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2019②

金沢EIGHT HALL

気圧の変化、読者の皆さんは大丈夫だろうか?経緯は省くが、筆者はその昔、真冬にテントなしで野営を行った。焼きマシュマロなどに興じたが、蓄膿症を患った。後に三半規管にダメージを受け、1週間のドクターストップで学校を休んだりなんだりして現在に至る。当時ほどではないが、今も気圧変動があると、そのまま体調に出てしまう。気圧に敏感な皆さん、共に生き延びましょうぞ。

3月も中旬の今日、第2回はthe pillows REBROADCAST TOUR @ 金沢EIGHT HALL(2019/01/25)である。このLIVEが筆者の記念すべき初の県外遠征となった。ツアーの中でも特に印象的な出来事が多かったLIVEと金沢、最後までお付き合い頂ければ幸いだ。

初心者マーク

大学4年間、電車通学だった筆者は4年生の夏休みに合宿免許でようやく運転免許証を取得していた。父の取引先の社長さん(?)から譲って頂いたジェッタにあろうことか初心者マークを張り付け、所々ぶつけ、こすって乗っていた。そんな傷だらけの相棒と筆者は金沢を目指した。しかし、早々に我々の目の前に苦難が立ちはだかる。金沢、1月、そう雪である。

雪深い1月に初心者マークが1人、スタットレスを初めて履かせたハイオク車で高山を抜け、金沢を目指す、今になって振り返るとリスクしか見受けられない。石川に入った辺りで不幸にも天候は荒れ、吹雪の中、目を細めての旅路となった。ふと隣車線に目をやると、車が一台停止していた、逆さまで。

命の危機を感じた。筆者は泣きそうになりながらも尚、目的地を目指した。ホテルに到着した時、ようやく生きた心地がしたのを今でも覚えている。あの車の運転手は無事だっただろうか。人影は無かったので、救助された後であった事を願うばかりだ。

夜遊び天国

無事ホテルに到着した筆者はひと心地した後、腹が減っていた事を思い出す。LIVE前日の夜、遠足前の小学生にも負けぬ程に筆者は高まっていた。キャリーケースから新調したショルダーバッグを取り出して、夜の金沢の街へと繰り出した。

旅行に行く際は大きい目的以外はほぼノープランで歩き回る筆者は地図も開かず、己の嗅覚のみを頼りに徘徊した。辿り着いたのは、武蔵 はな乃であった。上品な佇まいの和食居酒屋、普段なら間違いなく躊躇するが、死線を潜り抜けた筆者は有頂天であった。冷えた体に染み込む熱燗とホクホクとした鱧の白焼き、思い出すと今でも幸せになれる。

帰りの心配をする必要がない、それだけで無敵な気分であった筆者はほろ酔いで再び夜の金沢の街を徘徊した。熱を帯びた目で見つけたのは「Bambi」の文字だった。Kanazawa Bambiである。普段ならBarなど間違いなく躊躇するが、死線を潜り抜けた筆者は有頂天であった。気さくなマスターとの雑談にも花が咲き、筆者は肴無しでひたすらに飲み続けた。気が付くと、店には筆者1人になっていた。名前の分からないカクテルの入ったロックグラスを傾けていると、ふと聞き慣れたメロディーが店内を包む。the pillowsの名前を筆者から聞いたマスターがFunny Bunnyをわざわざ流してくれたのだ。その後、もちろんTokyo Bambiも流して頂いた。金沢にまた来る事があれば必ず、そう言って退店したものの、Bambiは入っていた建物の取り壊しで閉店してしまったらしい…。移転だそうなので、また巡り会いたい。

JUMP!

LIVE当日、昼過ぎに目が覚めた筆者はだらりと準備をしてLIVE会場に向かう。会場に着く頃には日は傾き、オレンジの景色の中で小雪が舞ってはアスファルトに溶けていた。通りのアーケードの下で雪をやり過ごし、開場を待つ。番号を呼ばれた刹那、寒かった事もあり、筆者は会場に駆け込んだ。

今宵の立ち位置を決めた筆者は黒スキニーの右ポケットがやけに温い事に気が付く。あろうことかカイロをロッカーに仕舞い忘れたのである。気づいた最中、会場は暗転、何時もの入場曲が流れる。飛び跳ねる最中、筆者の右ポケットは会場以上に白熱していたという。

終盤、Before going to bedでLIVEは締め括られようとしていた。これは恐らく筆者の妄想だが、しかし確かにこの時、真鍋さんと目が合った。そういう事にしておいてほしい。異論は認めよう。真鍋さんが投げたピックは弧を描いて筆者の元に飛んで来た。正確な位置が分からず、出鱈目に伸ばした右手、握ると確かな感覚があった。興奮気味にプルプルと下ろした掌を開くと、そこには削れたピックがちょこんと乗っていた。

その後、LIVEはアンコール、セカンドアンコールと続いたが、その最中、筆者は右手を開く事が出来ず、グーとパーで拍手をしていた。ポケットに入れるのは不安で、かといってショルダーバックに仕舞うのもこの時は躊躇った。2019、筆者は転職を控えていた。情けない話、仕事と執筆の間で心は揺れ、不安定だった。そんな時に掴んだ削れたピックはご都合主義ながら確信と予感を与えてくれた。後にこの場面は筆者の拙作「FROG!」にも引用される事となる。

自慢話に聞こえてしまったら申し訳ない。しかし、この日の出来事は今でも筆者の心を留める楔となっている重要な出来事なのだ。入退場は自由である。

次回はthe pillows REBROADCAST TOUR @Live House 浜松窓枠、BUSTERSとの交流が本格化していく!?

ではまた。

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