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今週のキングダムPART120 第760話「変わらないもの」


はじめに

 今週は、韓非との対話編完結編。李信の火の意味や、彼の行く正義についてのお話をさせて頂きます。
 詳しく知りたい方は、上記のリンクをご確認下さい。それでは、どうぞ。

キングダム第760話「変わらないもの」感想戦

命の火、思いの火

 李信の語る人の本質。それは、火。それぞれが、その動向を注視する中、介億の配下の文官が、どういうことじゃ?と発すると録嗚未が一喝。だまってろ。この流れ、好き。
 
韓非も、李信の回答に驚きを隠せないようですが、どういうことなのかを、話そうとする李信は説明は出来ねぇと突っぱねます。めっちゃ、話すやんけ
 それまでの戦場を通して、人の意志は火のようだったとのこと
 火で、簡単に命を狩ることかと韓非でしたが、李信はそれも違うと訴えます。
 李信は自らの過去、漂のこと、漂の仇だった成蟜の反乱、極悪人と思っていた彼が、時を超えて、いつしか、極悪人ではなかったこと。
 桓騎も同様で、やっていることへの極悪人そのものだったが、彼の怒りは、誰もが、観て見ぬふりをしてきたことへの怒りへの代行者としての思いを背負って生きて来た姿があった。
 人々の善悪は、見方によって、変わるものであり、入れ替えることが常。それなのに、人は善だ、悪だと勝手に決めるのは、無茶なこと
 人の中にあるものは、コロコロ変わるものより、人の中にある変わらない物があると話す李信。それは、普遍的に、どんな人の中にある命の火と思いの火。 

火の意志

 戦場では、誰もが、歯を食いしばって、生きている。その中で、ぶつかり合い、最大限に思いの火を滾らせ、燃やし合っているとのこと。
 死ねば、人の思いは消えるが、命の火は誰かに託され、その火はまた、大きな思いの火となって、次の者に受け取ることとなる。
 それは、味方に限らず、敵も同じで、そこから、受け取り、より大きな火を滾らせていく。それこそが、火の意志。
 李牧自身も、そんな大きな炎を燃やしているから、手こずってしまっているが、必ず、俺たちは勝つと宣言する李信の思いはその場の誰よりも、強く燃えていたと思います。

 韓非は、李信の話を美談と一掃。彼は何処までも、性善説論者と強く否定。どれだけの血を流しても、理想の世界は生まれることはなく、そうはならないと強く、嬴政の考えを真っ向から、非難。その先にあるのは、地獄と訴えます。
 しかし、李信は折れません。それは、ほっておけば、そうなるだろうと。人間はバカなんだから、法が必要なんだろうと。
 仰る通りと韓非の言葉に、李信も賛成しますが愚かってのと悪では違う。そこまで、言うなら、もうほっておけばいいだろう。
 人の思いを諦めたくない、人は捨てたもんじゃないと人のことを思っていたからこそ、ムカついてでも、人を思って、必死に考えを法を作っているんだと。
 ここに来た際、法家の最上位と聴いた李信。散々、色んなことを言いながらも、本当は誰よりも、人のことを諦めていないあんたこそ、性善説に溢れていると韓非を論破してしまいます。凄まじい舌戦だった。
 韓非や、他の者たちも、絶句し、呆然としてしまいます。
 寧公主は、韓非は性善説論者ではないと否定しますが、自信満々の李信は、彼の中に踊る火を見て、これは揺るがないものだろうと話します。

勝敗

 韓非は、不意に笑い始め、論法が滅茶苦茶だが、李信の考えに強く、引き寄せられ、こんな考えの嬴政に興味を持ち、すぐにでも、会いに行くと決めたようでした。
 韓非は、すぐさま、秦に行く用意の為、外の準備を始め、動揺を隠せない韓の文官。一方の秦国の文官は、大喜びで勝利を確信します。

