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劇団しようよ の あゆみ 17 『ドナドナによろしく』

『ドナドナによろしく』。僕はこの作品のことを生涯忘れることはないと思います。 

劇団しようよの、いわば第五回本公演がこの『ドナドナによろしく』でした。

この作品のためにワークインプログレスとして『こんな気持ちになるなんて』、『ここに居たくなさ過ぎて』の二作品を作ってきまして、その延長上に今作『ドナドナによろしく』がありました。 

ですが、創作は困難を極めました。

とにかく戯曲が書きおわらなかったんです。

お恥ずかしい話、いつもよりも執筆のスピードも遅く、稽古場で俳優さんを待たせてしまう時間ばかりでした。 

作品の内容はこんな感じです。
2015年から順番に一年ずつ遡り、平成という時代をふりかえる・・・そんな内容でした。 

僕はね、当初、一つのジャンルをつくりたかったんだと思います。演劇の中の一つのジャンルです。
だから、というと語弊があるのですが、戯曲を書くことに大きな戸惑いがあったんです。

こんな風に「普通」にセリフのやり取りをしていて良いのだろうか。でもその「普通」ってなんなんでしょう? その「普通」というものに懐疑的になるあまり、ずっと台本が書けずにいました。

当時出演してくれていたみなさんにもとても申し訳なかったなと思っています。 

しかも、と言いますかなんと言いますか、本番会場は10周年記念公演の『セミヘブン』と同じ、京都芸術センターさんでした。

あの時、『ドナドナによろしく』は、フリースペースという場所で上演をしていたのですが、あの空間をどう扱ったらいいのか、そしてどんな物語を紡げばいいのか、全くわからずにいたのでした。 

当時の『ドナドナによろしく』は、東京・京都の二都市ツアー公演でした。

一昨年に行った『スーホの白い馬みたいに。』の時に武蔵野芸能劇場の方が観に来て下さり、

「ぜひウチでやってください」

とありがたいお言葉をいただき東京公演の会場が決まったのでした。 武蔵野芸能劇場とは、東京の三鷹駅のすぐそばにある劇場でして、これまで劇団しようよが上演してきた小劇場の空間よりかは、少し大きめの空間だなあと思ったのを覚えています。 

その武蔵野芸能劇場が決まった際、ぜひ京都芸術センターで公演したい。そう思って共済事業として募集されていたものに、応募したのでした。 

いやあ、難しかったです。当時のことを思い返すと震えてしまいそうなくらいに。明け透けに言うと、とても苦い思い出の作品になってしまいました。

ですが、出演してくださった客演陣も、劇団員のみんなも、そんな中全力で取り組んでもらい、助かりました。

でもその全力に、答えるだけの力がない。

そんな稽古の日々がずっと続いたのを覚えています。 

演劇の一つのジャンルを作りたい。そう先ほど言いましたが、例えば柴幸男さんの『あゆみ』なんてまさにそうだと考えています。何気ない言葉の積み重ねで、登場人物が「誰か」に見えたり「自分の事」のように思えたり。そして万華鏡のように展開される人々の群像。僕は当初、柴幸男さんのような作品が作りたかった、そうなのかもしれません。 

ともあれ、作品はひとまずの完成をし、劇場で上演されることになります。 

その後に、劇団を後にするドラマトゥルク担当だった稲垣さんには

「もっとできることがあったはずだ」と言われました。

今でも鮮明にそのことを覚えています。もっとできることがあったはずだ。そうだ。でも、じゃあ、何ができたんだろう?その問いはずっと今も残り続けています。 

ちょっと消極的なことばかり連ねてお恥ずかしい限りですが、今作はそんな印象の公演でした。

もちろん、そんな中でもこの『ドナドナによろしく』が今まで一番好きな演劇だ!と言ってくれた人もいます。それは何にも変え難いありがたいことです。 

ですが、一方で、自分の不甲斐なさと対峙するクリエーションでありました。

僕は、この作品のことを一生忘れません。

出演してくれた人たちのためにも、観に来て下さった方達のためにも。 

そんな劇団しようよ、次回は真新しい劇場でとある作品を上演することになります。 

また明日書きますね。 

お楽しみにしていてください。 

劇団しようよ 大原渉平

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