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ここ数年ちくま文庫から刊行・復刊された昭和の女性作家の作品をプロフィールと一緒にまとめてみた

こんにちは。青山ブックセンター本店 文庫・ビジネス書担当の神園です。

突然ですが、ちくま文庫で昭和の女性作家と言えば、最近だと2020年3月に刊行された『向田邦子ベスト・エッセイ』が16万部を超える大きな反響を呼んだことが記憶に新しいです。自分もこのエッセイが好きで、ここに書かれている向田邦子が愛した表参道の老舗和菓子屋さん「菓匠 菊家」に訪れたことがあります。(青山ブックセンターからとても近いのです…!)

ただ、ちくま文庫は向田邦子だけではありません。『ベスト・エッセイ』が刊行された2020年以後、新刊書店で手に取って読むことが困難だった昭和に活躍した女性作家たちの作品が同レーベルから立て続けに刊行・復刊されているのをご存知でしょうか。

今回は、そんなちくま文庫からここ数年に刊行・復刊された昭和に活躍した女性作家10名の作品を、作家のプロフィールと共に紹介していきます!
(最後にお知らせあり)

1.森田たま『石狩少女』 

明治末の北海道札幌、主人公・野村悠紀子は、文学を愛し、空を眺めることやリンゴ畑に出かけることが好きな女学生。彼女は人から多くの関心を持たれる一方で、偏見、勝手な噂、男子学生からの執着、決められた結婚、家族の無理解などに悩む。そんななか内地の親戚の家に行くことになるが……。北海道の自然も美しい、著者の半生を反映した1940年刊行の傑作少女小説。

森田たまは1894年に北海道札幌に生まれました(本姓村岡)。1911年、17歳の時に雑誌「少女世界」に投書した文章が認められ上京すると1913年に小説家・森田草平に師事しました。(森田草平は夏目漱石の弟子で、平塚らいてうと心中未遂を起こしたことでも知られています。)

1916年、慶應義塾塾生の森田七郎と結婚をするも夫の家族の反対で文筆を断ってしまいます。
しかし後に再開し、1932年、森田草平の推薦により随筆「着物・好色」を発表すると、1936年に刊行した『もめん随筆』で随筆家として注目を浴びます。1940年刊行の『石狩少女』をはじめ小説も執筆し活躍しました。

晩年の1962年には参議院選挙に立候補し当選。1970年に亡くなりました。

2.野溝七生子『山梔』

幼く純粋な妹や身を犠牲にする母と姉への愛、暴力をふるう父への愛憎、読書への切なる欲求、古代ギリシャ神話・中世ヨーロッパ伝説への憧憬、海や美しい女への畏敬の念……主人公・阿字子をとりまく家父長制や結婚への圧力など不自由な世界と、葛藤する誇り高く瑞々しい少女の精神を描く野溝七生子の自伝的小説。1926年に刊行された孤高の名篇、待望の復刊。

野溝七生子(のみぞ なおこ)は1897年に兵庫県姫路市に生まれました。軍人であった父の故郷大分県の県立高等女学校、同志社女子校英文科予科を経て、1924年、27歳の時に東洋大学文科学科を卒業します。卒業後も研究生として大学に残り、ドイツ文学を専攻しました。

同年には「福岡日日新聞」に懸賞小説として応募した『山梔』が入選し、連載を経て1926年に春秋社から刊行されました。その後、北原白秋主宰の「近代風景」や長谷川時雨主宰の「女人藝術」などに作品を発表します。

戦後、1951年から1967年まで東洋大学で近代文学を講じ、森鴎外に関する論考などを執筆しました。1958年には東洋大学アジア・アフリカ文化研究所研究員を兼任。1987年に亡くなりました。

3.佐多稲子『キャラメル工場から』

少女工員の労働の日々を描いたデビュー作「キャラメル工場から」、非合法の地下政治活動での女性の心の傷を描く「疵あと」、女ともだちとの数十年ぶりの再会と過去の事件を描く「時に佇つ その五」……労働、地下活動、戦争、東京や長崎の町、懐かしい友人たちについて自らの経験をもとに書き続けた「短篇の名手」佐多稲子。その最良の作品を収録した文庫オリジナルの短篇選集。

