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ES ①

 2012年の秋、アメリカ東海岸からサンディエゴへと戻る途中、ゲイリー・ヨシダと私はアリゾナ州ウィンズローで逮捕され、20日間拘置された。容疑は、ゲイリーが持ってきたポンティアックが盗難車であったこと、また他に彼に何か前歴でもあったのだろうか。いずれにせよ、ゲイリーとはその後会うことはなかったのだから、真相はわからないままである。

 25歳だった私は、当時勤めていた福岡の印刷会社の ー „業務内容“に嫌気がさし ー ある日怒りにまかせて退職すると、当てもなくアメリカを放浪することにした。荷物は40リットルのバックパックに、必要最低限の荷物のみを詰めて、帰りのチケットは買わずに、アメリカの西海岸に向かった。こう言うとまさに『当てのない旅』といった感じだが、こういう旅を思いついたり、実際に実行する日本人は、特に近年、かなり多いと思う。それだけ日本人は経済的に豊かであり、私のような人間であっても、薄給の地元企業で数年間働き、無駄な出費を少なくしできる範囲で貯金をするだけでも、多少海外旅行をするぐらいの、金銭的な余裕は生まれるのだ。

 しかしながら、金銭面の余裕は、心の余裕に直結しないものである。私はまるで、弦の緩んだ弓矢のようであった。迷っていたのだ。したいこともなく、『何か』をやりたいが、その動機がないことを自覚していた。滞留した『漠然とした不安』を、外に放出させたいのに、それがどう言った手段であるのか、自分では全くわからないのだった。それがなんとなく、私の足をアメリカに向かせたのだった。

 ゲイリー・ヨシダはサンディエゴのユース・ホステルで出会った日系アメリカ人であった。流暢な英語と、少々訛りがある日本語を巧みに話す男だった。彼は日雇いで稼ぎ、その日の気分でアメリカを東から西までどこでも旅をするという自由人であった。彼と私は意気投合し、私たちは数日間彼のポンティアックで東海岸まで当てもなくドライブをしたり、山に登ったり、暇になれば酒を飲み、金が尽きるまで女を買ったりと、放蕩を繰り返していた。

 ある日、ゲイリーと私がモーテルで酒を飲んでいた時、彼は印象深い話をしてくれた。彼が10歳の秋、彼はウィスコンシン州の川に釣りに出かけていた。家から30分ほどの場所であったので、ゲイリーは朝から出かけ、その後昼の3時頃には自宅に戻ったのだが、自宅にはいるはずの家族が誰もいなかった。不審に思ったゲーリーはやがて、買い物に出かけているのだろうと考え、シャワーを浴び着替えると、歩いて10分ほどのところにある、お気に入りの書店の『ブレイクス&マンゴーブックス』にコミックブックを買いに行くことにした。家族が戻るまでの時間つぶし、である。

 彼は『ブレイクス&マンゴーブックス』に着くまでに何か違和感のようなものを感じたが、その違和感の正体を自覚するのは、もう少し後になってからだった。彼は書店にたどり着き、窓から中を覗くと、人がいないことに気づいた。彼が書店の扉を開くと、書店には明かりがついていて、人の気配はないものの、少なくともついさっきまでは人がいたような『気がする』のだ。ゲイリーは不思議に思い、コミックブックは探さずに、外に出ることにした。そしてその時、先ほどから感じていた違和感が何なのか、ゲイリーは知ることとなった。

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 『ブレイクス&マンゴーブックス』から南にまっすぐ一本道を5分ほど進むと、市街地のメイン・ストリートに入る。その通りは800メートルぐらいあり、地元で『オールド・ストリート』と呼ばれるこの通りは、その町で最も活気のあるところだ。さしずめ福岡で言うところの、『天神西通り』といったところか、と私は最初に考えたが、ゲイリーによると大都市の規模ではなく、『田舎町なり』の大きさであるとのことだった。この『オールド・ストリート』は地元の食品が並ぶスーパーマーケットや大型の書店、ベーカリー、教会、衣料店などが建ち並ぶ地元の人々が集まる、彼の町では最も賑やかな通りなのだが、その日ゲイリーが一本道を抜けて通りに入ると、人がごった返しているはずの通りに、人が全く見当たらなかった。

 ゲイリーは、急に気味が悪くなった。彼は朝、釣りに出かけて、その日一度も人に会っていないのである。彼は足早に家に帰ることにした。家に着いた時、時計の針はすでに夕方の5時を回っていたが、未だに家族は戻っていなかった。ゲイリーはその後、夜の8時までリビングで家族を待ったが、結局誰も戻ってこず、仕方なく冷凍のピザを自分で食べて明日のことを不安に思いながら一人ベッドに入ったのだという。

 しかし、この話のオチは、翌朝、不思議なことに、家族も、町も、『何事もなかったかのように』元通りになっていた、というものだった。私が面白いと思ったのは、ゲイリー曰く、この話を私に話すまで、誰にも話したことがなかった、という点である。嘘か本当か(こんな作り話を私にする理由はないのだが)はさておき、少年時代のゲイリーが、子供なりに抱えた不安を家族の誰とも話すことなく、これまで自分の中に秘していたことを想像すると、なんだかおかしかった。

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