チャーハン戦争

 チャーハン大賞、世の中の男たちが、がつがつ一心不乱に食べるのをコンセプトと聞いたので、作風を思い切って変えてみました。夜のひそひそ話ならぬあっははは話から生まれました。一緒に手作りしました。ご賞味下さい。


 何となく違和感を覚えて目覚めると、時計の針はとうにてっぺんを超えていた。体は僕ちゃんこと沢田タケルよりも早起きで、違和感とはこれだったのかと毎度毎度溜息が出る。昨日、みきちゃんとたまたま駅前で一緒になり、たまたまみきちゃんが学校帰りに必ず寄るスーパーまで一緒に歩いた。商店街は相変わらず油くさくて、すたれていたけど、僕の心はみきちゃんでいっぱいだった。

 最近なんだか変なのだ。みきちゃんのことを考えると、体のあらゆる神経が過敏になる。みきちゃんのことをそんな風に考えていたと思うだけで寒気がする。みきちゃんは、もっともっと大切にしなくちゃいけない女性なのに、体は正直だ。心臓がどきどきして、上手くみきちゃんと話せない。もっとスマートに丁寧に話したいだけなのに。

 そんなことをもやもやと考えていると、絶妙なタイミングでお腹が鳴った。腹が減った。みきちゃんに会いたくなった。みきちゃんの家は、この辺の商店街唯一の中華料理屋さんだ。そうだ、みきちゃんの家に昼飯を食べに行こう。昨日の夜更かしがたたって、朝食を食べ損ねたし、丁度いい。みきちゃんに会いたい。そう思ったとたん、勝手に体が動き始めた。白いスキニーパンツにボルドー色のセータを着て、ぼくはみきちゃんの家に向かった。ほんの少しの物理的な距離がもどかしかった。すでに心はみきちゃんの隣に腰を下ろしていたからだ。今日こそは、ちゃんとみきちゃんって下の名前で呼ぶんだ。

「へい、いらっしゃい!」
みきちゃんの親父さんの声がガラス戸を伝って響いてくる。
「こんにちは。」
そう挨拶をして暖簾をくぐると、忙しそうにみきちゃんがテーブルを片付けていた。店の中は、外とは違い、熱気が渦巻いている。
「あら、沢田くん、いらっしゃい!また来てくれたのね」
「う、うん。お腹がすいちゃって」
君に会いたかったからなんて口が裂けたって言えない。そんな台詞が言えたらこんなに苦労していないはずだ。みきちゃんは鎖骨が見えるTシャツにスキニージーンズ、赤い紋章の入ったエプロンを付けていた。テーブルを拭くたびに、ちらちら見えそうで見えないTシャツの向こう側が脳裏をかすむ。
「そうなの、いま丁度お客さんがはけた所だから、何食べる?」
そう言って小首をかしげる。柔らかそうな肌にツーっと汗が伝っている。瞳は少し疲れていて気だるそうだ。みきちゃんの甘い香水の匂いがかすかに鼻先を焦らす。
「あ、じゃあ、えっと…チャ…」
みきちゃん、と答えたい感情を押し殺し、平静を装って答える。体中の神経が逆立って上手く言葉が出ない。あ、やっぱり沢田タケルはみきちゃんが好きだ。

