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エコーチェンバーに穴は開くか

イスラエルのハアレツ紙に掲載されたユヴァル・ノア・ハラリの記事を紹介したい。ハラリ氏はイスラエルの著名な歴史学者だが、昨年の10月7日以降、荒波に呑まれて羅針盤もぶっ壊れてしまったかのような私に、氏は度々、希望と落ち着きの視点を与えてくれてきた。今回もまた然り。それにしてもこんな状況の中、希望と落ち着きを保ち続けるのは、本当に難しい。さすがの氏も、文章越しのその声が、わずかにかすれ、震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。


「ガザからイランへーーイスラエルの生存を危うくするネタニヤフ政権」と題された記事の全文はこちら。英語を解する方は是非、全文をお読みください。       

マイナスでしかない、この戦争

「戦争とは政治的目的を達成するための軍事的手段」とした上で、記事ではまず、今回の戦争の「目的」がことごとく達成されていないどころか、その見込みもほぼないに等しいと訴える。当初の目的は人質の解放とハマスを壊滅させることだったはずだが、それは一向に達成されないどころか、イスラエルの存続に不可欠な民主主義国との繋がり、そして周囲の穏健なアラブ諸国との良好な関係構築にとって、この戦争はマイナスでしかないからだ。

「ガザで起きている人道的悲劇は、世界からイスラエルを孤立させ、イランとの間に有事、ということになっても、もはや手を差し伸べてくれる国とていいないだろう。交易、科学、文化的な繋がりなくして、そしてアメリカの武器と資金なくして、イスラエルの末路は楽天的に見ても中東の北朝鮮といったところだ。」

「・・・しかしイスラエル市民の多くは、そうした状況、とりわけ、ガザで起きている人道危機の深刻さについて、否定するか、あるいは見ないようにしている。それはフェイクニュースだ、プロパガンダだ、という思考停止に陥るか、反ユダヤ主義だとレッテルを貼るか。」

冷静な現状分析と、そこから帰結される悲観的な未来の予想。次いで過去の時間へとハラリ氏の目は向けられる。

10月7日に先立つ数年間、ネタニヤフとその政友たちがしてきたこと、それをハラリ氏は箇条書きにして連ねる。

⑴人種差別的な世界観に市民を慣れさせてしまってきた。結果、パレスチナ人たちの命や暮らしへの「鈍感」「無関心」を彼らの中に醸成してしまった。
⑵虚栄心やうぬぼれに満たされた世界観を浸透させ、結果、多くのイスラエル人は、パートナー諸国との関係性を軽視するようになってしまった。
⑶その一方で、自国の安全という優先課題をおろそかにしてきた。

そしていざ突入した戦争の目的を「同盟諸国のサポートを得る形でこの地における平和的共存を構築すること」に置くのでなく、「盲目的な復讐」に終始してしまっている、と続ける。

エコーチェンバーの住人たち

しかも、イスラエル市民の大半は、ガザで起きていることについて「何も見ておらず」、彼らは半年前に、「見ることをやめてしまった」という。「世界中が恐ろしく残酷な光景を日々、目にしている中で、イスラエル市民にはそれが見えない。目にしたとしても、プロパガンダに過ぎないと片付けてしまう。10月7日以降、彼らはそうしたエコーチェンバーの中に生きているのである」と。

ああ、とここで私はうなる。

実はこの3月、私は長年の友人であるイスラエル人夫妻と日本を旅してきたところ。日本が初めてであるという彼らに、せっかくだから、と相撲を見せ、お茶席を体験させ、神社仏閣から焼き物の里、九州の温泉から神楽坂までを案内し、寿司や懐石料理からおばんざい、串揚げ、焼き鳥まで、私が思う美味しい日本ヒットパレードを紹介して回った。不得意なスケジュール管理と通訳のしっぱなしで、当然ながら、死ぬほど疲れた。しかし何よりも私の神経を参らせたのは、そうしたハードワークそのものよりも、実は彼らとの会話から漏れ聞こえるエコーチェンバー的な閉じられた世界観そのものだったからだ。

ネタニヤフの司法改正法案に反対して、週末ごとにデモに繰り出していた人たちが、どうしてここまでガザの人たちの命運に無関心でいられるのか。自国に向けられる世界での評判や非難、批判にたじろぎもしないのか。よりによってホロコーストの犠牲者を家族に持ち、国を追われた両親から生まれた彼らが、なぜ、他者の悲しみや絶望にここまで鈍感でいられるのか。広島の原爆ドームと記念館を訪れた際に、無言でこうべを垂れていた彼らが、それを「自分ごと」としては決して見ないことが私には理解できなかった。彼らと自分の間に立ちはだかる分厚い壁に、私自身がすっかり打ちのめされてしまったのだ。

図らずも、ハラリ氏の記事の最後には、広島と長崎の原爆の話が出てくる。その部分を訳出してみよう。

「一国の市民全体がエコーチェンバーに閉じ込められて外の現実が見えなくなる現象は、歴史上、時折見られることだ。とりわけ戦時にはそうしたことが起きやすい。例えば1945年の8月初旬、孤立した日本はいつ敗戦となってもおかしくない状況で、なお、政府や報道に約束された勝利を信じて戦い続けていた。勝利に疑いを挟むものは非国民として告発され、厳しい懲罰を受け、時に殺されもした。そんな日本のエコーチェンバーを叩き破ったのは二つの原爆(8月6日の広島、9日の長崎)だった。とはいえ、原爆ですら、十分ではなかった。さらにそこに「神の声」の登場が必要だったのだ。原爆投下後も、日本国民は依然として勝利を信じ続けていた。8月15日、ラジオから流れる玉音放送に耳をすませるまで、それは続いたのだ。
多くの日本国民にとり、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)であった。神であるゆえ、国民に話しかけたことなどそれまで一度もなかった。側近、または余程上位の高官でもなければ、その声を聞くことなど、誰にも許されていなかった。しかし原爆投下の一週間後、それ以外に降伏の道はない、と政府は判断した。勝利を約束し続けてきたのに突然、政策変更を発表しても誰も理解しないし受け入れないだろうと案じたからだ。そうして天皇が駆り出され、“戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず・・・朕は時運の赴く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び もって万世の為に太平を開かんと欲す”というあの歴史的放送が流れたのである。」

残された唯一の選択肢


「もちろん1945年の日本と2024年のイスラエルは同じではない」とした上で、「しかし、負けを目前としながら勝利を信じ続けるエコーチェンバーに閉じ込められている点で両者は同じなのだ」と続け、政権交代こそがイスラエルの生命線である、これまでと異なる道徳尺度を持つ政府により、ガザでの人道危機に即時終止符を打ち、国際的なポジションを一から作り直していくこと、それ以外に選択肢はないのだ、と締めくくる。


ハラリの見立て通り、大多数の国民がエコーチェンバーに閉じ込められているのであれば、そんな今のあの国に政権交代がどうやって起こり得るのか、私には疑問だけれど、本当にそれしか道はないと思う。人一人、通れるか通れないかくらいの細い道。でもその道が閉じてしまう前に、なんとか、と願わずにはいられない。

付記
こちらの記事も参考まで。

イスラエル/パレスチナの独立系メディア「+972」掲載のイスラエル人ジャーナリストによる記事

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