見出し画像

別に理解せずとも「そういうもの」として受け入れておく

 数年前から使っているバックパックの隅の方に"Designed in NY"という小さなプリントがある。おそらく洗練されている印象を商品に与えたかったのだと想像するのだけど、別に教えてくれなくても良いと個人的には感じる。それをあえて主張することで生産地はNYではないと明白になるし、ちゃんと同じところに"But made in China"とか書いておけよと思う。別に恥じることではない。一昔前と比べると、今は中国製の製品が粗悪だという時代でもなくなってきている。
 僕はデザインや機能性、価格やレビューなんかを総合的に判断して商品を購入しているので、デザインのチームがどこに拠点を置いているのかに興味はない。会社がアメリカにあるとウェブサイトやオンラインショップの概要欄なんかに書かれているのならまだ分かるけれど、わざわざ印刷されているとプライドやエゴみたいなものを見せつけられている気分にならなくもない。

 "Where are you from?"とアメリカ人にどこ出身かを訊ねると、大抵の場合彼らは具体的な街や州の名前で答える。アメリカ出身だとはまず言わない。確かに質問の答えとしては間違っていないので、出身国を知りたければ"What country are you from?"と訊ねなければならない。しかし、ニューヨークやロサンゼルスならまだしも、その他のちょっとマイナーな都市名を挙げられると認識するまでに少し時差が生じる。「なにかスポーツやってたんですか?」と訊いてみたら「クオーターバックでした」と答えられたような感じである。その一つ前段階の大きな括りを周知の事実というか当然の前提とされているようで、ちょっとした傲慢さを感じる。
 なんだかずっとアメリカ人の文句を書いている気がするが、別に家族や友人を殺された訳ではない。土地や国といった出自が個人を形成する大きな要素であるのは間違いないし、そこに愛着や誇りを持つのは理解できる。単に僕はそれを殊更に主張する必要性を感じないだけである。『ゴッドファーザー』みたいなマフィア映画で描かれるような郷土愛や、地元をレペゼンしているラッパーなんかの歌詞を見るのは面白い。自分には全くない視点なので共感はできないのだけど、別に理解せずとも「そういうもの」として受け入れておくと、世界が広がって人生がちょっと楽になる気がする。世の中には地球をレペゼンしている人達もいるみたいだし、彼らは多分他の惑星の色々な宇宙人達と交流があるのだろう。

 さっき気付いたのだけど、今掛けているJ!NSのメガネのつるはしを見たら"Designed in Tokyo"と書いてあった。これは多分アメリカの真似事で、東京に対するプライドや愛着というよりは、欧米への劣等感からきているような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?