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ES ②

 ウィンズローの拘置所を後にした私は、ゲイリー・ヨシダとと別れを言うタイミングが得られないまま、その地を立ち去ることとなった。まず私は、返却された自分の荷物 ー バックパックの中から、衣類の隙間に挟み込んでいた ー 20ドル札をポケットにねじ込むと、通りかかったスーパーマーケットに入り、コーラとサンドイッチ、ポテトチップスを買い、空腹を満たすことにした。このウィンズローという土地はもともと通りかかった場所に過ぎず、土地勘もなく、知り合いもいない。とりあえず私はバス停に向かい、そこから西海岸に戻ろう、と考えていた。

 食料を購入し、スーパーマーケットの駐車場の隅っこで、地面に座り購入したサンドイッチを食べていたら、身長160cmぐらいの小太りの黒人の男に声をかけられた。彼は大きめの黒のウィンドブレーカーを着て、煤けたカーキ色のリュックを背負っていた。彼は私にライターを持っているか、と聞き、持っていると答えると、タバコを一本くれないか、と言った。なんだかおかしな男だ、と思ったが、持っていたタバコを1本渡してみると、彼は脂で汚れた歯をニカッと見せ、サンキュー、と言った。

 男はジハという名で、ペルシャから移民してきたのだという。私は汗で黒びかりしている彼の額の雰囲気を根拠に、この男の「人となり」に漠然としたあやしさを感じていたが、こんな辺鄙な場所に拘置されていたアジア人というのは、彼以上にあやしいのだろうな、と思った。そしてここにあのゲイリーがいれば、この周囲はさらにあやしくなったことだろう、などと彼の額を起点に根拠なき根拠を根拠として考えていた。

 ジハは脂で真っ黒になっている歯を時折、必要以上に見せながら、ひどく聞き取り辛い、ぐにゃぐにゃした訛りのある喋り方で、彼もバス停に向かう途中であること、またバス停はここから歩いて数十分程度の距離であることを教えてくれた。

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 私たちはなんとなく ー 互いにあやしさを感じつつ、多分 ー 一緒にバス停まで、同道することになった。あやしい我らは、スーパーマーケットを出ると、バス停のある北西の方角に向けて、なんとなく互いに適度な距離を取りながら、歩き始めた。あたりには先ほどのスーパーマーケットを除き買い物ができそうな建物はほとんどなく、いかにも九十年代のアメリカのテレビドラマ(X-FILEのような)に出てくるような田舎の住宅街、といった感じの風景が続いていた。

 ジハは歩きながら、彼の住んでいるこのウィンズローのはずれ、『小さな町』のことを話し始めた。ジハは(理由はわからないのだけれど)ペルシャからアメリカに移民して以来、20年ほどこの町に住んでいるのだという。彼によると、この町に主だった産業はなく、人も少なく、私のように立ち寄る人間は珍しいのだ、と話した。

 ジハがこの『小さな町』について話した後、私はこの町にきた理由を訊ねられたので、私はジハにゲイリーのこと、ポンティアックにまつわる顛末を話した。すると、ゲイリーが西海岸出身のヒッピー的な人間であると決めつけ(実際にはどの州の出身か私も知らないのだが)、西の人間はそういういいかげんなことをするのだ、だってそうなのだ…と、よく分からない理屈で私を憐れんだようだった。

 我々がそうこう盛り上がらない話を続けつつスーパーマーケットを出て10分ほど歩いた頃、 ー ちょうどこの町の小学校らしき建物を横切りながら、 ー ジハはどことなく遠い目をしながら、このあたりでむかし、殺人事件があったのだ、と言った。

 ジハによると、8年ほど前、この学校の卒業生の男が、学校に通う女児を車に連れ込み強姦、殺害した。その男はジハが移民してきてすぐ、つまりジハが子供の頃から見知っている男だったという。ジハは、その男が成長して町で殺人を犯すことまではさすがに予期していなかったが、内気でなんとなく怪しいヤツだったんだよな、と話した。私は、塗られてまだそこまで年月を経ていないように見える、小学校の白い壁をフェンス越しに横切りながら、延々と続く一本道の先を眺めていた。ジハは私と一緒に歩くには少し太りすぎているように見え、少し息を切らし気味に見えたので、私は多少彼の歩調に、合わせて歩くことにした。我々が小学校を通り抜けると、前方に小さなタバコ屋が見え始めた時、ジハはちょっと一服しないか、と私に言った。

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 タバコ屋に入ると、カウンターには中年の白人男性が居眠りをしながら座っていた。ジハは中に入るとタバコやスナックなど ー すでに買うものを全て決めていたかのような素早い動きで ー 買い物を済ませた。私はジハの買い物で起こされて、ネボケ顔になったその男性にコーラを渡し、金を払った。
 店を出ると、ジハは店先の椅子に腰掛けながらタバコを吸っていたので、私も一本タバコを吸うことにした。空が昏くなり始めており、走ってくる車の音が聞こえる。ジハは煙を燻らせながら、バス停までもう目と鼻の先だ、と言った。

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