佐多稲子(さた いねこ)は1904年に長崎市で生まれました。7歳の時、実の母を肺結核で亡くします。1915年、一家をあげて上京。家が貧窮に陥り、通学ができなくなり、キャラメル工場や料亭などに働きに出ました。料亭では芥川龍之介や菊池寛らと顔見知りになります。

20歳の頃に結婚をしますが、夫との自殺未遂や、離京、そして長女の出産を経て、事実上の離婚に至ります。

出産の翌年1926年に再び一家で上京し、稲子はカフェの女給となりました。カフェに集まる同人の中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎らと出会い、鶴次郎と結婚。女給の仕事を辞めたあと、1928年には第1作『キャラメル工場にて』を発表しました。日本プロレタリア作家同盟に所属するなど左傾しますが、1932年の左翼運動大弾圧以降、検挙拘束を経て、次第に戦時体制への抵抗の意志を弱めていきました。

1945年、鶴次郎との離婚を経て、終戦後には婦人民主クラブ発起人の一人となり、共産党に再入党。以降、被爆した故郷・長崎の戦後を描いた『樹影』や、随筆集『月の宴』など、労働、共産党の地下活動、戦争、夫や家族などについて、自らの経験などに基づき数多くの作品を発表。1998年に亡くなりました。

4.片山廣子『ともしい日の記念』

その人は言った、「まづしい日々に、何かの希望をもち、そして失望し、また希望し工夫をし、溜息をし、それを繰り返して生きることは愉しい」と。三月は雨のなかの微笑、六月は 荘厳、十月は 溜息……美を夢み、暮らしに潜む、揺るぎない生の本質を掬い、織り上げた、風変わりでゆかしく、清澄な片山廣子の世界。アンソロジーの名手により蘇る、単行本未収録の 2 作品を加えた珠玉のオリジナル作品集。

片山廣子は1878年に東京に生まれました。父は外交官で、7歳の時に東洋英和女学校に入学します。18歳で同学校を卒業すると、歌人の佐佐木信綱に師事。20歳時に片山貞次郎と結婚、後に出産を経ながら、信綱主宰の竹柏会を中心とした雑誌「心の花」に短歌や随筆、詩を発表します。1916年には第一歌集『翡翠』が刊行されました。

また、松村みね子の筆名で、シング、イエーツなどのアイルランド文学を中心に翻訳家としても活躍しました。

親交のあった芥川龍之介が亡くなった年でもある1927年以降、自身の作歌や翻訳の活動は一時的に廃業に近い状態になりますが、戦後1953年には随筆集『燈火節』を発表し、第3回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。1954年には第2歌集である『野に住みて』を発表。1957年に亡くなりました。

5.森崎和江『慶州は母の呼び声 新版』

人間の業を映す独自の作家活動を続けた森崎和江は、日本統治下の朝鮮に生まれた。大邱、慶州、金泉、現地で教師を務める父、温かな母と弟妹、そして「オモニ」たち──歴史的背景を理解せぬまま己を育む山河と町をただひたすら愛した日々に、やがて戦争の影がさす。人びとの傷と痛みを知らずにいた幼い自身を省みながら、忘れてはならぬ時代の記憶を切に綴る傑作自伝。

森崎和江は1927年、日本統治下の朝鮮・慶尚北道大邱に生まれました。17歳の頃に単身で朝鮮を離れ、福岡県立女子専門学校へ入学。在学中に敗戦を迎えました。

1950年、丸山豊主宰の詩誌『母音』の同人となり詩を発表します。1958年に、『母音』で知り合った詩人・谷川雁と共に筑豊に移り住み、谷川と上野英信らと文芸誌『サークル村』を創刊しました。(『サークル村』には本記事で紹介する石牟礼道子や中村きい子も参加しました。)1959年には女性交流誌『無名通信』を創刊します。

1961年にはデビュー作『まっくら』を発表。『まっくら』は、日本有数の炭鉱地帯である筑豊に暮らしていた森崎が、かつて坑内労働を担った女性たちの声を聞き取り記録した作品です。

