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ぬぎっぱなしの色。1


笑い合っているだけでも幸せだったんだろうか。俺たちはなんで二人でこんなところに来てしまったのだろう。どうして君のことを思うと唇がなんだか暑くなるんだろう。峠に立つ二人のことを、猫が泣いて見ている気がした。


「おい、おい、おい!!!」


「あ、夢か。」


「なんだよ、また変な夢見てたのかよ。もう8時20分だぞ。お前学校9時からだろ。間に合うのかよ。」


「余裕余裕、パジャマで行けばいいし。一限だけだし。」


「ほんとテキトーだな。まあいいけど。俺はもう行くわ。今日こそは新品の靴を買いに行く約束守れよな。」


「はいはい、14時に渋谷な。」


「ういー、ほいじゃ。」


信二と同棲を始めてから、丸一年が経とうとしていた。学校の友達には何食わぬ顔で接しているが、俺がバイであることは誰にも言っていない。もちろんこいつと同棲しているなんてことも言っていない。普通に女遊びもするし、こいつと付き合っているわけではないが、夜の寂しさを埋めてくれるのは信二ぐらいだった。


「じゃあ、田中。この前の評論についての課題を発表してみろ。」


秋城大学3年生である俺は、ゼミに入っている。純文学研究ゼミというなんとも胡散臭い名前であったが、高校生からの同期で仲が良かった愛花(まなか)が入るというからなんとなく応募したら二人とも受かった。授業内容は教授が用意した短編小説を読んできて、その感想をみんなで共有し合うというものだ。いかにも文学部くさいものが俺は嫌いだった。


「え、いきなり俺かよ。」


「田中、またお前さっき起きて学校きただろ。服装でバレバレだっつーの。」


「うるせぇ。えっと、愛の城を読んでの感想は、ただただそこに愛があるが如く転がる世界を眺めている主人公の心が不思議に思いました。あとは空の表現が美しかったです。どんなに暗い感情でも、主人公の心の広さには感動しましたね。」


本は好きだ。小さい頃になんでかわからないがねだって買ってもらった本棚に絵本を重ねるところから俺の文学人生は始まっていた。本当は森大学の文化経済学部に行きたかったのだが、滑り止めでここの文学部に今はいる。


「彰人、その主人公はなんで彼女を愛していたのに、あの時口にしなかったんだと思う?ほら、愛してるとか、好きだよとか。」


「ああ、多分だけど、知らない間に愛が深まりすぎていたんじゃないかな。主人公の全てを埋め尽くすぐらいの愛に出会ってしまったからこそ、その愛を手放すのが怖かったんだろうな。」


「でも、彼女も絶対好きだったんだから、告白してもいいと思ったんだけど。」


「そういう諦めが悪い言いがかりを恋愛に持ち込むのは、主人公は嫌いなんだろ。俺と似てるからわかる。」


「ふーん。」


「田中はいつも課題だけはしっかりと読んでくるな。じゃあ次、そういう音野は、愛の城を読んでどう思った。」


普通の恋愛とはなんなのだろうか。俺は人の心がわかりすぎるせいか、誰のことも理解できないし、自分がどんな人を好きなのかもわからない。ああ言えばこう言う関係性なんてものには興味がないし、せっせと腰を振る夜にも興味がない。ただただ過ぎゆく毎日を眺めるように、心を揺らさずに生きることが俺にとっては心地いい。

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