「チャーハン!親父さん、大盛チャーハン1つ、あと餃子も!」
「はいよ!」
しれっと餃子を付けて注文した声を見ると、そこには忌々しい緑川が立っていた。だし、不確かでなければ、緑川はしれっとみきちゃんの家の居間から出てきて、しれっとぼくと一緒に食べるであろうチャーハンを頼んだ。
「タケルじゃん!最近全然見てなかったから、心配してたんだよ!親友なんだから連絡ぐらいしろよ!就職決まったんだって?」
緑川こと緑川利器は、何故だか沢田タケルを親友だと思っている。沢田タケルは緑川をずっとライバルだと思っている。緑川は、みきちゃんの家にしれっと上がりこみ、しれっと一緒に登校してくる。沢田タケルは緑川をしれっと野郎と密かに呼んでいる。
「ちょっと、利器!勝手に沢田くんの分も注文して!ダメじゃない」
「いいんだよ、大体、俺とおんなじもの食べるんだよ、昔からタケルは」
「沢田くん、チャーハンでよかった?」
天使がそこにいた。可愛く眉をひそめながら、困ったように沢田タケルに笑いかける。好きだ、好きだよ、みきちゃん!
「う、うん。大丈夫だよ、み…み…、白川さん。」
「そっか、良かった!あ、お水まだだったね。今出すね。」
真冬なのに、目の前で花が咲いていた。天使がそこにいた。今日が命日でもいいと思った。就職活動で疲れていた心に養分がどんどん流れ込んでくる。でも、またみきちゃんと下の名前で呼べなかった。
「あ、みき、ついでにおしぼりも忘れんなよ。んで、どこに就職すんの?地元?」
分かってるわよっという声がお店の奥から聞こえてくる。こいつ、またしれっと下の名前で呼びやがった。神聖なみき、と言う名前を軽々しく呼びやがって。 
「○○銀行だよ」
「まじか、やっぱりお前すごいな!おめでとう!俺は、建築事務所。小さいところなんだけど雇ってもらえて。給料は安いけどやりたいことできるからスゲー嬉しい」
心の中の声が聞こえないようにぼそっと呟く。あの憧れだった○○銀行から内定を貰ってから、クラッチバックを欠かさずに持っている。そして財布には線のついていない諭吉を常備している。これは○○銀行への尊敬の行為だ。

「はーい、お待たせしました!チャーハン大盛と餃子、それからお水とおしぼりね。遅くなってごめんね、沢田くん」
「おーうまそー!どうせならみきも一緒に食えよ!親父さん、みきも一緒に食べていい?」
「いいぞ!今日は幼馴染大集合だからな。たーんとお上がり」
「じゃあ、お言葉に甘えて!あ、沢田くん隣座ってもいい?」
○○銀行への尊敬の行為の数々を思い描いていると、いつの間にかみきちゃんが隣に座っていた。ん?思考がまだ冷凍食品だ。全く常温に戻れない。なぜみきちゃんは、しれっと沢田タケルの隣にいるのだ。
「あ、みき左利きだから手がぶつかるのか」
「そう、だから沢田くんの隣。あ、取り皿持ってこようか」
「いや、いいや。みんなでつついて食べようぜ」
「そうしよっか。あ、沢田くん、はい蓮華とお箸」


 渡されるがままに蓮華とお箸を受け取る。みきちゃんの肌触りの良い二の腕が沢田タケルの腕に当たりそうでそわそわする。ダメだ。思考がマイナス14度以下冷凍状態だ。沢田タケルは、いささかキャパオーバー状態のようだ。尊敬の行為を反芻している場合ではなかった。何が起きているのか分からない。ふと目の前に置かれた大盛のチャーハンのてっぺんに小さな旗がゆらゆらと揺れている。いつも通りみきちゃんの店で出されるチャーハンについてくる小さな旗。小さい頃から変わらない旗。それが今湯気の向こう側でゆらゆらと形を変えていることに気が付いた。目を細め注意深く伺うと、旗は、小さなみきちゃんへと変貌を遂げていた。


