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つながり

数あるSNSのうち、Instagramしか登録していない。

中高生のときは、勉強するのに一生懸命で、むしろ、SNSをやっている同級生を斜めから見ていた気もする。申し訳ない。それに、毎日に変化がなさ過ぎて、いまよりもずっと芋っぽかったのもあって、SNSなんて縁遠いものだと思っていた。

高三の際は大学に合格せず、浪人生として過ごした一年間も、SNSは見向きもしなかった。塾で友達になってくれた人とLINEで「もうお昼ご飯食べる?」と連絡を取り合って、教室があるフロアの隅にある小さなのスペースでお弁当を頬張るような生活をしていればよかったのだ。


大学に入ってようやく、わたしはSNSデビューした。でもこれも、もともとするつもりがない中、大学入学直前に祝福の連絡をくれた旧友からお勧めされたInstagramをインストールしただけだったのだ。


いままで、困ったことはない。たとえばどなたかの情報を知りたければ、その都度検索すればいいだけだった。


より好きなものは、本や絵画だったけれど、作家さんがInstagramをする理由もなく、最もすきな画家は何百年も前にこの世を去っているから、そういった情報は得られない。

だから、これでいいと思っていた。
アートに関しては、以下のようなアカウントをフォローしているので、毎日いろんな絵画や写真などを目にすることが出来ているし。


ただ、最近出会ったのは、ラジオだった。ラジオなのに、Youtubeの公式ショート(切り抜き動画?)で見つけたという、異色の出会いというのもわたしの中に、どこか普通じゃないというおもしろさを芽生えさせてくれたのもあるかもしれない。
最近はまっているのは、 松岡茉優&伊藤沙莉「お互いさまっす」 である。

▼YouTube チャンネル


▼Spotify 番組

(YouTubeのチャンネルと、Spotifyの番組リンクを貼っています。ほかにもいろいろなポッドキャスト媒体で過去回も聴けるようなので、ご興味ある方はぜひ!)


わたしはそもそも、電話が苦手だ。その間自分の思考や行動が制限されてしまうのが苦しくなってしまう。わたしは私生活を他の人に見せることに少し抵抗を覚えてしまうので、電話ではなるべく生活音を立てないようにして話す。それが少しつらくて、苦手だとまわりに公言し続けている。

同様に、ラジオもあまり得意ではない。わたしの場合、だれかの会話を聴く時間は作業に向かないのだ。話をきくなら、ちゃんとわたしなりに受け止めながら聞きたい。ながら聞きができない。


でも、このラジオはおもしろい。松岡茉優さんと伊藤沙莉さんのお二人が芸歴20年のアニバーサリーイヤーということで企画されたものらしく(おめでとうございます!)、おそらく期間限定の番組なのだろうが、なんといってもお二人の声が心地よい。


考え方が、どこか自分に似ている気がするのは気のせいだろうか。
人の話をなんとなく耳にしているだけで、このように思ったのは、はじめてだった。


お弁当を詰める間、お化粧をする間、寝る準備をする間…。
こういう時に、聴きたくなる。


部活の後輩が以前、「オールナイトニッポンがすきでradikoに課金している」と言っていたが、その気持ちがすこしわかるような気もする。確かに、ラジオはおもしろい。


ただ、このラジオの情報を手に入れるためには、ツイッターしかないみたいなのだ。調べても、公式ホームページがあるわけではなさそうだ。今まで、すきな番組やお洋服のブランドがあったら、SNSアカウントがあったときに、フォローしないまでも検索履歴に残していつでも確認できるようにしたいわたしにとって、この事実はちょっぴり衝撃的だった。

いままで困っても来なかったし、それでもSNSはInstagramだけでいいと思っているから、おそらくこのままアカウントを作らないのだと思うのだが、SNSの使い方にはいろいろあるものなのだなぁと深く考えさせられた。


確かに、言葉が聴こえてくるだけのラジオに、動画は必要ない。画像も必要ない。プロモーションとしてあったとしても、必ずしもそれを求めているわけではない。

逆にいえば、わたしが唯一使っているInstagramは必ず色にあふれたものを必要としている。言葉では伝えきれないということなのだ。


どちらも良さがある。そして、わたしが選んでいるのはInstagram、ただそれだけだ。


今回、このラジオを偶然見つけたように、SNS全盛時代のいまでも、出会いはいくらでも転がっている。目の前に在るものがすべてなような気がして、でも違う。探せばいくらだってある。

忘れてしまうものもあるかもしれない。たとえばSNSでフォローしていれば、情報が流れてくるのだ。見逃すことはないと思う。でも逆に、どうだろう。「いつも」と同じものが流れてくれば、それは空気と同じように流してしまうのではないだろうか。


一期一会という言葉があるが、そしてその意味をわたしは正確にわかっていないかもしれないが、SNSに惑わされず、その瞬間に、わたしがいいと思ったものを、そのまま認めてすごしていきたい。

周りがいいと言ったものがすべてすてきとは限らない。わたしの感性を大事にして生きていきたい。


これからも、更新がある限り松岡茉優&伊藤沙莉「お互いさまっす」を聴き続けるつもりだが、もしその習慣がなくなったとしても、またどこかで別の、わたしが「いいと思うもの」に出会えると信じている。

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