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最終的には死刑執行の現場にまで立ち会っている

 ネットフリックスで『ダーマー』を一気に観た。実在した連続雑人犯のジェフリー・ダーマーを題材としたクライムシリーズである。彼は1978年から1991年にかけて、アメリカのオハイオ州やウィスコンシン州で十七人の青少年を殺害した。また屍姦、死体切断、そして人肉食も行っている。シリーズは全十話で構成されており、一話あたりの長さは五十分前後なのだけど、僕は一週間かそこらで全部観終えた。
 昔からこの手の犯罪系シリーズやドキュメンタリーには目がなかった。ジョン・ウェイン・ゲーシーやテッド・バンディに関連するものを見つければ何はともあれチェックしてきたし、もう少し知名度の低い事件を扱ったものも積極的に目を通した。またノンフィクションだけではなく『マインドハンター』や『コールドケース』、さらには『プリズン・ブレイク』や『ブレイキング・バッド』みたいな犯罪系ドラマも好んで観てきた。

 この手のシリーズやドキュメンタリー、あるいは映画や本なんかをチェックする時、自分の中でいつも比較対象にする個人的基準となる作品がある。トルーマン・カポーティの『冷血』だ。この作品は作者いわく「ノンフィクション・ノベル」というジャンルの小説で、実際の事件をベースにはしているがあくまで小説という体裁を取っている(映画化もされている)。カポーティはアメリカのカンザス州で起こった一家殺人事件について数年に及んで徹底的に取材し、逮捕された犯人と深い信頼関係を築くに至り、最終的には死刑執行の現場にまで立ち会っている。
 この『冷血』の中で、犯人は異常者としては描かれていない。様々な角度と視点から人間としてのあらゆる側面を見せることで、読者の誰しもが彼に成り得ると作品は語っている。少なくとも僕にはそう受け取れた。犯人を肯定するようなつもりは毛頭ないが、彼を無条件で嫌悪して全く違う種類の人間だと切り捨ててしまうことの危険性を感じた。カポーティは決して犯人に肩入れはせず、しかし同時に敬意はしっかりと払いつつ、絶妙な客観性を保ったまま事件を描き切っている。そして言うまでもなく、その内容の質だけに留まらず、情報量の統制がとれた流麗な文章それ自体だけでも一読に値する。

 そのような観点において、『ダーマー』には犯人の善良な部分に関する描写がほとんどなかった。この作品では、ずっと迷惑を被り続けていた隣人の黒人女性に視聴者を感情移入させるようなデザインが一貫されている。同じ事件を扱った別のドキュメンタリーには、ダーマーと学生時代に一度デートした女性が何も違和感を覚えなかったというエピソードがあったりするが、そのような視点は情報の取捨選択の中で淘汰されたのだろう。勿論、実際の事件の遺族や関係者が作品を見ることを想定すると、犯人に対して好意的と捉えられかねない描写は危険である。徹底的に「悪」としてダーマーを描く方がリスクは少なく、また大衆受けもするだろう。その辺りのバランス感覚は表現者次第である。まあそれは別としても、時系列の配置や展開などの作品全体としての構成・バランスは、クライムシリーズとして申し分なかった。また犯人の父親役の俳優の演技には真に迫るものがあった。
 
 次は趣向を変えて恋愛系のリアリティショーでも観ようかと目論んでいる。というのは嘘で実はもう見始めているのだけど、文章にしてまとめたくなるような考えが浮かぶほど脳が働いていない。

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