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ES 15

 男は、スーパーマーケットでウイスキーをひと瓶買うと、それを抱えて ー やや千鳥足になりながら ー 駐車場のほうに向かっていった。
 前後不覚、という言葉が、一番しっくりくる。買う前から明らかに酩酊していたその男は、買ったウイスキーをビニール袋ごと抱えて、そのままラッパ飲みしながら、停めてあったポンティアックの助手席に乗り込んだ。運転席には、浅黒い肌をしたアジア系の男が、タバコをふかしていた。

「おい、おい、ふらふらじゃないか。用は済んだのか」

 アジア系の男は、口中に溜め込んでいた煙を宙に吐き出した。そして、おそらく三十歳前後であろう、それなりに年季の入ったその柔和な顔をくしゃりと崩しながら苦笑いをして、車のエンジンをかけた。

「ああ、気に済んなよ、行こうぜ」

 助手席に座った男はウイスキーを一口あおると、味わうように飲み込んだ。そして、隣の男が咥えていたタバコを右手で引っ張って取り上げて、それを吸った。

****

 スーパーマーケットを出て十分ほど直進すると、二人の車は突き当たりを右折した。その頃、あたりには小雨が降り始めていた。運転席の、アジア系の男はハンドルを切り、前方の信号のあたりを見ながら、吐き捨てるように言った。
「このあたりはひどいもんだ」
「どのへんが?」
 助手席の男は焦点が合ってない目で、自分の足元のあたり(VANS)を眺めながら聞いた。どうでもよさそうに。

「たしか、台風が来たんだと。こないだな。住民も、だいぶ戻ってきたらしいけど」
 空は曇り空で、男たちがいたその景色は『元』住宅街といったかんじで、いたるところに街路樹や看板、なにかの破片等々、倒れていた。助手席の男は、窓から見える倒壊してそのままになっている家々を眺めながら、なるほど、と言った。十メートルほど先には「ようこそウッドワードへ」と書かれた、斜めに傾いた看板が見えて、その斜め加減が、この街の被害の甚大さを物語っていた。
「ここはウィスコンシンだっけ」
「馬鹿野郎。そこは昨日通り過ぎたよ。ここはアイオワだ」
「いいね」
 男は急に楽しげになりながらそう言うと、またウイスキーをぐびりとあおり、腕で口をぬぐいながら、続けた。
「そういうの、いいね。今日は楽しいなあ」
 アジア系の男は呆れた顔をして、男を一瞥した。そして、ため息をついた。ニヤつきながら。
「お前、昨日はバーでつらいとか言ってたけど、今日は楽しいんだな」
 助手席の男はハッピーなかんじで、こう答えた。
「まあな。生きてるのって、楽しいよ」
「そうかよ」

 アジア系の男はアクセルをぐいと踏むと、車は小雨を切って、風のように道路を走り抜けた。男は前を見ながら、助手席の男に訊ねた。
「お前は面白いやつだよ。お前、普段からそんなに飲んでて、仕事は大丈夫だったのかよ?」
 助手席の男は急に、真面目な顔になった。
「そんなわけないだろ。なんつったって俺の国は真面目なんだよ。あんなつまんねえ仕事、もう辞めてやったよ」
「その話はこないだ聞いたよ。だが、いい身分だよ、お前。ところで、いつまでステイツにいるんだ?」
「俺はいたいだけいるのさ。ところで」
 助手席の男はそう言うと、少し疲れたような顔をして、瓶を足元に置いた。まだ中にはウイスキーが三分の二ほど残っているようだった。
「なんだ?」
 アジア系の男は、運転席から見える曇り空が明るすぎるのか、サンバイザーにかけていたサングラスを取り出し、それをかけながら返事をした。
「俺が昨日バーにいた時な。お前のあの話、なんだったっけか、あの…」
「釣りの話か?」
「そうそう、あの話を聞いた後だけど、なんていうか…」
「なんだよ」
「俺、わかったんだよ、理由」
「どういうことだ?」
「俺の英語じゃあうまく説明できないかもしれないけど、教えてくれたんだよ、女の子がさ、昨日バーで。あれって多分、お前だけじゃねえ」
「わかんねえな」
 アジア系の男は前方の信号に気がつくと、ゆっくりと信号の手前で停車した。助手席の、酒が回ったその男の『語彙の少ないしゃべり方』は、生粋のアメリカ人である ー 運転している彼にとっては ー 逆に聞き取りやすいようだった。助手席の男は、続けた。
「えーと、つまりだな、俺たちは生きているんだけど、多分、その時お前は死んでたんだよ。死後の世界ってやつだ。俺、わかったんだよ。昨日のバーでな、そういう世界ってどこにでも、繋がってあって、お前はそれを『垣間見た』ってわけ。だから、お前だけじゃねえ」

 運転席の男の顔には、酔っ払いのたわごとだ、と書いてあった。男は呆れながらこう言った。

「それを女の子が言ってたのか?バーには俺とお前、後おばちゃんしかいなかったぜ、昨日」
「そうだったかな?じゃ俺が話したのは…」
「Hallucinateして、きまってたんじゃないの」
「なんだその、ハルなんとかってのは」

 助手席の男が訊き返した時、信号は青に変わった。空は暗くなり、雨足はだんだん強くなっているようだった。二人の車はそのまま、西の方角へ向かっていった。

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