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「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

中学生のころにあるおじさんが、学校でキャリア教育に関する講演をしてくれたことがあった。
そのおじさんは「キシさん」という人で、もったりとした不思議な話し方をするおじさんだった。
講演後にはその人の物まねが一瞬流行するくらい妙な話し方ではあったのだが、肝心かなめのキシさんが一体何者であったのかはよくわかっていない。

そのキシさんが言っていたことは断片的にいくつか覚えている。「生涯賃金が全然違うから正社員になったほうがいいよ」とか「履歴書の名前は丁寧に書いたほうがいいよ」とか、社会に出るにあたっては常識的なことを教えてくれた。

その話の中でも、いまなお深く記憶に刻まれている言葉がある。
それは「よくキャリアの相談を受けているときに、若い人が『夏でもエアコンが効いているところでだらだらしているだけでお金がもらえるような仕事はないですか』と聞いてくることがある。そんな楽な仕事があれば、ぼくがやっているよ」という一言だ。

この言葉はわりあい示唆深い。そもそも、人生や仕事が自分の希望にすべて合致している、ということはそうそうない。
夢を叶えるなど何かを成し遂げたあとにほんの一瞬そういう状態になることこそあれ、しばらく時間が経つとそのうちに充足していた日々を忘れて「このままでいいのか」と思ったり、「ここはこうしたほうがいい」といった不満が出たりするものだ。要するに、自分にとって永遠に完璧な仕事などこの世界には存在しない、と思うのだ。

上記のような「夏でも冷房が効いているところでだらだらしているだけでお金がもらえるような仕事」のように恵まれた環境下でも、そのうち欲や文句は出る。
逆に言うなら、どれだけ満たされても自分が何か行動しない限り、そのうち不満は出る。

であれば結局、満たされた状態を求めるというよりも、満たされた状態や夢を追い求めて、研鑽して自らを高め、成長する過程そのものを楽しめるほうが、結果的には幸せな人生になるのだろうなと思う。やりたいことをやりたいようにやるために、己を磨く日々を喜んで選べるかどうかが、人生に問われているのだろうと思う。

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