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人生には締め切りがある

自己理解などを深めるプログラムを提供している「ピクシスラボ」という会社がある。同社が提供している「自己理解プログラム」というのが結構面白く、私も以前試しにやってみたことがある。

その際、自分がストレスを感じるものとそうではないものを細かく分類するところがあった。
そのなかに「締め切りがある」という項目があった。個人的には「締め切りがあるほうが切羽詰まってなんとか動こうと思うし、ストレスというよりはむしろ動く動機だ」という話をしたら、カウンセラーの人にかなり意外な顔をされた。どうやら通常は「締め切りがあるなあ、やらなきゃいけないなあ、いやだなあ」と、ストレスを感じるひとが多いのだという。

同じ現象でもこうも感じ方が違うのかと当時感心したものだが、自分の人生を振り返ってみると確かにぎりぎりにならないとちゃんとやっていないような気もする。
それがダメだと思って意図的に頑張って継続するようにはしているのだが、とかくダラダラやってしまうので結局効率も良くないので、締め切りが近づいてくると「ちゃんとやるか」と動き出す。

そういえば、受験のときに「女子はそうでもないが男子は急に成績が伸びることがある」などと言われたことがあった。何となくだが基本的に男性のほうが計画性がないので、直前になって「やっべ!」となってちゃんとやりだすと(なまじ過去それほど勉強を頑張っていないので伸びしろが多いのもあいまって)急に学力が伸びたかのように感じられるのだろう。

少し広い視点で考えてみると、人生も「死ぬ」という一つの締め切りが迫ってくる営みでもある。
刻一刻と締め切りは迫っているのに、人間不思議と「まあ大丈夫だろう」とやらねばならないこと、やりたいことを先延ばしにして、いつの間にか時間を失って、肉体や精神が衰え、やりたいことができなくなっていくのだろうと30代に入ったいま、なんとなく予感している。

人生の「五計」という考え方がある。それぞれ生計・身計・家計・老計・死計の5つだが、この最後の「死計」というのはいかにして死ぬのかを考えることである。
死ぬという締め切りを前に果たして己は何をしたくて、そして何をすべきであるのかを考えることは、実は生きることを考えることそのものなのではあるまいかと思う。つまるところ様々な締め切りを考えることは、その瞬間の生き方に向き合うことでもあるのだろう。

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