その後も、日本におけるフェミニズムの先駆をなす歴史的名著である『第三の性』や、戦前の日本で貧しさゆえに外国の娼館に売られた少女たちについて書いた『からゆきさん』など多くのノンフィクションや詩集などを残し、2022年に亡くなりました。

6.芝木好子『洲崎パラダイス』

「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは女の人生の一番おしまいなんだから」(「洲崎界隈」より)。江東区にあった赤線地帯「洲崎パラダイス」を舞台に、華やいだ淫蕩の街で生きる女たちを描いた短篇集。男に執着する娼婦あがりの女の業に迫る表題作「洲崎パラダイス」、満洲帰りで遊郭に身を落とした老女の悲しみをとらえた「洲崎の女」を含む全6篇を収録。

芝木好子は1914年に東京に生まれました。府立第一高等女学校を卒業後、雑誌『令女界』(本記事で紹介した森田たまの小説も掲載された)などの投稿時代を経て、1937年に『文芸首都』同人となりました。

経済学者大島清と結婚した1941年、27歳の時、傾いた家業をおこす娘を描いた「青果の市」を発表し、1942年に芥川賞を受賞しました。

戦後、1954年には、華やいだ淫蕩の街・洲崎で生きる女性を描いた短編集『洲崎パラダイス』を発表。同短編収録の『洲崎の女』は溝口健二の映画『赤線地帯』の原作のひとつとなりました。

その後も『湯葉』、『隅田川』、『丸の内8号館』の自伝小説三部作や、『葛飾の女』や『青磁砧』といった芸術家小説など、数多くの作品を残しました。

晩年、日本芸術院会員になり、文化功労者として顕彰された後、1991年に亡くなりました。

7.石牟礼道子『十六夜橋 新版』

南九州・不知火(しらぬい)の海辺の地「葦野」で土木事業を営む萩原家。うつつとまぼろしを行き来する当主の妻・志乃を中心に、人びとの営み、恋、自然が叙情豊かに描かれる傑作長編。作者の見事な筆致で、死者と生者、過去と現在、歓びと哀しみが重なり、豊饒な物語世界が現れる。第三回紫式部文学賞受賞作品。

※本作のみ平成に初版が刊行されています。

石牟礼道子は1927年に熊本県天草市に生まれ、水俣で育ちました。
1947年に結婚。翌年、長男を出産します。

1951年から歌壇での投稿を始め、1958年には谷川雁や森崎和江らが創刊した『サークル村』に参加。詩や散文を中心に活動をします。

1968年には水俣病対策市民会議を設立し、翌年『苦海浄土 わが水俣病』を講談社より出版。水俣病事件を書いた初めての作品で、大きな反響を呼びます。大宅壮一ノンフィクション賞が与えられるも受賞を辞退。水俣病患者の支援に奔走しました。続く『天の魚』、『椿の海の記』で、水俣病患者を描いた三部作を完成。

1993年には『十六夜橋』で紫式部文学賞を受賞。その後もエッセイや批評、小説など多数の著作を残し、2018年に亡くなりました。

8.藤本和子『ブルースだってただの唄』

1980年代、アメリカに暮らす著者は、黒人女性の聞き書きをしていた。
出かけて行って話を聞くのは、刑務所の臨床心理医やテレビ局オーナーなどの働く女たち、街に開かれた刑務所の女たち、アトランタで暮らす104歳の女性…。
彼女たちは、黒人や女性に対する差別、困難に遭いながら、仕事をし、考え、話し合い、笑い、生き延びてきた。著者はその話に耳を澄まし、彼女たちの思いを書きとめた。白眉の聞き書きに1篇を増補。

藤本和子は1939年、東京に生まれました。1950年代前半から英語の勉強を始め、早稲田大学に入学後は演劇研究会に参加。女優として活躍するも、1962年に芝居をやめてしまいます。

卒業後はノースウエスト航空での勤務を経て、単身ニューヨークに赴きました。日本領事館での勤務後、イェール大学の演劇学校に入学。そこで、デイヴィッド・グッドマンと知り合い結婚。

