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沢山飲んでも酔えないのは愉快ではない

 最近になって酒への興味・関心が薄れてきた。もともと家で一人で飲むようなこともあまり無ければ、飲み会にも積極的に参加する方ではなかったのだけれど、最近では意識的に辞めようかと考え始めている。年齢を重ねたこともあってか、ちゃんと節度をもって飲んだ翌日にも微妙な体調の変化で生産性が落ちる気がするからだ。眉毛をちょっとミスったみたいな感じで、大したことはないしいずれすぐ元通りになるのだけれど、なんとなく気分は乗らなくなる。そんな状況はできるだけ避けたい。それに僕には趣味としてワインやウィスキーあるいはクラフトビールなんかを追求するほどの情熱もないし、酒の場での人付き合い・コミュニケーションを面倒臭いと感じる場合も多い。
 というか本当のところ、あえて挙げるような特別な理由はない。僕はかつて週間的に吸っていたタバコも、特に禁煙すると決心することもないままいつの間にか辞めていた。別に大して好きでもなかったものから自然に遠ざかっているだけなのかもしれない。

 僕はおそらく体質的にアルコールへの耐性が強い。飲酒しても言動や表情にはほとんど変化は出ず、周囲には酒に強い人間だと認識されている。羨ましがられたりもするが、沢山飲んでも酔えないのは愉快ではない。周りと同じテンションでハメを外せないので馬鹿騒ぎしている人達を冷めた目で見てしまうし、そのせいで相手を逆に白けさせてもしまう。そんなわけで徐々に大人数での飲み会からは遠ざかり、今では親しい人と一対一で会う時にも食事だけの場合が多くなった。
 一方、僕は酔う度合いは自制心の問題だとも考えている。もちろん体質に依る部分も大きいのだろうけど、それだけでは説明のつかないこともある。たとえば外で飲んでいる時、僕は常に「帰らなければならない」という発想を頭の中心に置くので、アルコールが侵略できる余地は狭くなり、結果として素面みたいに見られる。誰かが自分よりも泥酔しているとあまり酔えなかったり、かと思えば気まぐれに一人で宅飲みすると油断して歯も磨かずに眠ったりしてしまう。どうやら僕の場合は心理的要因に左右される部分が大きく、酒のアルコール度数や量はあまり関係ない。興味というか焦点が酒そのものにないのである。

 あるいは僕は本当に良い酒を知らないだけなのかもしれない。フランスのなんとか地方で生産された何年物のなんたらかんたらみたいなワインを飲めば、背骨に電流が走ってワインの道を極めたくなるのだろうか。滅茶苦茶に高価なものでなくとも、例えばボトルで一万円くらいのワインなりウィスキーでも新しい世界が開ける可能性はある。
 ただやはりそういうものは自分で買おうとは思わない。買おうという発想すらない人間には違いも分からないだろうから、誰かに貰ったとしてもおそらく猫に小判である。大人しく素面のまま眉毛でも整えていた方がいいのだろう。


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