタントな感動を得て生きてるって思う、この繰り返しの日々。
刹那的な快楽によって日々を生き繋いでいる。



その刹那的な快楽こそが
「極彩色の甘過ぎるケーキ」
であり、
「甘過ぎるねって言い合う」
ことでまた快楽を生み出して生きているから、
永遠にループしていて終わることができない。
苦しい。




生きてるって思わんと死んじゃいそう
インスタントな感動の繰り返しでパイプカット

極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言い合いたいね

生きてるって思わんと死んじゃいそう
インスタントな感動の繰り返しでパイプカット

極彩色の甘過ぎるケーキを食べて甘過ぎるねって言い合いたいね




ちなみに、橋本薫さんのセルフライナーノーツ的なのはこちらで読めます。
できたらまたご自身のnoteにも書いてほしいけど、まあまあ。


ライブのIKEAは迫力が音源と甚だしく違うので絶対にライブで聴いてください。
こんなに苦しめられなくても圧倒されます。
絶対に気持ちいいです。


おわり。

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