1968年の帰国後、英文の演劇雑誌『コンサート・シアター・ジャパン』の責任編集を引き受けました。この雑誌をきっかけにリチャード・ブローティガンを発見し、1975年には初めての翻訳書であるブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を刊行。その優れた翻訳は、後の翻訳家たちに大きな影響をもたらしました。

数多くの翻訳以外にも、『塩を食う女たち』や『ブルースだってただの唄』といった黒人女性の聞き書きの名著に加え、『砂漠の教室 イスラエル通信』や『イリノイ遠景』などのエッセイも発表しました。これらの作品は近年復刊が続き、藤本和子の再評価に繋がっています。

9.中村きい子『女と刀』

「わたしという女は、子しか産むことのできぬ女なのか」
「ひとふりの刀の重さほども値しない男よ」……。男尊女卑の因習、家の規範、愛なき結婚、第二次世界大戦、70代での夫との訣別……薩摩士族の娘であるキヲは、明治から昭和にかけて世のならいに抗い、「独立(ひとりだち)」の心を捨てずに生きた。自らの母をモデルに、真の対話を求め続ける一人の女性を鮮烈に描いた名作。

中村きい子は1928年に鹿児島県で生まれました。

谷川雁や森崎和江らが1958年に創刊した『サークル村』に参加。
男尊女卑の因習、家の規範、愛なき結婚、第二次世界大戦などを背景に、明治から昭和にかけて世のならいに抗い生きた薩摩士族の娘の姿を描いた『女と刀』を「思想の科学」に連載し1966年に出版しました。翌年にはドラマ化され、最高視聴率は30%、ギャラクシー賞を受賞するなど好評を博しました。

その後長い闘病生活に入るも、1993年には『女と刀』の続編で自叙伝ともいえる「わがの仕事」を発表。1996年に亡くなりました。

10.矢川澄子『妹たちへ』

この少女は不言を金科玉条とし、「お話をかくひと」を夢見た―澁澤龍彦の最初の夫人であり、アナイス・ニンやルイス・キャロルのすぐれた紹介者であり、孤高の感性としなやかな知性の持ち主であった矢川澄子。その作品にさまざまな角度から光を当て、幼い日々、思い出の人々、高原暮らし、少女‐反少女論、文学論などのテーマで織り上げる。密やかに、けれども強く輝く珠玉のアンソロジー。 

矢川澄子は1930年に東京で生まれました。東京女子大学英学科を卒業後、学習院大学英文科に入学。(後に独文科に移ります。)在学中、同人誌『未定』に参加。

1959年に作家の澁澤龍彦と結婚し、澁澤の仕事の協力者として活躍しますが、1968年に協議離婚に至りました。

以降、『兎とよばれた女』や『架空の庭』といった小説や、『風通しよいように…』や『いづくへか』等のエッセイなど多数の著作を残しました。また、『不思議の国のアリス』や『ほんものの魔法使』などの英仏独語の翻訳も多く手がけました。

2002年に71歳で死去。澁澤龍彦の最初の夫人であり、『サークル村』の創刊に携わった谷川雁の晩年のパートナーとしても知られ、没後に刊行されたユリイカの追悼号には「不滅の少女」という矢川を象徴する特集名がつきました。


参考文献

1.森田 たま | 兵庫ゆかりの作家 | ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a196/
2.野溝 七生子 | 兵庫ゆかりの作家 | ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a167/
3. 佐多 稲子 | 兵庫ゆかりの作家 | ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a22/
4. 東洋英和女学院史料室委員会、史料室だよりNo.67 (2006年11月30日発行) |https://www.toyoeiwa.ac.jp/archives/publications/pdf/shiryo67.pdf
5.森崎和江『まっくら』(岩波書店)
6.「芝木好子」日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)
7.藤原書店オフィシャルサイト https://www.fujiwara-shoten.co.jp/authors/ishimuremichiko/
石牟礼道子『西南役伝説』(講談社文芸文庫)
8.邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社)
9.20世紀日本人名事典 「中村 きい子」
中村きい子『女と刀』(ちくま文庫)
10.矢川澄子 早川茉莉編『妹たちへ』(ちくま文庫)
「矢川澄子」デジタル版 日本人名大辞典+Plus (講談社)

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