まとめ

 李信の答えが、僕の思っていた答えの斜め上の回答にビックリしました。
 李信の中で、麃公将軍の思いが、こんなに強くなっているのかと痛感しました。彼の火を絶やすでないぞぉがこんなに大きく、成長していたなんて。
 この視点は、戦場で培って来た李信だからこその言葉に尽きました。これには、麃公将軍もニッコリ
 正しさは、多面的で、捉え方によって、誰もが良い人、誰もが悪人ということ。だからこそ、人の思いは火。捉え方も、気持ちも同じ。形は違えど、その思いは変わらない。
 火というワードが、李信らしくて、好きです。乱暴な言葉ではありますが、彼の優しさと思いやりに富んだ言葉で、何だか、元気を頂きました。
 様々な出会いと別れを通して、李信自身、何処か、桓騎のことで、吹っ切れたんだと思います。あんなに彼をクソヤロウと罵倒していた彼が、彼の火を通して、大人になったんだと思いました。桓騎の言った通りになりましたね。
 原先生自身、キングダムには、明確な悪が無いと仰っていたので、今回の回を通して、先生の中の性善説が分かり易く、理解することが出来ました。

 韓非も、完全に李信のペースに、巻き込まれ、嬴政に会いに行くと決めた姿は、カッコよかったですね。これには、韓の王たちは、どんな気持ちなんでしょうか?
 人を諦めたように、見えていた彼自身が、その実、人を諦めていなかったと言う事実を見抜く李信も李信ですが、韓非のアツい思いもうまく、理解出来ました。
 これは、介億先生には、絶対出来なかったことだったと思います。
 そして、忘れてはならないのは、韓を滅ぼすということ。韓非にとって、これは、いいことなのか?悪いことなのか?
 あんなデカい城、どうやって、堕とすねん。互いにそれを見越してはいるだろうけども。
 韓非というキャラも、妥協した上での超越者でしたが、戦場を経験した人が、儒学について、語るなんて、ありえないことなんで、この視点を土産に、嬴政にどのような形で、力を貸すのか、期待せずにはいられません。

 嬴政の光と同じく、火の持つ力は、同じように思えます。人の中にある善性、輝き、思いと様々な理想が、人の本質であり、人の中にある正しさであるとするなら、李信も言いたいことは同じなんだと思います。
 それは特別なものではなく、当たり前で普遍的なもの。誰もが、生まれ以ているものと色んな視点で今回のキングダムを観測することが出来ました。

 僕は性悪説寄りなんですよね。性善説を信じないわけじゃないんですけど、どうしても、そういう捻じれた考えになってしまいます。
 最近のメディアミックスには、理由があって、悪人になった、哀しい悪党と言うのが、定説で、誰もが、そうなることへのアンチテーゼみたいなのに、少しばかり、嫌気が刺しています。
 明確な悪はこの世に居ないのかもしれません。誰もが、良い人を目指していたけれど、理由があって、悪に堕ちたのかもしれません。しかし、見方によっては、その人は正義みたいなことなのかもしれません。
 しかし、中には、理論武装して、正義を振りかざす人間や、己の欲望を満たす人間や、望ましくない考えをする人間を排斥するような人も、沢山います。
 それも、言い直せば、見方なんですけど、人の心は、悪とまではいかなくても、結局一番可愛いのは、自分、誰もが、自分可愛さに、行動し、協調する振りをする。それが、今の人間であり、僕の歪んだ解釈です。
 法の話を聞いて、今の日本にここまでの思いを以て、法律をどうにかしようという奇特な人間は果たして、何人いるのでしょうか?
 そういう時、捻くれた考えをするとFate/Apocryphaのジャンヌの台詞を思い出してしまいます。

「それでも、人間を見限らないで下さい。そういうものだなどと、諦めないで下さい」
「人に冷めることは簡単で、人を憎むことはもっと簡単で、人を愛し続けるのは難しいことだから」

 法律は国民の為にあるはずが、一体、誰の為にあるのか。自分たちの都合のいい解釈によって、色んなことが歪められ、万人が安寧を享受できない時代だからこそ、韓非や嬴政の思う世界の難しさ、難しいからこそ、やらないのではなく、立ち向かわなくてはならない。諦めることは簡単だけど、考えることは、諦めてはいけない。
 今回のお話を通して、人と人との相互理解の難しさを改めて、強く感じた回だったと思います。皆さんは、性善説、性悪説、どちらを信じますか?

最後に

 最後まで、読んでくれた方はスキとコメント、フォローお待ちしてます。

 自分さえ、良ければ、それでいい時代かもしれませんが、ちょっとした優しさも、大事なのかもしれませんね。

 それでは、皆々様、ご武運を!!!


 

 

 

 

 

 

 

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