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礼文島コンシェルジュ/観光スポット #1 桃岩

概要

礼文島の西海岸にある”桃の実の形”をした岩山。これが『桃岩』です。
桃岩の標高は、249.6m、最大幅は、300m程あります。

桃岩近くの『桃台猫台展望台』から見上げると、その大きさに圧倒されてしまいます。また、『桃岩展望台』(トレイルコースの発着点)からも、その姿を確認できます(しかし、ここからですと”桃の形”には見えません)。

ブラタモリ風にご案内

ブラタモリ風(地学的)にご案内すると、桃岩は、学術的には「潜在溶岩頂丘」「溶岩ドーム」「桃岩ドーム」と呼ばれ、岩全体は、海底の柔らかい堆積物とマグマによって形成され隆起したものです。

具体的には、「桃岩展望台」から桃岩の頭部(上部)を見ると玉ねぎの皮のような割れ目が幾十枚も重なっているように見えます。
この割れ目を『板状節理』(球状節理)といいます。


節理は、桃岩下部の急傾斜の部分に向かって横になった節理面へと変わります。板状節理の部分は、「安山岩」質です。
板状節理が表面と平行にできていることは、安山岩質のマグマが、ここで冷却されて固まったことを示しています。

桃岩の表面には、白っぽい「泥岩」が貼り付いています。
一般に泥岩は灰色で、あまり硬くありませんが、ここでは白色で硬くなっています。
おそらくマグマが入り込んだ際に周囲にあった新第三紀の元地層の泥岩が熱で変質したためと推測されます。

桃岩の白っぽい「泥岩」

桃岩に近づき、見上げると、ここでも岩に平行な板状節理が確認できます。
表面の剥がれた内部には、柱のような柱状節理がみえています。
マグマ内部の冷却が周囲に比べてゆっくりとしていたので表面と異なる節理ができたと思われます。
この部分は、「玢岩」(ひんがん)と呼ばれる半深成岩です。
このように内部構造を見ることができる「溶岩ドーム」は、世界的にもめずらしいと言われています。

桃岩の柱状節理

歴史

今井八九郎による礼文島の測量

江戸時代、松浦武四郎が記した「再航蝦夷日誌」の中の今井八九郎(1790~1862/松前藩士)の「リフンシリ之図」には桃岩を「ヤエクリヌカレウシ」という記載があります。
これは、ヤ(陸岸)、エ(そこに)、クリ(人影)、ヌカㇽ(見る)、ウシ(場所)と訳すことができるが、桃岩の姿を人に見立てたものか、異人種の人たちがいつも姿をみせたところかは不明です。

なお、今井八九郎は、北海道・松前で間宮林蔵から測量術を学んでおり、彼は、1821年、礼文島など離島を含めた蝦夷地測量を実施して極めて精度の高い地図を残しています。

今井八九郎が作成した利尻島と礼文島の地図

アイヌの古戦場(桃岩戦争)

1456年、磯谷アイヌが利尻を席捲、その足で礼文島へ侵攻しました。
それに対抗して香深井アイヌの人々は逆襲し、桃岩をチャシ(砦/とりで)として立てこもる磯谷アイヌを攻め落とします。その激戦の物語を伝える古戦場でもあるのです(※シャチが実際にあったかどうかは、定かではない)。

国の天然記念物指定へ

1959年(昭和34)9月11日、桃岩を含む「桃岩一帯の高山植物群落」は、北海道の天然記念物に指定されます。
その後、2022年(令和4)3月15日、北海道から国の天然記念物へと指定が変更されています。

アクセス(香深港~桃台猫台)

■路線バス(宗谷バス)

香深港フェリーターミナル→バス停「元地」 約10分
バス停「元地」→桃台猫台 徒歩約35分

■シャトルバス(宗谷バス)

6月1日から9月30日まで香深港フェリーターミナル~桃台猫台間をシャトルバスが運行される

2023年時刻(参考)
フェリーターミナル発 13:15
桃台猫台 着     13:26
桃台猫台 発     13:36
フェリーターミナル着 13:47

桃岩と「桃台猫台展望台」下に停車中の宗谷バスなど

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