「タケルくん、助けて!緑川に捕まって逃げられないの」
みきちゃんがよんだタケルくんが耳の中を行ったり来たりする。よく見ると、みきちゃんが立っているチャーハンが崩れかけてきているのだ。緑川が崩しているに違いない。助けなければ、みきちゃんを助けるのは、僕ちゃん、沢田タケルしかいないのだ。
「み、みきちゃん!今僕が助けに行く!そこで待ってて!」
「タケルくん早く来て!熱いわ!このままじゃ溶けてしまう!」
沢田タケルは急いで蓮華を使ってチャーハンをかきだし、みきちゃんが降りてこられるような道を作り始めた。しかし、かけどもかけどもどんどんチャーハンは仲から溢れ出てくる。熱い油の上でさっきまで踊っていた卵が舌に絡みついて体力を奪っていく。紛れ込んだ大きめのエビは、歯茎の裏を容赦なく攻める。
「タケルくん、足元がおぼつかないわ。倒れてしまう!」
「何だって!緑川の攻防か!」
そうだ、忘れていた。緑川は熱いもの冷たいもの何でも御茶の子さいさい。反面、沢田タケルは、猫舌で上手くチャーハンを飲み込むことができない。悔しい、猫舌という理由だけでみきちゃんが緑川に落ちてしまうとは。
「待ってて、みきちゃん!今、迎えに行くから!」
熱い温度に悶えながらも必死でチャーハンを口にかきこむ。汗が伝って目が見えない。鮮やかに紛れ込んだ葱が白のスキニーパンツをマーブル模様に変えていく。熱い、熱すぎる。だけどみきちゃんへの想いはもっと熱いんだ!
「タケルくん、もう間に合わないわ…。さようなら、大好きよ」
哀しいほどにうるんだ声に顔を上げると、後ろから緑川の手がみきちゃんをさらっていくところだった。もうダメなのか。みきちゃんは緑川の手に落ちてしまうのか。みきちゃん、好きなんだよ、みきちゃん。
「みきちゃん、みきちゃんー!!ダメだ、早まるな!みきちゃーーん!!」


「おい、みき。この旗っていつからつけてるんだっけ?」
「ん?いつだったかな?でも、結構小さい頃からだと思うけどな」
「ふーん。おい、タケル、タケル!そろそろ帰るぞ、タケル!」
遠くで誰かの呼ぶ声が聞こえる。みきちゃんのために必死でかきこんだチャーハンが、今では胃の中で優しく佇み、眠りの世界に誘っていたようだ。ガラス戸の向こうは、漆黒の闇が広がり、沢田タケルはいま自分がどこにいるのか混乱していた。
「みきちゃん!」
寝ぼけまなこで捉えた視界の端に、忌々しい緑川の端正な顔立ちが見え、とっさにさっきまで呼んでいた下の名前を呼んでしまっていたことに気が付く。
「ん?沢田くんどうした?急に下の名前で呼んだりして」
「あ、いや…。その…。」
「みきの夢でも見てたんじゃね?良かったなみき、これで結婚できそうじゃん」
「ちょっと、変なこと言わないでよ!沢田くんに失礼じゃない!」
「うわ、叩くなって、みき、分かったから」
緑川がみきちゃんの白くて綺麗な手首を掴んだ。すごく自然だった。息をするみたいだった。なんでなんだろうな。僕ちゃんは、沢田タケルは、チャーハンでもみきちゃんに触れることができず、目の前に、あともう少しの距離にいるのに、緑川みたいに自然体で触れることも、名前で呼ぶことも許してもらえないなんて。


「僕、帰るね…」
力なくそう呟き、クラッチバックから線のない綺麗な諭吉を取り出して、赤いテーブルの上に置いた。薄い油で汚れたテーブルに新品の諭吉。そのあからさまな不釣り合いの様がまるで自分のようで、目に汗がしみる。
「まって、沢田くん、おつり銭!」
後ろからみきちゃんの慌ただしい声が聞こえる。頼む、みきちゃん行かせてくれ。ぼくをそんな風に引き留めないでくれ。沢田タケルは、緑川とのチャーハン戦争に負けたんだ…。気持ちよく行かせてくれ。すっと左手を空に掲げる。今みきちゃんを見たら、この胸を苦しめる気持ちを君に押し付けてしまいそうな気がしたからだ。
「全くもう…。まあ、家隣だからあとで持ってくか」

「ただいま」
満天の星空の下、重たい足を引きずりながら玄関の扉を開くと、おかえりと快活な声が飛んできた。今日はニンニク料理らしい。まあ、悪くない。ニンニク食べて体力を付けるとするか。そして明日はみきちゃんと下の名前で呼ぶんだ。みきちゃん、みきちゃん。


「ママ、今日のご飯は?」
「チャーハンよ」

第二次チャーハン戦争の開幕である。

FIN

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