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私を通り過ぎた価値観

この世はすべて最高だと感じるならば
そのまま全力で生きれば良い。

二十代はそんな日々を過ごして来た。
仕事は楽しく、同僚や友人と過ごす週末も楽しく、夜通し遊び回る時には「人生最高だ!」と感じていた。

この世はすべて努力次第と感じ、その生き方に喜びを感じるならば努力すれば良い。
三十代はそんな日々を過ごして来た。
「努力は報われないかもしれないが、努力しなければ何も変わらない」と心に誓い、頑張った。

楽しいことにフォーカスしていこう!!
辛い事も見方を変えればハッピーじゃん?
新しい価値観で自分らしく、自分が輝く生き方を!

それで自分が満足なら、それで良いと思う。

でも……
私には、なんだかそんな世の中が生き辛くなった。

この世は、最高なんかじゃない。
二十代、夜通し遊びまわり家に帰ると、両親の関係は絶望的で、現実に引き戻された。

この世は、努力次第なんかじゃない。
会社の評価は、努力して結果を出す事じゃなくて、上司のサジ加減がすべてだと知った。家事も育児も、どれ程頑張っても、不幸といわれる出来事が次々と襲って来た。努力でどうにかなる事じゃない。

ずっとそこにあると思っていたものが
ある日突然なくなる苦しみ。手放したくない思い。
自分の健康も命も永遠ではない。
やがて訪れる、逃れられない老いや病の恐怖。

実際にそこにある苦しみから目を背けることは出来ない。この世はすべて苦であると今は感じている。

物は、その時が来れば壊れる。
人は、その時が来れば去って行く。

私は、私に完全に依存していた娘を亡くした。
同時に私は、娘に依存していたことを思い知る。

まだ、健在だった頃を夢に描き、現実はもうそうではない事を実感し、その差に激しく揺さぶられる。

夢と現実のギャップに苦しむ。

夢は夢としてみるならば、現実の自分の腕の中に
収められる。どうにかしたいという欲求の力が、激しく自分を苦しめる。

どうしようもない事も、実際にある。
ならば、その元となる欲を捨てれば良い。

私は、夢は夢として収めるには、彼方へ行った時に再会できるという、信仰のようなものを信じるしかなかった。

でもね、この世は努力次第、この世は最高、この世は自分次第というのも信仰だよな、と思います。

価値観は、日々変化して行くもの。
その時々に身についていた価値観は、すべて自分の記憶に保存されている。

今はそうでなくても、時には平穏な心で、時には頑張る自分を好きになり、そして時には思いっきり楽しむ。

それを自由自在に行き来できることが、幸せに繋がるのではないか、と思います。

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